三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島近現代史における侵略と抵抗の世界史 9

2013年06月29日 | 海南島史研究
七、日本の海南島侵略と抗日闘争
 海南島を「南方」侵略基地とし、さらには全島を台湾同様の植民地とするため、日本政府と日本軍は、日本企業を海南島に呼び入れ、飛行場、港湾、道路、鉄道などを整備・新設し、鉱山開発、電源開発などをおこなった。その資金を作るために、日本政府・軍は、「軍票」を乱発し、さらには、アヘン生産をも試みた。
 日本軍と日本企業は、海南島の住民(先住民族黎族・苗族、および漢族の人たち)だけでなく、中国大陸や香港や台湾や朝鮮の民衆、マラヤやシンガポールなどで「捕虜」としたオーストラリア軍兵士やイギリス軍兵士(当時イギリスの植民地とされていたインドの民衆がおおかった)なども、強制労働させた。
 また、日本政府・軍は、海南島民衆の土地を奪って、日本人を海南島に「移民」させる策動も進めた。
 日本軍政機関は、「治安維持会」を使って住民を相互監視させ、「良民証」をもたせて管理し、「ヒノマル」・「キミガヨ」をおしつけた。
 日本軍は、抗日軍の兵站を破壊しようとして、海南島内各地の村落を襲撃し、住民虐殺と略奪をくりかえした。しかし、日本軍は、海南島全域を占領することはできなかった。
侵略軍に抗して、海南島の民衆は持久的に戦った。
 日本の海南島侵略の時代は,海南島民衆の抗日反日闘争の時代であった。
                                           佐藤正人

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