三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

2016年春、海南島で 1

2016年04月23日 | 海南島近現代史研究会
 きょう(4月23日)朝から、5月4日までの予定で、紀州鉱山の真実を明らかにする会としては1998年6月いらい29回目、海南島近現代史研究会としては2007年9月~11月いらい16回目の海南島「現地調査」をはじめました。
 はじめに、儋州市白馬井鎮を訪ねました。
 白馬井には、日本海軍横須賀第4特別陸戦隊の守備隊本部があり、日本海軍海南警備府の「陸上部隊兵力配備要図」によると1942年10月の時点で34人が「駐屯」していました。
 これまで、わたしたちは、白馬井を2度、訪問しました。写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』(紀州鉱山の真実を明らかにする会制作、写真の会パトローネ刊、2007年2月)の50頁の「白馬井」をみてください。

 朝10時前に白馬井の古い井戸の跡に着きました。この井戸は白馬井の地名のもとになっている明時代の井戸でした。
 この井戸の近くに廟が建てられていました。そこで羊壽宏さん(1941年生)に話を聞かせてもらいました。
 そのあと、その場にいた人が日本軍占領期のことをよく知っている人がいるというので、案内してもらいました。その人は王達栄さん(1927年、あるいは1928年生)さんで、白馬井に日本軍がつくった日本学校に通い、卒業後海口に日本軍がつくった中学校で日本語教師となる「教育」を受けたことのある人でした。11時から12時20までくわしく話を聞かせてもらったあと、その場にいたひとに、日本軍が白馬井につくった日本学校の跡に案内してもらいました。そこは、もう一つの明時代の井戸のそばにつくられていた廟でした。
 そのあと、日本軍の不発弾が鐘として使われていた小学校を訪ねました。
 その鐘は、いまでも停電時などには使われているとのことでした。

 午後2時過ぎに白馬井を離れ昌江黎族自治県海尾鎮白沙村を訪ねました。わたしたちは、2013年3月28日と29に白沙村で、吉承栄さん、陳徳興さん、吉承栄さん、吉進湖さんなどに話しを聞かせてもらっていました(『海南島近現代史研究』第4号・第5号、77~79頁をみてください)。
 この日、夕刻まで、ふたたび、みなさんにさらにくわしく証言してもらうことができました。証言をくりかえし聞かせていただき、記録することによって、証言の客観性が強化されます。
 
 そのあと、近くの昌江黎族自治県乌烈镇道隆村に行きました。村の中央部に、道隆革命烈士紀念碑がたてられていました。
                                佐藤正人
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