三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「強制動員、日本企業は被害者と和解し、日本政府は阻止してはならない」

2022年09月14日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/44532.html
「The Hankyoreh」 2022-09-14 11:56
■「強制動員、日本企業は被害者と和解し、日本政府は阻止してはならない」
 [インタビュー]矢野秀喜「強制動員問題解決と過去清算のための共同行動」事務局長 
 
 日本企業の謝罪・基金出資が必要 
 旧新日鉄、日本鋼管、不二越の3社は 
 1997~2000年、慰労金を渡して被害者と和解 
 当時、日本政府も「協定違反」を言わなかった

【写真】「強制動員問題解決と過去清算のための共同行動」事務局長の矢野秀喜さん=東京/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 「これまで韓国の強制動員被害者と日本企業の間に3回の和解があった。当時、日本政府は請求権協定に違反するからやめろと言わなかった」。
 行き詰まった韓日関係を改善するためにはどうすればいいのか。30年近く韓国人被害者・遺族の進めてきた戦後補償訴訟を支援してきた日本人活動家が口を開いた。 
 「強制動員問題解決と過去清算のための共同行動」事務局長の矢野秀喜さん(71)は6日、本紙とのインタビューで、関係改善のために越えなければならない大きな山である強制動員被害者問題に関して、「1965年の請求権協定で歴史問題がすべて解決されたということは話にならない」と述べ、日本の誠意ある対応を重ねて訴えた。
 矢野さんは「協定に、請求権と関連して『最終的で完全な解決』と書かれてはいるが、実際はそうではなかった」とし「原爆被爆者、サハリン残留者、日本軍『慰安婦』被害者など、日本政府自ら様々な措置を講じてきた。また、韓国の被害者から訴訟を起こされた日本企業のうち3社は和解を選択した」と述べた。韓国政府がこの問題を解決するために苦心していることについても「被害者が納得できる方案として解決されることが最も重要だ。被告企業の謝罪と基金出資が必要だ」と強調した。

-韓国政府が主導した官民協議会が第4回会議を最後に議論を終えた。まだ具体的な解決策は公開されていないが、「第3者による代位弁済」(債権者の同意の有無と関係なくひとまず第3者が債務者と約定を結び一旦債務を返済すること)が有力視されている。
 「『現金化』を回避するためだけの代位弁済は意味がない。2回にわたって官民協議会に参加した原告側の弁護士たちが主張した通り、被告企業の謝罪と基金出資が必要だ。20~30年にわたる法廷闘争を通じて最高裁判決を受けた。被害者が納得できる方案として解決されることが最も重要だ。三菱重工業強制動員被害者のヤン・クムドクさんも最近、パク・チン外交部長官に会い、『日本の謝罪を望む』という内容の手紙を伝えたと聞いている」。

 -この問題を解決するためには、日本企業の謝罪と基金への参加が必要だ。岸田政権が受け入れる可能性はあるか。
 「率直に言って悲観的だ。ただ、岸田首相も大局的に考えなければならないのが、今の東アジア情勢だ。米中対立、ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮の核・ミサイル開発など東アジアは非常に不安定な状況だ。日米韓が協力することは重要だが、中国・ロシア・北朝鮮に対する対抗を固着化させるより(緊張緩和のために)仲裁をしなければならない。このような役割を果たせる国は日本と韓国しかない。日韓関係を緊密にするためには、強制動員被害者などの懸案を解決しなければならない。岸田首相も真剣に考えるしかないだろう」。

-日本の世論はどうか。
 「日本のマスコミや世論も、今のような悪化した日韓関係が良いとは思っていない。しかし、日本が譲歩して関係を改善していくことには否定的だ。1965年の日韓請求権協定で強制動員被害者など歴史問題が解決されたという考えが強い。また、2015年に日韓慰安婦合意を韓国が一方的に覆したとみているため、韓国が先に解決策を提示しなければならないという意見が多い。特に2015年の慰安婦合意が事実上破棄され不信が大きくなった。請求権協定は遠い昔だからよく分からないが、2015年(の慰安婦合意)は国民がよく知っている。日本政府の対応も大きな問題だったが、韓国政府も適切な対応ではなかったと思う」。

 -韓国では請求権協定で歴史問題が解決されたとは考えていない。
 「1965年の協定で歴史問題がすべて解決されたということは話にならない。協定に請求権と関連して『最終的で完全な解決』と書かれてはいるが、実際はそうではなかった。代表的なのが原爆被爆者問題だ。1978年、日本の最高裁判所は原爆症治療を受けるために韓国から日本に密航したソン・ジンドゥ氏に対して治療を受けられるよう認めた。原爆被害者だけでなくサハリン残留者、日本軍『慰安婦』被害者など、日本政府自ら様々な措置を講じてきた。また、韓国の被害者から訴訟を起こされた日本企業のうち3社は和解を選択した」。

 -実際、1997年(旧新日鉄)、1999年(日本鋼管)、2000年(不二越)、日本企業と韓国の強制動員被害者の間で慰労金を支給する和解が3回実現した。どうやって可能だったのか。
 「いくつかの要因があった。被害者たちは日本の裁判所で敗訴したが、企業が犯した不法行為は認められた。例えば裁判所は、不二越(現在強制執行手続きが進行中)に対して『学校に通える』などの言葉で10代少女たちをだまして強制連行したと判断した。これを根拠に被害者と支援団体などが企業に責任をとるよう求めた。企業に社会的な厳しい目が注がれた。1995年の『村山談話』や1998年の日韓パートナーシップ共同宣言(金大中-小渕宣言)などから分かるように、当時は日本政府が侵略戦争や植民地支配に対して反省し、謝罪を表明した時期でもある。このような社会的雰囲気により、企業も“安心して”和解することができたのだと思う。 当時、日本政府は請求権協定に違反するからやめろとは言わなかった。2012年には新日鉄の株主総会でも、経営陣は強制動員被害者裁判と関連して『法を守るべきだ。判決が下されれば従わなければならない』と述べた。ところが、いざ韓国最高裁の判決が下されると、1965年の協定で請求権は最終的に解決されているというふうに言葉を変えた」。

【写真】2018年11月、韓日の市民団体活動家と強制動員被害者訴訟弁護人たちが、韓国最高裁の損害賠償判決履行を求める要請書と被害者4人の写真を持ち、東京の日本製鉄本社に向かっている。左端が矢野秀喜さん=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

-日本の態度が変わった理由は何か。
 「安倍晋三元首相の影響が大きいと思う。安倍元首相は歴史修正主義の立場に立って、村山談話、日韓パートナーシップ宣言を実質的に反古にしようとした。7年8カ月にわたる長期政権が成立し、その間、日本社会の空気が大きく変わった。経済的に韓国が非常に発展したことも、日本が譲歩しない雰囲気に影響を与えたようだ。先に述べたとおり、2015年の日韓慰安婦合意を韓国政府が事実上破棄したことも世論に悪影響を与えた」。

-日本政府が呼応せず、韓国でも解決策づくりが難航すれば、結局「現金化」と結論が出る可能性が高い。
 「現金化が強行された場合、いずれにせよその責任は韓国最高裁の判決を履行しなかった日本企業と、これを妨害した日本政府にある。ただ、個人的には現金化が良い結論だとは思わない。原告たちは被告企業と日本政府に謝罪と賠償を要求してきた。強制執行される現金化は、謝罪や賠償の意味よりもただお金が支払われるにすぎない。1990年代~2000年に3つの和解事例があっただけに、日本企業と被害者が直接会って対話し、解決法を模索するのも良い方法だ。当時は企業の自主的な判断が認められた。日本政府に対し、かつては容認されたのになぜ今では請求権協定を掲げてだめだと言うのか、理由を追及する予定だ」。

-27年にわたり強制動員被害者を支援しこの問題の解決に努めてきたので、誰よりも複雑な気持ちなのではないか。
 「2018年10月、最高裁で勝訴した時、飛びあがるほど嬉しかった。その一方で涙が出た。1997年から闘い始め、最高裁判所の判決まで21年かかった。ヨ・ウンテクさん、シン・チョンスさん、キム・ギュスさんが亡くなった。とても悔しかった。ヨ・ウンテクさんは新日本製鉄から受け取れなかった賃金、貯蓄について『あれは私が青春をかけて働いた証拠だ。あのお金があれば牛を何頭か買うことができた』とよく話していた。被害者たちは強制労働を強要されただけでなく、解放後にも大きな傷が残ったのだ。韓国の最高裁判決で長い闘いが終わると思ったが、それからすでに4年も過ぎている。一人で残されたイ・チュンシクさんが解決の日を見られるよう闘い続ける」。

◆矢野秀喜さん|「強制動員問題解決と過去清算のための共同行動」事務局長。27年にわたって強制動員被害者の訴訟を支援し、日本政府・企業に謝罪と賠償・補償を要求する日本の活動家。1995年、東京の地方公務員として働きながら労働運動に取り組んでいた頃、日本製鉄釜石製鉄所の強制動員被害者遺族が起こした訴訟を支援してほしいという要請を受け、「日本人として申し訳ない気持ち」からこの問題に飛び込んだ。以後、日本国内の訴訟だけでなく韓日を行き来しながら、集会、記者会見、シンポジウムなどを主導し強制動員被害者問題解決に努めている。韓日強制併合100年だった2010年には、親日清算の先頭に立った故イム・ジョングク氏(1929~1989)の意志を称える第4回イム・ジョングク賞を受賞した。当時「強制併合100年共同行動日本実行委員会」で活動し、日本の植民地支配と侵略戦争に対する反省を促した。

東京/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1058340.html
韓国語原文入力:2022-09-13 19:26
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