祈ることだけ

2004-09-05 14:42:45 | 市民A
79a0bb45.jpg北オセチア共和国の学校襲撃事件は、人々の思考を停止させ憤りの感情を抑えることはできない。無論私もそうだ。ブログにまとめようとしても、事情も背景もわからないし、後日見直せば、誤った内容になっているかもしれない。しかし何か主張しなければならないという気持ちになる。

イスラム原理主義はムハンマッドの交戦記であるコーランに忠実であるとする。時系列が一般の歴史書と逆に新しい時代から過去へ向かって記述されるため極めて読みにくいが20年以上前に読んでいる。しかし当時は自爆テロなど手段として存在しない。イスラム教のための戦い(ジハード)は主張するが、独裁国家をつくることなど書かれていない。
現在の世界の潮流は、多宗教、多民族の混在を容認しようという流れである。アメリカだって、かつての「人種のるつぼ」政策を捨て、「サラダボウル型」の国家を目指している。もちろん多くの困難と最大の努力を払っている。またキング牧師が現れなければ「内なる戦い」が爆発していたかもしれない。

ロシアも多民族国家であり、現実的にはアメリカ型の混合社会をめざすしかないが、相当の長期間が必要である。憎しみの融和には何世代も必要だ。

アラブ国家の中に民主主義国家は一つもないし、そちらに向かっているとも見えない。イラクだけを民主主義国家にしようということも不可能だろう。しかしイスラム圏をみれば、民主化に向かいつつある国もある。トルコ、マレイシア、インドネシアの非アラビア語国家である。アラビア語は口語化か行われていないため、アラブ圏の文盲率は90%以上だ。文語(コーランの記載につかわれる)のアラビア語は西欧語でいえばラテン語だ。一部の特権階級が支配しやすい仕組みになっている。独裁支配者と無政府主義の煽動が発生しやすい。前者がフセインであり、後者はオサマビンラディンだろう。前者にはカリスマ性はないが後者にはある。

アラビア語のあいさつでアッサラームアライクンというのがある。「こんにちわ」だが、サラームの意味は平和だ、アライクンは、あなたのためにである。「あなたに平和を」というのが、アラブのもう一つの顔だ。

亡くなられた人々が信じていた、平和と希望のために祈るだけである。いままでも人類は歴史を財産として社会を前進させてきた。そうであってほしい。