きょう(4月27日)朝8時40分に楽東民族中学を訪問しました。林睿校長が出迎えてくれました。
楽東民族中学では、2014年3月21日から屋外展示「日本侵略海南歴史図片展」(海南省楽東県民族中学制作、海南島近現代史研究会協助)が開催されていました。
わたしたちは、その展示が開始されてから3日後の2014年3月24日に楽東民族中学を訪問し、展示を見にきていた学生たちと交流しました(『海南島近現代史研究』第4号・第5号、89~90頁をみてください)。
2年前に始められた展示のパネルが風雨にさらされながら、いまも継続されていました。一部分が傷んではいましたが。
午前10時半ころ楽東黎族自治県西端の万冲鎮に着きました。ここには日本軍侵略期に日本海軍横須賀第4特別陸戦隊万冲守備隊が駐屯していました。
わたしたちは、2014年3月23日の夕刻に万冲を訪問し、王永光さん(80歳)に話を聞かせてもらったことがありました(『海南島近現代史研究』第4号・第5号、89頁をみてください)。このときには時間がなかったので万冲守備隊の兵舎や望楼の跡をくわしく調査できませんでした。
万冲守備隊本部があったところは、万冲中学校の敷地のなかにありました。
日本軍の兵舎や望楼があった場所のすぐ近くには、当時もあった大きな榕樹が立っていました。
中学校の守衛をしている陳丕毅さん(1963年生)は、その樹にしばしば日本兵は人を吊るして殺したと言い、そのときに太い枝にとりつけた金属の輪の位置を指さしてくれました。その金属の輪は、樹の枝にくいこんで残っていました。陳丕毅さんさんは2子どものとき、日本軍侵略期のことを大人から教えられたそうです。
午後1時過ぎに、張献祥さん(1928年生)に話しを聞かせてもらうことができました。
午後2時半ころ万冲を離れ、西に進み、五指山市番陽鎮・毛陽鎮を経由して瓊中黎族苗族自治県に入り、白沙起義紀念碑のあるところに4時ころ着きました。
その後、紅毛鎮毛西村で王愛文さん(95歳)に話を聞かせてもらいました。
佐藤正人
楽東民族中学では、2014年3月21日から屋外展示「日本侵略海南歴史図片展」(海南省楽東県民族中学制作、海南島近現代史研究会協助)が開催されていました。
わたしたちは、その展示が開始されてから3日後の2014年3月24日に楽東民族中学を訪問し、展示を見にきていた学生たちと交流しました(『海南島近現代史研究』第4号・第5号、89~90頁をみてください)。
2年前に始められた展示のパネルが風雨にさらされながら、いまも継続されていました。一部分が傷んではいましたが。
午前10時半ころ楽東黎族自治県西端の万冲鎮に着きました。ここには日本軍侵略期に日本海軍横須賀第4特別陸戦隊万冲守備隊が駐屯していました。
わたしたちは、2014年3月23日の夕刻に万冲を訪問し、王永光さん(80歳)に話を聞かせてもらったことがありました(『海南島近現代史研究』第4号・第5号、89頁をみてください)。このときには時間がなかったので万冲守備隊の兵舎や望楼の跡をくわしく調査できませんでした。
万冲守備隊本部があったところは、万冲中学校の敷地のなかにありました。
日本軍の兵舎や望楼があった場所のすぐ近くには、当時もあった大きな榕樹が立っていました。
中学校の守衛をしている陳丕毅さん(1963年生)は、その樹にしばしば日本兵は人を吊るして殺したと言い、そのときに太い枝にとりつけた金属の輪の位置を指さしてくれました。その金属の輪は、樹の枝にくいこんで残っていました。陳丕毅さんさんは2子どものとき、日本軍侵略期のことを大人から教えられたそうです。
午後1時過ぎに、張献祥さん(1928年生)に話しを聞かせてもらうことができました。
午後2時半ころ万冲を離れ、西に進み、五指山市番陽鎮・毛陽鎮を経由して瓊中黎族苗族自治県に入り、白沙起義紀念碑のあるところに4時ころ着きました。
その後、紅毛鎮毛西村で王愛文さん(95歳)に話を聞かせてもらいました。
佐藤正人