「国岡の歴史」でも「入が池」がしばしば登場します。入が池(入の池)について伝承も含んでみておくことにしましょう。
(入が池は、東の方にありますが北山に属しています)
「入が池」の名について
『印南野文華(第5号)』に「入が池」名について、石見完次は面白い説明をされています。
①「鳰(にお)の池」が語源か?
「入の池」というのは、「鳰(にお)の池」のことであろう。
琵琶湖も別名、「鳰の海」と言うそうで、鳰(かいつぶり)がたくさん居たので、いつかこう呼ばれるようになったと考えている。
入は鳰の略字として常用されていたのであろう。
②入の池は「丹生(にう・赤土)」が語源か?
また、「入の池」は語源的にみて丹生(にふ・赤土)の池という意味とも考えられる。この池の築造がたいへん古いので、古語で呼んだとも考えられる。
③入の池の堤の形(六曲屏風の形)からか?
人柱になった「お入(おにゅう)」の名を採ったと言うが、順序は逆で、話は入が池の名が定着した後につくられたものである。
私(石見氏)は、薬師堂の碑文を見た当初から、六曲屏風の形に築いた土手のかたちが蛇の行く姿に見えるから、蛇が主役に出てきたと思った。
蛇は水神の使いと言われ、池の伝説に出てくることが多い。
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さて、皆さんはどのように考えられますか。
写真:入が池(東の方に雌岡山を望んで)