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平成20(2008)年11月11日付けで内閣総理大臣に認定された甲府市中心市街地活性化基本計画に基づき遂行されている中心市街地活性化事業も、形式的には本日で満2歳になったと言えると思います。

最初はどういう形(システム)でこの事業が進んでいくのか私は分からなかったので、Webページの構成がメチャクチャになってしまったのですが、ようやく私なりに分かってきて甲府市中心市街地活性化のページとして整理することができました。

平成19(2007)年5月22日に第1回の会議から始まった「甲府市中心市街地活性化基本計画策定委員会」は甲府市が設置した委員会でした。平成19(2007)年11月2日、この委員会は検討報告書を市に提出し、基本計画が認定された段階でこの委員会は終了しています。

基本計画策定委員会より早く、平成18(2006)年12月21日の勉強会としてスタートした「甲府市中心市街地活性化協議会」(前身)は平成19(2007)年3月30日、甲府商工会議所議員総会にて、甲府市中心市街地活性化協議会設立が承認されて平成19年4月13日正式に発足しました。
その後は基本計画策定委員会と併行して活動し、基本計画の策定に対して委員会に提言を行なっています。
「合同会社まちづくり甲府」は平成20(2008)年5月30日出資者による設立発起人総会があって設立されました。

平成20(2008)年9月25日に甲府市から協議会に対して甲府市中心市街地活性化基本計画の最終提案の説明が行なわれ、この最終案を国に申請することを全会一致で了承しています。これを平成20(2008)年10月8日付で認定申請を行い11月11日の総理大臣認定になりました。
平成19(2007)年11月の基本計画策定委員会報告から正式な計画申請までに約1年間という時間を要した理由については、私のブログ記事で「2008.02.27 甲府中心市街地活性化が遅れる」にも記録しています。

基本計画認定後、甲府市中心市街地活性化協議会の最初の会議は平成21年3月13日で、ここで初めて基本計画認定57事業の説明が甲府市から協議会に対して行なわれました。この時には、協議会の事務局を甲府商工会議所から「合同会社まちづくり甲府」に移管することも決定されています。

計画認定後、甲府市側では、平成21(2009)年2月に「中心市街地まちづくり会議」を設置して、その委員の任期2年が満了する2011年2月までには報告書が出るようです。

私が未だに分からないのは、甲府市中心市街地活性化事業の司令塔は何処にあるのかということです。
協議会は基本計画策定に提言をしました、提言する者は最終責任者ではない立場にあるから提言するのだと思います。それで私は基本計画策定委員会が、計画決定後は実行委員会に移行するのではないかと誤解していたのです。すなわち、甲府市中心市街地活性化事業の司令塔は甲府市行政の内部にあるのだと考えていました。

現在は「中心市街地活性化協議会」と「中心市街地まちづくり会議」が基本計画認定後も定期的に開催されて計画の進行をチェックしています。だが協議会に中心市街地活性化事業全体の指揮権があるのかどうかは議事録からでは私にはわかりません。その事務局としての「合同会社まちづくり甲府」はホームページから拝見する限りは事務局としての統括的な情報整理はされておられないように見えます。
一方、甲府市ホームページで左バナー列には中心市街地活性化事業ホームページは無く、合同会社まちづくり甲府にリンクされています。この事業の中核だと示しているのでしょうか。そうすると中核組織は協議会だと考えることになります。実は私はそう考えていたのですが、「中心市街地まちづくり会議」の議事録を読むうちに二頭立てで動いている? 更に山梨県庁が御者になって動いている別な馬車があるように思えます。その県庁でも教育委員会は県立大と一緒に別な馬車を走らせていて・・・「船頭多くして・・・」という諺が思い出されるのです。「合同会社まちづくり甲府」がある事すら知らない委員がこのまちづくり会議にはおられたのです。これには驚きました(^o^)

基本計画当初の57事業は追加事業も認定されて現在は62事業となっていて、その事は甲府市中心市街地活性化基本計画ページに資料があります。事業の進行状況は「中心市街地まちづくり会議」の議事録から読むことができます。甲府市サイトにはこの「会議」について統括的なページが見つからないので私のWebページで議事録を整理してみたいと思っています。

『中心市街地の活性化に関する施策を総合的かつ一体的に推進するための基本的な計画』中心市街地の活性化に関する法律 第九条)が粛々と進行しているのですから、「中心市街地まちづくり会議」が誰に対してどのように報告をするのかにより、司令塔の位置も明確に見えるかも知れません。62事業の事業主体は山梨県庁をはじめ民間企業を含めて多岐に渡っています。一国一城の主である二十四将を束ねて戦いを勝利に導く人はどこにおられるのか、議事録や報告書からそれを読み取れる能力が私にあるかどうか不安ですが・・・



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