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三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「光州での虐殺目撃者「彼らは市民軍ではないと止めたのに…軍人が国民を撃つなんて」」

2021年05月18日 | 韓国で
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/40016.htm
「The Hankyoreh」 2021-05-18 10:20
■光州での虐殺目撃者「彼らは市民軍ではないと止めたのに…軍人が国民を撃つなんて」
 [光州民主化運動41周年] 
 チュナム村虐殺目撃者キム・ジョンファさん

【写真】1980年5月、光州チュナム村の近くで花卉農園を営んでいたキム・ジョンファ代表=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 「構え!」。
 無線機を持った将校がミニバスを見ながら命令した。1980年5月23日午前、光州(クァンジュ)から和順(ファスン)に行く途中にあるチュナム村前の道路を、17人乗りの小型バスが通っていた。
 将校が短く太い声で「射撃開始」を指示した。
 豆を炒るような銃声が聞こえた。道路の両脇に待ち伏せしていた戒厳軍が、ミニバスに向かって発砲した。パンクしたバスが道路の反対側の端で横に倒れた。兵士らは再び2~3分間、集中射撃を浴びせた。それから「バン、バン、バン」という音が聞こえた。「確認射殺」をしているようだった。
 チュナム村の近くで花卉(かき)農園を営んでいたキム・ジョンファさん(74)は集団虐殺を目撃した証人だ。慶尚南道馬山(マサン)出身の彼は、1977年12月、軍隊同期の勧めで光州に移り住んだ。事件が発生する直前、キムさんはビニールハウスを訪れた大尉階級章をつけた空輸部隊将校1人と無線兵に会った。大尉は彼に「不審な者たちが通るのを見なかったか」と尋ねた。
 キムさんが「ああ、そんなの私にはわかりませんよ」と答えると、彼は「故郷は慶尚道なのか」と尋ねた。自分も「同じ故郷」だという将校に向かって、キムさんは「あの人たちは(市民軍ではなく)家に帰る人たちです」と叫びながら止めたが無駄だった。

【写真】1980年光州民主化運動当時、市民たちが錦南路で軍人たちと対峙している姿。右側は市民軍のトラック=5・18記念財団提供//ハンギョレ新聞社

 この日のミニバス銃撃事件の発生時刻は午前8時10分から20分だ。キムさんは「『朝ごはんにしよう』という小学校教師の妻に『出勤しないのか』と聞いたら、『休校令が出された』と言われたので、時間を正確に覚えている」と語った。
 兵士らは、ミニバスの中から遺体を引き出し、道路の向かい側の排水路に投げた。キムさんは5月25日、空輸部隊の大尉に「遺体が投げだされるのを見た。怖くて暮らせない。遺体を確認し、家族が処理できるようにしてほしい」と訴えた。最初は聞く耳を持たなかった大尉はキムさんに兵士10人を警護に付け、「早く(遺体を)処理するよう」指示した。

【写真】1980年5月23日、ミニバス銃撃事件で亡くなったキム・ユンスさんとコ・ヨンジャさん//ハンギョレ新聞社

 仮埋葬の現場は悲惨だった。5~10センチほど土とむしろをかぶせて埋葬した遺体10柱(女性2人)は腐敗臭がひどく、うじ虫がわいていた。ほとんどの遺体には数発から数十発の銃傷が残っていた。
 キムさんは近くに住んでいた後輩のCさんと共に排水路に行き、持ち物から3人の連絡先を見つけた。1人の女性の遺体からイルシン紡織の社員証が出てきた。キムさんは5月27日、新軍部の鎮圧作戦が終わった後、同社を訪ね、彼女の死亡事実を伝えた。故郷の和順に向かう途中に死亡したイルシン紡織の女性労働者、コ・ヨンジャさん(当時26歳)は、キムさんが知らせたおかげで、遺体だけは家族のもとに戻った。キムさんは「工場が稼働中止になって、家に帰る途中でそんな目に遭ったのだから、さぞかし無念だっただろう」と話した。コさんはミニバスを運転していたキム・ユンスさん(当時27歳)と1983年に霊魂結婚式(死後結婚)を挙げた。光州民主化運動当時、チュナム村バス集団銃撃虐殺事件は少なくとも5件(5・18真相究明調査委員会発表)発生し、少なくとも17人が死亡(戦闘教育司令部状況日誌)したが、これまで遺体が見つかったのはコ・ヨンジャさんやキム・ユンスさんら12柱だけだ。

【写真】5・18民主有功者遺族会のチョン・スマン元会長が、チュナム村で1980年5月23日に射殺された市民の慰霊碑を見ている=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 錦南路で花屋も経営していたキムさんは、戒厳軍のむごい虐殺現場を目撃して憤った。5月21日、旧労働庁付近で被弾して倒れたある青年(キム・ヨンピョさん、当時22歳)の遺体も担架で運んだ。死を覚悟したのか、青年のズボンの後ろポケットには住所と個人情報が書かれたメモ用紙が入っていた。キムさんは「無念の魂の供養になればと思い、つぼみの花を棺にたくさん入れた」と話した。棺と共に青年の両親を乗せて潭陽(タミャン)に向かっていたキムさんのトラックは、旧光州刑務所前で戒厳軍の銃撃を受けた。結局、青年の遺体はその日、無等山(ムドゥンサン)に臨時に埋葬され、後日望月洞(マンウォルドン)墓地に移された。

【写真】釜馬抗争の象徴的人物である故キム・ジョンチョル氏の生涯を描いた本//ハンギョレ新聞社

 正義感が強いのは血筋なのかもしれない。今月10日、光州市北区竜頭洞(ヨンドゥドン)のスマートファーム農園で会ったキムさんは「兵士が国民を銃で殺すなんて、そんなむごいことがあっていいのか」と語った。1979年10月に釜山(プサン)・馬山(マサン)で起きた釜馬抗争の象徴的人物である故キム・ジョンチョルさん(1955-97)は、彼の弟だ。1975年に高麗大学法学部に入学した弟は休学後、馬山の実家に帰ってきたが、釜馬抗争に参加し、拷問の後遺症に長く苦しんだ。がん闘病の末、42歳の若さで亡くなった。キムさんは弟の生涯をまとめた『キム・ジョンチョル、彼の時代そして友人たち』(非売品)という本を記者に渡し、「残酷な蛮行を犯した光州民主化運動の加害者たちは厳しい審判を受けるべきだ」と語った。
チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/995629.html
韓国語原文入力:2021-05-1804:59


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/40014.html
「The Hankyoreh」 2021-05-18 08:32
■光州の5月、民主と統合を叫ぶ
 5・18光州民主化運動から41年 
 追悼祭など各所で行事 
 「国民の力」の二人の議員、初の公式招待

【写真】41年目の5・18民主化運動記念日を翌日に控えた17日、光州市北区の国立5・18民主墓地で開かれた追悼祭に遺族会の招待で参加した「国民の力」のソン・イルジョン議員(左端)とチョン・ウンチョン議員が遺族と会っている/聯合ニュース

 17日、光州北区(クァンジュ・プック)の国立5・18民主墓地で、5・18遺族会主催の第41周年追悼祭が開かれた。追悼式には「国民の力」所属のチョン・ウンチョン、ソン・イルジョン議員が、保守系政党議員としては初めて遺族会の招待で出席し、注目を集めた。
 5・18民主化運動記念日(5月18日)を翌日に控え、国立墓地に眠る5月光州民主化運動の英霊を偲んで毎年行われる追悼債で、5・18遺族会のキム・ヨンフン会長は「41年がたった今でも5・18の真実は完全に明らかになっていない。与野党と全国民が力を合わせ、5・18の真相究明に力を貸してほしい」と述べた。
 5・18団体が公法団体に転換(設立)するの可能にした「5・18民主有功者礼遇および団体設立に関する法律」の可決に協力した点を評価され、追悼祭に招待されたチョン・ウンチョン議員は「追悼祭に招待してくださったことに感謝したい。今回の追悼式が『国民統合』の第一歩になることを願う」と明らかにした。ソン・イルジョン議員も「光州の犠牲がなかったら、自由な空気を吸うことはできなかった」とし「今後も国民の力が光州、全羅道地域に歓迎されるよう力を尽くす」と述べた。
 この日午後7時30分~夜10時、光州5・18民主広場など錦南路(クムナムロ)一帯では前夜祭が開かれた。「5月時代と目を合わせ、世代と足並みをそろえる」をテーマにした前夜祭では、ミャンマーや香港など現在進行形のアジアの民主化闘争を見通し、1980年5月の光州を再現して称える演劇・公演が行われた。特に、フランス革命を背景にしたミュージカル『レ・ミゼラブル』の公演チームが光州を訪れて公演し、注目を集めた。
 木浦(モッポ)、羅州(ナジュ)、和順(ファスン)、霊岩(ヨンアム)など全羅南道の各地でも5・18光州民主化運動から41年目を記念する行事が続いた。この日午前11時、務安郡三郷邑(ムアングン・サムヒャンウプ)の全南道庁前広場で開かれた5・18記念式で、ムン・ギョンシク記念行事委員長は「新軍部の内乱に立ち向かった光州を支援するため、木浦、羅州、和順、霊岩など全羅南道の各地から武器を持ってデモに向かうなど大同団結した」とし「現代史の節目のたびに奮然として立ち上がった南道の伝統を受け継いでいこう」と述べた。

【写真】17日、保守系団体「ターンライト」がミン・ビョンドゥ、ソル・フ、イ・ヘチャンら前・現職議員の顔を載せた横断幕を設置し、「5・18有功者名簿の功績内容を公開せよ」との集会を開いている=キム・ヨンヒ記者

 「『5・18は北朝鮮軍が犯した犯罪行為』と妄言を述べた教授に代わって謝罪したい」として、慶尚北道慶州市(キョンジュシ)の威徳大学総学生会所属の学生15人がこの日光州を訪れ、5・18自由公園(旧尚武台営倉)を訪問し、国立5・18民主墓地を参拝した。また、大邱からは518番の市内バスがこの日から23日までの1週間、正面に「達光同盟(大邱と光州の連帯)で共存・協力する大邱-光州」「平和で一つになる5・18民主化運動」「2・28と5・18で一つになる大邱-光州」などのスローガンを掲げて運行する。
 政界はこの日、それぞれ異なるメッセージを発した。共に民主党のソン・ヨンギル代表は、党最高委員会で「最後まで道庁を死守し、民主主義のために闘って亡くなった多くの方々の犠牲を忘れない」とし「5・18は大韓民国の民主主義を守る力」と強調した。
 国民の党のキム・ウンヘ議員は「改憲をするなら、5・18精神を憲法前文に入れるべきだ。いつか憲法を改正するとき、韓国が継承する誇らしい歴史遺産として4・19の隣に5・18が並んで置かれることを願う」と主張した。一方、野党の大統領選候補であるユ・スンミン前議員は「5・18精神は韓国の憲法第1条にある民主と共和の精神」とし、「文在寅(ムン・ジェイン)大統領とともに民主党が過去4年間、5・18精神を損ねてきた」と批判した。
キム・ヨンヒ、アン・グァノク、ペ・ジヒョン、キム・ギュヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/995627.html
韓国語原文入力:2021-05-1804:59


http://japan.hani.co.kr/arti/politics/40010.html
「The Hankyoreh」 2021-05-18 07:15
■5・18光州抗争、市民軍を強制収容所「三清教育隊」に送ったという文献を確認
 光州警察署と全南合同捜査団の通信文を入手 
 当時、デモ参加者43人を暴力団だとでっち上げ 
 青松監護所に連行された市民も 

【写真】光州警察署(現光州東部警察署)と全南合同捜査団がやりとりした通信文に、5・18有功者を三清教育隊での教育対象者と判定したとの記録がある//ハンギョレ新聞社

 5・18光州民主化運動のとき、全斗煥(チョン・ドゥファン)新軍部勢力がでデモに参加した市民を暴力団だとでっち上げ、三清教育隊に送っていたことが分かる文献が発見された。三清教育隊に連行された5・18有功者の一部は、青松(チョンソン)監護所にまで連行されていた。新軍部勢力が5・18有功者を組織的に三清教育隊に入所させたのかどうか、真相調査が必要だという指摘が出ている。
 本紙の17日の取材の結果、1980年の5・18光州抗争後に、光州・全羅南道地域の43人の5・18有功者が三清教育隊に入所させられていたことが確認された。5・18の捜査を担当していた全南合同捜査団と警察は、5・18有功者を銃器所持者とみなしたり暴力行為と無理に関連づけたりして、三清教育隊での順化教育の対象者とした。これらの内容は、本紙が確保した光州警察署(現光州東部警察署)と全南合同捜査団がやりとりした通信文に書かれている。

【写真】全斗煥政権の代表的な人権侵害事件として挙げられる、三清教育隊による人権蹂躙の現場=資料写真//ハンギョレ新聞社

 全斗煥新軍部勢力は1980年8月、不良勢力の掃討を大義名分として「三清計画5号」を実施し、3万9742人を三清教育隊に入所させた。入所対象者の中には「全斗煥を誹謗した者、または虚偽事実の流布者」や「5・18デマ流布者」も含まれていた。A級は監獄に送り、D級は訓戒処分とした。しかし、B、C級と判定された人は全国25の部隊に分けられて収容され、4週間の順化教育を受けた。また、三清教育隊に連行された5・18有功者の一部は、順化教育後も再犯の恐れがあるとの理由から、改めて慶尚北道青松の保護監護所に連行された。
 光州のKさん(1959年生まれ)も、5・18デモ参加者という理由で三清教育隊に連行された。1980年5月22日にデモに参加し、戒厳軍に殴られて怪我をしたKさんは、同年8月にソウルへ行った際に、麻浦(マポ)警察署の刑事たちに不審尋問を受けた。刑事たちは「光州から逃げてきた者」としてKさんを5日間拘禁し、「銃はどこに隠したのか」などと言いながら殴打した。
 Kさんは8月12日ごろ、京畿道漣川(ヨンチョン)にある三清教育隊に引き渡され、4週間の遊撃訓練教育を受けた。その後、三清勤労奉仕隊に連行され、6カ月間にわたって政府による工事などに強制投入された。1981年12月2日に慶尚北道青松の第1保護監護所に移送されて拘禁されたKさんは、1982年11月16日の出所後、精神疾患を発症した。

【写真】三清教育隊犠牲者の家族が2006年9月、ソウル汝矣島の国会前で行われた第1回犠牲者追悼式で献花し、涙を流している。彼らは、三清教育隊の死者は民主化関連者と認められ、名誉を回復し、適切な賠償を受け取るべきだと述べた=資料写真//ハンギョレ新聞社

 Sさん(1959年生まれ、潭陽郡(タミャングン))は1980年8月に光州東部警察署に逮捕され、保安隊で取り調べを受けた。警察はSさんを「光州騒擾の羅州(ナジュ)方面の責任者で、銃器などを携帯し、入営を忌避した者」と分類し、9月18日に5・18の捜査を担当していた全南合同捜査団で「訓戒措置し、三清計画に回付」の決定を下した。Sさんは9月30日ごろに京畿道抱川(ポチョン)の軍部隊に連行された後、地獄のような三清教育隊生活を送った。Sさんは同年10月末ごろに京畿道のある部隊に移され、バンカー施設作業などを行っていたが、1981年10月末ごろに出所し、帰宅した。
 5・18民主有功者遺族会のチョン・スマン前会長は、「5・18有功者を『暴徒』とした全斗煥新軍部勢力が、5・18以降、5・18有功者やデモ参加者を三清教育隊に連行した人権蹂躙(じゅうりん)事案について、真相調査が必要だ」と述べた。
 一方、最高裁は2018年12月、全斗煥政権による三清教育隊の設置と運営の根拠となった戒厳布告第13号について、発令の手続きと内容のすべてが違憲・違法であり、無効とする決定を下している。
チョン・デハ、キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/995612.html
韓国語原文入力:2021-05-17 20:33


https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210518001400882?section=news
「聯合ニュース」 2021.05.18 11:01
■光州民主化運動から41年 記念式典で「国民統合」強調=韓国
【ソウル聯合ニュース】1980年に韓国南西部・光州市で民主化を求める大規模なデモが起こり、軍の発砲で多くの犠牲者が出た「5・18民主化運動(光州事件)」から41年となる18日、同市内の国立5・18民主墓地で記念式典が開かれた。

【写真】式典で国旗に敬礼する出席者=18日、光州(聯合ニュース)

 光州民主化運動当時、新軍部勢力の権力掌握を拒否した市民が立ち上がり民主化を要求したが、軍の発砲などにより約200人に上る犠牲者が出た。
 式典は新型コロナウイルスの感染防止のため、金富謙(キム・ブギョム)首相や与野党の執行部、犠牲者の遺族ら例年より少ない99人が出席した。光州民主化運動の精神を継承し、国民の統合を目指すメッセージを伝えた。
 金氏は演説で、「(光州民主化運動の)精神を国民統合の精神として継承していきたい」と強調。「まだ見つかっていない遺体、発砲責任者の究明など、突き止めなければならない真実が多くある」として、「完全な真実が究明されるまで決してあきらめない」と力を込めた。また、ミャンマーで国軍によるクーデターに抗議する市民への弾圧が続いていることに言及し、「ミャンマーだけでなく世界のどこであれ、民主主義を踏みにじる勢力に抵抗する市民が光州と共に必ず勝つことを望む」と述べた。


https://japanese.joins.com/JArticle/278750?servcode=200&sectcode=200
「中央日報日本語版」2021.05.18 11:06
■文大統領「5・18民主主義、ろうそく越えてコロナ克服の力に」
 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は18日、5・18民主化運動(光州事件)41周年を迎えて「民主と人権、平和の五月はきのうの光州(クァンジュ)に留まらないで、あすへ、世界へと、一歩一歩力強く進むだろう」と強調した。
 文大統領はこの日午前、SNSに「きのうときょうに留まらない五月だ」とする文章を通じて「五月の民主英霊を深く賛え、残酷な時間に打ち勝ってきた負傷者と遺族に尊敬と慰労を捧げる」と明らかにした。
 文大統領は「再びわれわれの五月光州だ。5・18民主墓地と望月公園墓地に向かう道に白飯のような白いヒトツバタゴの花が咲いているに違いない」としながら「市民軍、おにぎり、負傷者を運んだタクシー、列をなした献血。共に隣人を守り助けようとした心が民主主義」と強調した。あわせて「きょう、その心がろうそくを越えてわれわれの誇らしい民主主義となり、コロナを克服する力になったことをありがたく心に刻む」とした。
 文大統領は「光州の真実が最後に向かって近づいている」とし、真相究明と名誉回復の進展を評価した。続いて「希望の五月は真相究明と名誉回復で開かれる」とし「昨年、『5・18民主化運動真相究明調査委員会』が人権蹂躪(じゅうりん)と暴力、虐殺と密葬事件などを本格的に調査し始めた」とした。あわせて「今年3月には戒厳軍が遺族に会って直接許しを請う和解と癒やしの時間があった」と付け加えた。
 続けて「先週、市民に対して機関銃と狙撃兵まで配置して照準射撃したという戒厳軍将兵の勇気ある証言が伝えられた」とし「このようにわれわれは光州の真実、その最後に向かって近づいている。真実から目をそらさない方々に心から感謝する」と伝えた。
 文大統領は「われわれは五月光州と共にする。旧全南(チョンナム)道庁の建物を1980年当時の姿に復元するための基本計画を終えた」とし「パク・ヨンジュン烈士は謄写原紙に鉄筆で原稿を清書し、光州市民の情報誌『闘士会報』を作った。戒厳軍の銃が奪い取った彼の人生が『パク・ヨンジュン体』を通じてわれわれの懐に帰る。民主主義を新たに開く未来世代のための五月の贈り物」と強調した。
 文大統領はまた「私たちはきょうのミャンマーできのうの光州を見る」とし「五月の光州とヒンツペーターの記者精神がミャンマーの希望になることを切実に願う」とした。


https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210518000900882?section=news
「聯合ニュース」 2021.05.18 09:54
■光州民主化運動から41年 真相究明・名誉回復強調=文大統領
【ソウル聯合ニュース】1980年に韓国南西部・光州市で民主化を求める大規模なデモが起こり、軍の発砲で多くの犠牲者が出た「5・18民主化運動(光州事件)」から41年となる18日、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は自身の交流サイト(SNS)で事件の真相究明に向け昨年に発足した「5・18真相究明調査委員会」に言及し、「委員会が人権じゅうりんと暴力、虐殺、(遺体)埋葬事件を本格的に調べ始めた。今年3月には戒厳軍が遺族に会い、直接許しを請うた」として「希望の5月は真相究明と名誉回復で切り開かれる」と書き込んだ。

【写真】昨年、5・18民主化運動から40年を迎えて開かれた式典に出席した文大統領=(聯合ニュース)

 また、「先週には市民に向けて機関銃と狙撃兵まで配備し、照準射撃を行ったという戒厳軍将兵の勇気ある証言が伝わった。真実から目を背けなかった方々に心から感謝する」とし、「われわれは光州の真実、その最後に近づいている」と強調した。
 また、ミャンマーで国軍によるクーデターに抗議する市民への弾圧が続いていることに触れ、「きょうのミャンマーにきのうの光州を見る。光州がミャンマーの希望になることを切に望む」と述べた。
 文大統領は就任後、2017年と19年、20年に光州で開かれた記念式典に出席したが、今年は出席しなかった。