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山本勘助の実在証明する「市河家文書」初公開へ、と2006年11月09日の山梨日日新聞が報じました。 2007春開催の県立博物館特別展だそうです。

信玄側室で勝頼の生母である諏訪御料人と呼ばれた女性すら名前が伝わっておらず、湖衣姫とか由布姫とか作家が命名した名前が使われています。山本勘助は後世の創作とかいう話を私も読んでいましたので、あの信玄公祭りで見る鎧兜なども、どういう出典だろうと思っていました。しかし、「市河家文書」の事を知りましたので、実在した人物だと考えるようになりました。

山本勘助の鎧兜


 武田信玄の軍師・山本勘助の実在を証明する唯一の史料「市河家文書」が、来春の県立博物館特別展「風林火山 信玄・謙信、そして伝説の軍師」(2007年4月6日-5月20日)で、全国に先駆けて初公開されることが決まった。

 同文書は信玄(晴信)が北信濃を支配していた豪族「市河藤若」にあてた書状。信玄と上杉謙信が川中島合戦を繰り広げていた1557(弘治3)年に書かれたものとみられる。戦況を述べた後に、「山本菅助」を使者として送り、詳細を伝えさせるという内容が明記されている。信玄の花押もある。

 同文書は1969年、北海道釧路市の市河家の子孫の家で発見された。当時、勘助についての戦国時代の資料はなく「架空の人物」説もあったため、実在を示す第一級史料として話題になった。現在は同市の会社社長が所有しているが、これまで一般公開したことはない。

 同館の西川広平学芸員は「勘助は謎が多いが、少なくとも武田家臣団に『山本菅助』という人物がいたことを証明する貴重な史料」と話している。

 同展は、来年のNHK大河ドラマ「風林火山」の関連企画。同文書のほか「山本勘助画像」や「上杉家文書」(国宝)などを展示し、勘助の実像と伝説や、川中島合戦について紹介する。山梨を皮切りに新潟、大阪でも開催する。


山本勘助に関係して甲州流軍学とか築城術にも興味があります。これはいずれ記事にしたいと思っています。

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