ピストンエンジンは永遠か!な?

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空冷エンジン

2005年09月22日 | consideration
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ホンダ1300

ココをご覧の皆様は「デュオダイナエアクール」って聞いたことがあるでしょうか?
ご存知の方は相当古い!(失礼)
ホンダが、1969年頃にリリースした社運を賭けた1300ccの乗用車に搭載されたスゴいエンジンでした。どれくらいスゴいエンジンかというと、オールアルミ、一体式二重空冷、4キャブ、ドライサンプで115馬力を7500rpm!で絞り出し、前輪を駆動した、月並みな表現をするとまるで(出来の悪い)バイクのようなクルマでしたね。ホンダが(多分)乗用車市場に本格的に参入を試みるのにホンダらしい技術をふんだんに織り込み、小さい(1300)エンジンで大きいクラス(1800~2000cc)の性能を持つという、CB450でトライアンフ650に挑戦状を叩きつけたと同じ手法だったのでしょう。
しかし、世間がアッと言ったのは動力性能だけでなく、空冷にして軽量のはずが思いもよらぬ重量エンジンがもたらしたアンダーステアの強さでした。今思うと900kgという思い車重(現在の標準だとスゴク軽い!)をプアなタイヤで支えて、110馬力の駆動と操舵も委ねるなど失敗は明白であるのに、これを市販してしまったのがなによりもスゴい。
当時はFFはまだ少なく、これに目をつけたホンダの先進性はさすがなのですが、サスペンションの水準は低くコーナリング中は中間回転数ですが、その回転にしても他社の最高回転ぐらいでしょうから、コーナリング中にアクセルを踏めばさらにアンダーは強くなり、アクセルを離せば回転数が高いゆえにエンジンブレーキは強くかかり、タックインは強烈でした。それに加えてトレッドが狭いものだから、下りのコーナリングはサイドカーのように転覆しそうな怖さがあったでしょう。
ワタシの友人がこれを持っていて、乗らせてもらったことが何度かあり、エンジンはまるで当時のワタシの愛車ベレットGT(1800cc 115ps)と較べてもレーシングカーのようでしたね。
後日談として、故本田宗一郎氏の進退問題にまで発展したそうなので、周辺技術(タイヤ、車体)のバランスを考えないととんでもない事になります。

GMの空冷エンジン

ホンダの空冷問題の更に50年前に同じ様な事があったのですね。歴史は繰り返すと言いますが、まったくその通りです。
主人公は、ワタシが何回も登場させているチャールズ・ケタリングです。もう一度紹介すると、元々電気技師であったケタリングは電動レジスターを発明したあとはジェネラルモータース(GM)でバッテリー点火とセルフスターター(セルモーター)を発明し、その名をスローンケタリング癌研究所としても残し、ケットおやじ(BOSS KET)と親しまれて数々の名言も残しています。
その頃も空冷エンジンは存在していましたが、冷却フィンは鋳物でシリンダーと一緒に作るという(今でも一般的です)方法で、重いためにクルマに載せるのに不適当と考えたのか、フィンを銅板でつくりそれを溶着させるという画期的な物でした。高温の炉の中で溶着させる方法まで開発して、うまく行くかに思えたのですが結局オーバーヒートを解決できず、GMの経営危機まで引き起こしたうえお蔵入りしてしまいました。ケタリングはやはり進退問題にまで追い込まれてしまったようです。第2次大戦の後にGMの社長として癌研究所を立ち上げたので復権したようですが。
ケタリングのスゴいところはオーバーヒートによる異常燃焼を燃料で解決しようとして、ハイオクガソリンを発明してしまったことです。後年に名を残す人は転んでもただでは起きないようです。こういったエピソードはワタシ達凡人を力づけてくれます。
ケタリングの作ったフィンは想像するしかないのですが、量産性を考えると平板の打ち抜きと考えられます。これを鉄のシリンダーに溶着させたと言う事は鉄のシリンダーから銅のフィンに熱移動がうまく行われたかどうかです。フィンが平板ですから根元と先の断面積は同じです。そうなると熱の移動量は根元の断面積で決められてしまいますので、フィンがある程度の大きさ以上はいくら大きくしても放熱効果が同じになってしまうと言う事です。
ワタシ達が現在目にする鋳物フィンは、鋳物であるがゆえ根元が厚くなっているのは理にかなっていると言えますね。
フェルディナンド・ポルシェ博士が空冷ビートルを作ったのは、鋳物シリンダーを使っていますから、やはりこの点でも上手であったようです。

続きます。


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1 コメント

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クーペ9のころですね。 (ジャイアン)
2005-09-22 20:42:48
クーペ9のころですね。
アポロ11号が月に着陸した年、オイラは10歳でした。
そうだったんだ~って感じです。
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