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2009年4月16日の午後3時から、国史跡「武田氏館跡」保存整備事業の一環として、その第一段階となる「大手門東史跡公園」のオープニングイベントが行なわれました。このことは甲府市サイトの広報で知り、「武田氏館跡大手門東史跡公園の公開」と記事にしていましたので出かけて来ました。

私が到着した時には式典も終わる頃になっていましたがテープカットには間に合いました。
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その後、甲府市教育委員会の職員の方のご説明を聞きながら散策会となりました。武田氏時代の三日月堀ではなく石塁を復元したのは、この史跡公園で復元した土橋(※)、石段、土塁なども石塁と同時期の構築なので時代的な統一も考慮されたとのことでした。これまで私の記事にも残したように、石塁と三日月堀とは位置的に重なっています。今後は三日月堀の位置をどのように示すかという課題が残っているとのお話でした。

(※ 三日月堀見学会の時に鍛冶小路から大手口に渡る橋は木橋と私は理解していたのですが、両方とも土橋でした)

090416_405 石塁の上には建物があって武田館の大手門を守っていたものです。ここは相川の扇状地なので傾斜地であり、建物の土台として水平にするために石積みの高さが違っているのだというお話もありました。

武田神社側(大手門側)から見ると石塁の構造は写真のようになっています。この上に建物が建っていたのです。

これから先のことになりますが、この公園は日差しを遮るものがありませんから夏は暑いと思います。ベンチのようなものとかトイレ、水飲み場なども未だありません。というか、史跡公園としてそういうものを設置できるかどうかも判りませんが、今後、北側の御隠居曲輪や、藤村記念館跡地の西曲輪、南の梅翁曲輪などを整備していく計画の中で、そういう施設の配置などが考慮されるものと思います。
そういえば藤村記念館は甲府駅北口に移築中ですが、跡地の西曲輪に未だ資材が残っているので更地にはなっていません。
武田氏館跡整備事業に関する以前のイベントでお顔を存じている教育委員会職員の方が、今日も熱心にご説明になっておられました。私もいろいろお尋ねして勉強させていただきました、ありがとうございました。



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