■「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする写真パネルと解説パネルについて■
三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会の活動を支持し、協力してくださった方がたへ
三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会の『会報』66号・21号(2021年11月1日)で、「「木本事件」と紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする写真パネルと解説パネルについて」を、『会報』67号・22号(2022年11月1日)で、「「木本事件」 と紀州鉱山への朝鮮人強制連行にかんする写真パネルと解説パネル その後」」と題して、わたしたちの会のパネルの行方と現状について報告しました。
2023年3月7日、わたしたちの会のパネルは、元の管理者、金靜美のもとに戻りました。
この間、わたしたちのパネルは、居場所がわかりませんでした。
2019年の追悼集会のさいの熊野市民交流センターでのパネル展示をさいごに、この間、新型コロナ感染症のために集会の規模を縮小し、パネル展示をおこなっていませんでした。
パネルは、2019年11月10日、パネル展示をしていた熊野市民交流センターから竹本昇が持ち帰りました。
その後、2023年3月7日、わたしたちの会にもどるまでの直前の居場所は、わたしたちの会の名称を詐称し、わたしたちの会の『会報』郵送用封筒を盗用し、「改組三会」をでっち上げたひとりである斎藤日出治が関係する大阪労働学校でした。
以下で、この間の経緯をかんたんに書きます。
1、竹本昇は2020年、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会、紀州鉱山の真実を明らかにする会をやめました。
そのため、2021年4月30日、あずけていたパネルを受け取ろうと竹本昇にメールを送信したところ、同日、返さない、という返信が届きました。
2、その後、パネルにかんして、2021年8月27日、「改組三会」では、わたしたちの会に返却するということが「確認された」と、当時「改組三会」の「運営委員」のひとりであったK氏から8月31日に連絡がありました。
3、2021年9月8日、竹本昇にパネルを受け取りに行くと連絡をしました。
4、同日9月8日、竹本昇は、パネルは「改組三会」のものである、というメールを送ってきました。
2021年9月8日のメールでは、竹本昇は、「写真パネルと解説パネルの返還は、お断わりします」「改組三会は、…… 写真パネルと解説パネルの返還を求められる筋合いはありません」と書いています。
また9月19日のメールで竹本昇は、「パネルは、改組三会のものであることは、改組三会の会議で決めたことです。竹本昇のものではありません」と書いています。
5、2023年2月26日、K氏が、斎藤日出治の関係する大阪労働学校にパネルを取りに行き、斎藤日出治からパネルを受け取りました。
斎藤日出治がわたしたちのパネルを持っていたのは、K氏によれば、つぎのような経緯でした。
① 2022年に開催を予定していた「アジアから問われる日本の戦争展」で活用するとして、竹本昇からK氏に渡された。
② パネルが大部であり、そのまま使用することが困難であり、また、コロナ禍で、「アジアから問われる日本の戦争展」が中止され、K氏が(「改組三会」として保管するとして)斎藤日出治へ渡した。
6、2023年2月28日、「改組三会」の運営委員をやめていたK氏から電話がありました。
K氏の話では、「改組三会」の以前の決定通り(2021年8月27日)、パネルの本来の所有者であるわたしたちの会にパネルを返却する、とK 氏が「改組三会」の斎藤日出治や、「改組三会」をやめたという竹本昇らに「通告」(K氏のことば)した、ということです。
K氏の説明によれば、2021年9月8日、竹本昇が、パネルは「改組三会」のものである、というメールを発信したのは、竹本昇が独断でしたことであり、「改組三会」で決定したことではない、ということでした。
7、2023年3月7日、金靜美がK氏から、パネルを受け取りました。
わたしたちの会のパネルは、個人がかってに誰かに貸与したり、所有を移転したりできるものではありません。
竹本昇は、わたしたちのパネル返還要請を拒否した2021年4月30日から、パネル盗奪者となり、そのご、パネルは、「改組三会のものであることは、改組三会の会議で決めたこと」と強弁しました。
竹本昇がパネルをなぜ、どのような過程を経て「改組三会のもの」としたのか、わかりません。
しかし、わたしたちの会の『会報』郵送用封筒を盗用した斎藤日出治は、わたしたちのパネルを返却しないという竹本昇に同調し、K氏を除いて、他の「改組三会」の運営委員という人たちは、パネルが「改組三会のもの」であるという竹本昇に異議をとなえなかったようです。
パネルにかんする事実はかんたんで、明瞭です。
わたしたちの会は、竹本昇にパネルの預かりを依頼し、竹本昇が会をやめた時点で、パネルの返却を要請しました。 返却を拒否した竹本昇は、わたしたちのパネルの盗奪者です。
あきらかな盗奪を傍観することは、盗奪という犯罪への共犯者です。
わたしたちは、「改組三会」に協力する人たちを、日本の侵略犯罪を明らかにしようとする民衆運動に敵対する人たちだと断定します。
わたしたちのパネルは、居場所を転々とし、不用品、じゃまもの扱いで、最後は、斎藤日出治が関係する大阪労働学校で、斎藤日出治からK氏に引き渡されました。
パネルは、盗奪者たち、竹本昇や斎藤日出治がわたしたちの会に返すべきものであるとして、わたしたちのもとに戻ってきたのではありませんでした。
竹本昇や斎藤日出治は、じぶんたちにパネルを所有する権利がないことを自覚し、反省して、わたしたちに返したのではありません。
じぶんたちにパネルを所有する権利がないことを自覚し、反省して、わたしたちに返すのであれば、返却をK氏に託すことはなかったでしょう。
わたしたちのパネルは、写真パネルと解説パネルに分かれています。 展示のさいには、それらをセットにしなければなりません。
竹本昇や斎藤日出治をふくむ「改組三会」では、わたしたちのパネルを盗奪していた間、展示を企図したようですが、じぶんたちは写真パネルと解説パネルのセットを作ることができないということがわかったようです。
そのため、いっさいパネル制作にかかわっていないにもかかわらず、斎藤日出治は、K氏に、費用は出すのでパネルを作り直してくれないかと依頼したそうです。
K氏はそれを断ったそうです。
この斎藤日出治のK氏への依頼に、竹本昇や「改組三会」の運営委員たちがどのように関与したかはわかりませんが、盗奪者たちは盗奪したものを本来の所有者に返すどころか、盗奪品に変更を加えようとしました。 かれらの卑劣さには、ことばもありません。
竹本昇は、パネル盗奪の責任を「改組三会」に転嫁し、斎藤日出治は使いこなせないパネルを持っている意味を感じなかったのでしょう。 竹本昇と斎藤日出治、「改組三会」は、パネルをもてあましたのです。 それでも最後まで、かれらは、わたしたちの会に返却するということには進んで賛同しなかったようです。
いま、わたしたちの元にパネルはありますが、竹本昇がパネルの盗奪者であり、斎藤日出治や「改組三会」に協力したものたちが共犯者であることには変わりはありません。
わたしたち、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会・紀州鉱山の真実を明らかにする会・海南島近現代史研究会の名称を詐称し、さらにわたしたちの活動の歴史をも偽造し、竹本昇や斎藤日出治たちは「改組三会」としていますが、わたしたちの会は、「改組三会」とはいっさい関係がないのみならず、 かれらはわたしたちの活動を妨害し敵対していることを、ここで明らかにしておきます。
2023年3月16日
三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・裵相度)の追悼碑を建立する会
紀州鉱山の真実を明らかにする会
金靜美