初級シスアドの奮闘

2004-09-25 16:59:02 | 市民A
eb00d71d.jpg今年の春に、ワケあって初級システムアドミニストレーター(シスアド)を受験し、合格した。
理工系の大学生にとって、就職のため是非とも欲しい資格らしい。無関係な私が合格したせいで誰か一人が不合格になって就職に影響が出ては申し訳ないが、厳密な定員はなさそうだ。
実際には95,000人が約5,000円の受験料を払い、67,000人が受験し、25%の16,700人が合格。合格率は2001年の春の37%以来、ずっと低下している。平均年齢は受験者も合格者も29歳だが、高校生からシニアまで年齢は上下に分散しているように見える。

合格率が低下している理由だが、問題の難易度と範囲が拡大していることがありそうだ。何しろIT分野は日々進歩で、事前に過去問題をいくら解いても、予想外の範囲が出題される。そして、非常に重要な点だが、シスアドという資格は、システム供給側の資格ではなくシステムユーザー側の資格ということで、コンピューターやプログラムに関する問題が半分程度で、残る半分は普通の会社員として知っておくべき常識問題である。OAソフトやホームページの作り方、データ通信上の「鍵」の特性といったパソコン関連知識にとどまらず、会計業務としての損益計算書の読み方や、クリティカルパスの発見のようなスケジューラー作成、TQCはじめとする業務改善活動、などについて管理職レベルの知識が必要となる。もちろんいくつかの計算問題もあり、簡単な数学的知識が必要である。そういう意味では学生では解きにくい問題もあるし、会社員になっても、ある程度の知識が必要だろう。もっとも7割程度できれば合格するので、不向きな問題は捨てるのだろう。それに常に新しい問題が登場するのである。バランスシート、株価収益率、そしてブログなどもこれからは出題されるだろう。

友人からは、「次は中級で頑張って」、など言われるのだがまったく勘違いだ。初級というのは囲碁将棋の初段レベルなのである。中級はなくて、上級シスアドはあるのだが、ほとんどがプログラムに特化していて、ユーザーのふりをしたシステム供給側の人間が合格している。合格率は8%、約300人。そういう意味で、世間での誤解をなくすためには初級シスアドという呼称を変えた方がいいのだろう。

さて、合格したことをしゃべる気はなかったのだが、つい受験前に飲み屋で友人に漏らしたことから友人たちに広く知れわたり、同年代からの思わぬ相談が続々とやってくる。みんなが知りたいホームページの作り方とか、メモリー不足でしょっちゅうフリーズするパソコンの適応メモリーとかならいいのだが、まあ友人でないと聞けない超初歩的な質問もある(断っておくが、これらの問題はシスアドとは何の関係もないが、日本人は「資格」に弱いのである)。

たとえば、キーボードで「~」や「_」が打てないというのがある。わざわざ私に聞かなくても良さそうだが、若い人に恥ずかしくて聞けないのだろう。今までは、どこか他の用例からその部分をコピーして使っていたそうだ。またADSLと電話回線の関係を聞く人が多いのだが説明しても理解されないので、もう断定的に答える。近くの知人宅でWORDで文書が書けなくなったというので、行って見ると、キーボードがPC本体とコードレスになっているタイプで、赤外線発信用の電池が脱落していた。WORD以外はキーボードを使わない主義だったそうだ。もっとも字を書かない人は世の中大勢いてブログをやっているとよくわかる。このお宅でも年に一度の年賀状の時に困っていたそうだ。それと、色々話を聞いていていると、各家庭にあるPCの半分位はフリーズしたまま新しいPCと買い換えたか、すっかり再生をあきらめて父親の威厳を保つため、そのまま箱の中に戻ってPC生活はおしまいになっているようだ。
まあ、おカネに余裕のある人は内需喚起のためにどんどん新型を買ってもらう方がいいかもしれない。こういう人達は、パソコンが生活に入り込んできた当初に参加し切れずに、結局、社会がネット化した後で渋々使い始めた人たちだ。それと、なんだかわからないが、普通に故障していないソフトを使いこなせずに故障していると勘違いしている人もいる。で、次は高齢化社会とパソコンソフトの話だ。

私は1980年代の終わり頃からパソコンを使っていた。使いにくい表計算ソフトや、いざという時には、MS-DOSの呪文のような文字を書いていたわけだ。copy *.* とかである。その後、Macが登場し、1995年にはWindows95が発表され、一気に大衆化が進んだわけである。しかし考えてみるとWindowsとCPUの新製品は次々発売され、それに合わせてソフト類もグレードアップされていくのだが、使う方はどこまで理解できているのだろう。初期のWORDやEXCELなら機能の半分は理解できたかもしれないが、バージョンアップのたび、機能が倍加しているような気がする。それに対してユーザーの能力なんて1%アップ位しかないのではないか。機能のほとんどは使わずじまいどころか機能そのものを理解できない。

普通、科学技術の進歩は時系列で考えると右肩上がりで進歩する。かたや人間の個人としての能力は残念ながら加齢とともに右肩下がりで、二本の曲線はどこかで交点をつくり、その後一気に乖離していく。もちろんビジネスでもそうであり、交点の下になっても引退しない人間を老害という。パソコンの世界ではユーザーが使いこなせるようにマウスやグラフィック化が進んでいた。そのため、交点の位置そのものが下がっていて、高齢者もついていけるという状況だったかもしれない。しかし、最近の状況は、この交点が各種ソフトにより下がっていくという簡易化は行き止まっているように感じている。このあたりの技術の行き詰まりについては後日触れてみたいが、どうもこれから先のパソコンライフは、交点より上のやや難しい世界と交点の下の非常にやさしい高齢者用の世界に分かれていくのではないかと想像するのである。

ところで、初級シスアドに合格したことは勤務先には内緒である。どうせ資格の内容は誤解され、フリーズしたパソコンのリセットボタンをさがしたり、スパゲティ状に混線したケーブルをほこりまみれになってほぐしたり、コピー機の中から手をまっ黒にして詰った紙を引っ張り出すようなことをやらされるからに決まっているからである。「初級シスアド」の名前が「シニア・シスアド・トリプルスター」とかの権威あるネーミングに改正されることを期待したい。