三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

「現地調査」・聞きとりの意味と方法 4(最終回)

2006年11月26日 | 紀州鉱山
 おわりに

 日帝の侵略によって被害を受けた方がたから証言を聞かせていただくというのは、朝鮮人にとって、日本人にとって、どういうことなのか。わたしたちは、しばしばこの問題を討論してきた。
 
 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、在日朝鮮人運動史研究会編『在日朝鮮人史研究』第27号(アジア問題研究所、1997年9月)に、「紀州鉱山への朝鮮人強制連行」という論文を発表したが、わたしたちは、その副題を「なぜ事実を解明するのか、事実を解明してどうするのか」、とした。

 この問いに、わたしたちは、いまでも答えきれていないが、今後も会員一人ひとりが自分の日常生活のありかたを点検しつつ民衆運動を深めていく過程でより答えに接近していきたいと考えている。
 
 朝鮮にたいする日帝の侵略犯罪を明らかにすることは、日本での調査・研究だけでは十分にできない。
 韓国での共同調査によって、日帝の侵略犯罪をより明らかにすることができる。

 歴史は“清算”することはできない。日本がかつての近代の侵略史を総括せず、反省せず、さらなる侵略国家となっていく時代に、韓国に住む民衆と日本に住む民衆の共同作業の質と力は、さまざまな分野で、さらに深められなければならない。  
 紀州鉱山の真実を明らかにする会が、この文書を公表するのは、そのためである。


付記1

 わたしたちは、共同で調査をした仲間に、その報告書を渡すのは当然であるし、その前後の経過も共有するのは当然と考えている。わたしたちは、これまでは、共同作業者として、鄭惠瓊氏にも、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允氏・相度氏)の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会のおおくの文書、および「紀州鉱山1946年報告書」コピーなどを、直接手渡してきている。
 そのうち、韓国での「現地調査」報告に関するものは、次のとおりである。

 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会『現地調査資料集』Ⅱ、1996年11月。

 佐藤正人「紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の跡をたずねて  支払われなかった退職手当」、『パトローネ』28号、写真の会パトローネ、1997年1月。

 佐藤正人「麟蹄で」、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会『会報』25号、1997年3月。

 金靜美「旌善で」、『会報』25号。

 竹内康人「紀州鉱山への朝鮮人強制連行状況」、『会報』25号。

 斎藤日出治「発足 紀州鉱山の真実を明らかにする会 紀州鉱山の強制連行の実態を調査!」、『パトローネ』29号、1997年4月。

 紀州鉱山の真実を明らかにする会「紀州鉱山への朝鮮人強制連行――なぜ事実を解明するのか、事実を解明してどうするのか――」、在日朝鮮人運動史研究会編『在日朝鮮人史研究』第27号、アジア問題研究所、1997年9月。

 金靜美「強制連行された朝鮮人の故郷と朝鮮人が強制労働させられた地域を結ぶ民衆のきずなを!」『パトローネ』31号、1997年10月。

 崔文子「私の聞きとり体験――紀州鉱山に連行された人々の聞き取り調査に参加して」、『会報』26号、1997年10月。

 佐藤正人「麟蹄と平昌で」、『会報』26号。

 斎藤日出治「江原道平昌を訪れて」、『会報』26号

 斎藤日出治「木本トンネルと紀州鉱山――日本の地域史における国家と企業の役割について」、『大阪産業大学論叢 社会科学編』108号、1998年2月。

 紀州鉱山の真実を明らかにする会「紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の故郷安東・軍威と紀和町で」、『パトローネ』35号、1998年10月。

 金智媛「韓国でのこと」、『会報』28号、1998年10月。

 金思媛「紀州鉱山」、『会報』28号。

 斎藤日出治・金靜美「慶尚北道安東郡・軍威郡の聞き取り調査報告」、『会報』28号。

 三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・相度)の追悼碑を建立する会編刊『紀伊半島・海南島の朝鮮人――木本トンネル・紀州鉱山・「朝鮮村」――』2002年11月。

 また、三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允氏・相度氏)の追悼碑を建立する会のURLアドレスは、http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinomoto/  であり、紀州鉱山の真実を明らかにする会のURLアドレスは、http://members.at.infoseek.co.jp/kisyukouzan/ 
である。紀州鉱山の真実を明らかにする会のURLには、韓国、日本、海南島での「現地調査」の記録・報告を掲載している。


付記2

 ここでは、鄭惠瓊氏の「“紀州鉱山の真実を明らかにする会”と共に行なった記憶探し」と「朴東洛先生と平昌」のなかの軽率な事実誤認・不確かな記憶、あるいは虚言、あるいは誹謗・中傷のわずかな部分に言及しただけである。ほかにも民衆運動を深めるうえで実害のある記述が多いが、鄭惠瓊氏の動機・意図・目的が不明であり、虚言や誹謗・中傷の分析をこれ以上すすめても生産的でないので、とりあえず、最小限のことを記述した。

 2003年12月17日

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