三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島侵略日本軍の痕跡 1

2017年01月20日 | 海南島史研究
 1939年2月に海南島に侵入した日本軍は、海南島に数百の軍事拠点(軍営・望楼など)を建設した。
 いま、その一部が海南島の県や鎮や村の人民政府の敷地の中や、学校の敷地の中や軍事基地の敷地の中などに残されている場合もあるが、ほとんどは消えている。
 建物の形は消えているが、その土台、望楼がつくられていた高台、望楼・軍営の周辺の壕の痕跡、望楼・軍営の断片(レンガ、壁石など)……は残っている。
 しかし、周辺の住民や犠牲者の遺族・被害者の証言がなければ、日本軍基地でなにが行われていたかを知ることができない。                       
                          佐藤正人
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