三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

企画展『海南島で日本は何をしたのか』無期延期の経緯と社会的応答 2

2012年07月21日 | 大阪人権博物館

 国民国家日本の侵略犯罪という人権にかんする最悪の犯罪を隠蔽することである企画展「日本は海南島で何をしたのか」の開催中止は、大阪人権博物館の内部問題ではなく、現在の日本の社会問題である。

 2004年7月27日付けで、大阪府教職員組合の山口成幸中央執行委員長は、大阪人権博物館の秋定嘉和館長に、
    「大阪人権博物館が不当な圧力に屈せず設立趣旨に基づいて人権思想の普及と
   啓発に邁進されるよう要望します」
と題する文書を送った。その全文は、つぎのとおりである。
    私たちは、大阪人権博物館が「展示への抗議があれば、対応できない」として、企
   画展「海南島とアジア太平洋戦争 占領下で何がおこったか」をとりやめたとの報道
   に接し、驚きを禁じ得ません。
    新聞報道によると、開催を予定していた企画展に対してその中止を求める動きもな
   い中で、起こるか起こらないかわからないトラブルを想定して自主規制したとのことです。
   確かにこれまでにも、貴博物館に対して右翼が押しかけるなど、不当な圧力が掛けら
   れてきたことは事実であり、それが無視して済ませられる問題でないことは理解できます。
    しかし、「最大の人権侵害」である戦争の事実を明らかにし、市民に啓発していくことは
   人権博物館の使命といえます。
    仮にその事実に対する評価を巡って抗議を受けることがあったとしても、真摯に対応
   していくことが貴博物館には求められているのです。
   今回、自主規制によって企画展が中止されたことが、日本の戦争責任を認めず過去
   の戦争を美化しようとする勢力にとって「成果」となり、今後に悪い影響を及ぼすことを
   懸念します。
    また、自衛隊の多国籍軍参加など戦前回帰を思わせる事態が進む中で、また一歩
   「物言えぬ時代」に近づくのではないかとの思いを禁じ得ません。
    私たちは教職員組合として、あらゆる戦争と差別に反対し、平和と人権を守るための
   教育と運動をおこなってきました。
    これまでたくさんの子どもたちや私たち自身が、貴博物館を訪れ、多くのことを学びま
   した。今後も私たちと貴博物館は、お互いにパートナーとして、手を携え同じ方向に進
   んで行くべきであると考えています。
    中止となった企画展は場所を変えて行われ、貴博物館が後援すると聞いておりますが、
   このような決着の付け方を是とするわけにはいきません。
    今後、大阪人権博物館が不当な圧力に屈せず、設立趣旨に基づいて人権思想の普及
   と啓発に邁進されるよう要望します。

 2004年8月14日の『朝日新聞』朝刊の「声」欄に、姫路市に住む藤原みどりさんの次のような投稿が掲載された。
    広島の小中学校で、原爆被害の実態などを学ぶ「平和学習」が衰退してきているという
   記事を読んだ。
         (中略)
    また、大阪人権博物館では、7月に予定していた旧日本軍の中国での侵略行為をテーマ
   にした企画展が取りやめになったという。
    先の記事には「平和教育が政治的な活動と受け止められている」との意見があった。
    だが、事実を知る機会を制限していることこそ「政治的」と言えるのではないだろうか。
    私自身の体験からも、子供たちから歴史の真実を学び、考える機会を奪わないでほしい
    と願う。

 国民国家日本の海南島侵略にかかわる歴史的事実を伝達しようとする企画展を中止することは、企画展開催準備をすすめてきた主体(この場合は、大阪人権博物館と紀州鉱山の真実を明らかにする会)が、その侵略の歴史を克服する道を歩むことを中止し、過去の侵略の歴史を現在において追認することを意味する。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、大阪人権博物館にたいして、企画展を中止するのではなく、延期することとし、できるだけ早期に実現することを求めた。大阪人権博物館は、それを了承した。したがって、大阪人権博物館の『広報誌リバティ』26号に掲載された「企画展“日本は海南島で何をしたのか”の中止について」は、「……の延期について」と訂正されなければならない。

 大阪人権博物館が企画展を延期してから数か月後、韓国では、特別展『海南島で日本は何をしたのか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』(主催:民族問題研究所、独立紀念館。後援:紀州鉱山の真実を明らかにする会)が、10月1日から10日まで、ソウルの西大門刑務所歴史館で開かれ、続いて10月15日から11月20日まで、独立紀念館で開かれた(注4)。
 韓国での展示はもちろん朝鮮語でおこなわれたが、その展示解説および写真説明の日本語原稿は、つぎのとおりであった(この原稿の全文は、2006年10月7日~10日にこのブログに連載してあります)。これは、大阪人権博物館における企画展の原案として紀州鉱山の真実を明らかにする会が提案していた最終案とほとんど同じである。
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、大阪人権博物館にも、総論部の地図と最終部の「補、日本で、企画展『日本は海南島で何をしたか 侵略・虐殺・掠奪・性奴隷化』が中止された」を除いて、原稿に対応するすべての画像をパネル展示用に構成して提供していた。
     注4 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会
       『会報』40号、2004年11月1日、13~14頁。紀州鉱山の真実を明らかにする会  
       編『海南島で日本は何をしたのか 虐殺・略奪・性奴隷化、抗日反日闘争』写真の会
       パトローネ、2005年5月、46頁。

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