『十五少年漂流記』への旅(椎名誠著)

2010-06-02 00:00:30 | 書評
「十五少年漂流記」は、少年(少女)向けの冒険小説である。「ロビンソン・クルーソー」と「家族ロビンソン」と合わせた「こども向け三大漂流記」の中でのエントリー小説である。

そして、ニュージーランドの港から少年15人だけを乗せ、漂流を始めた他国籍少年の集団が、たどりついたのが、「チェアマン島」。もちろん、少年たちが名付けたので、正式な島の名前は不明だ。

そこで、色々なことが起こり、国連の中のような意見の違いが表面化したりするのだが、その漂流記そのものは、各自読んでもらうと(あるいは、思い出してもらうと)して、その島の実在のモデルはどこか、ということになるらしい。

結構、こういう小説のモデル探しというのは、日本でも海外でも人気があって、たとえば三島由紀夫の『潮騒』のモデルの島とか、村上春樹の『カフカ』の図書館のモデル、とか。



椎名誠氏による本著も、そういうことに関係があるのだが、やや複雑。従来、「ここだ」、と言われていた島ではなく、「あそこだ」、という新設が現れたので、どちらが正しいか確かめてみよう。という趣向である。


ところで、私は、『十五少年』を読んだことはあるのだが、その作者が誰なのか、知らなかったわけだ。だから、「どうせ物語の中の島なんだから、モデルなんかないだろう」と思っていたわけだ。

しかし、読んでいると、『十五少年』の作者が、高名なSF作家であるジュール・ヴェルヌであるとなっている。まったく意外だった。よく見ると本の腰巻にもそう書かれている。なんてことだ。

つまり、ヴェルヌの小説は、同時代人には一見荒唐無稽にも見えるが、実際は科学的裏付けがあることが多いということがわかっているのだから、漂流記に登場する島も実在モデルがあるに違いないということになる。さらに、島の中の地図まで、漂流記の中に描かれている。

ということで、従来の説では、南米のパタゴニアにある『ハノーバー島』がモデルであるという説が主流だったのだが、ある日本人研究家によって、ニュージーランドの沖にある『チャタム島』ではないか、という新説が発表される。


ということで、愛すべき冒険家である椎名誠御一行様は、二つの島に向かうわけだ。

そして、結論は、・・

簡単に書くと、『ハノーバー島』はパタゴニアという場所もあるのだが、少年たちが生活をするには、自然環境が厳しすぎるのではないかということらしい。文化的生活は困難。だからただのサバイバルストーリーになってしまう。

一方、『チャタム島』の方は、一見、舞台としての自然環境は申し分なく、食料確保もほぼ『十五少年』と同じように可能である。しかし、政治的には、先住民がいて、以前から政治的かつ血生臭い抗争が続いていて、まったく子供向けとは言えない島であるそうだ。

ということで、作者は、どちらの島にも「?」を付けたままになる。

個人的な見解だが、19世紀後半から20世紀初頭の欧州はじめ世界の緊迫を思えば、彼が他国籍の漂流少年を向かわせた島というのは、『地球そのもの』という、巨大宇宙の中では極小サイズの絶海の孤島ではなかったのだろうか、と思うわけだ。