ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

加古川町探訪:氷丘村役場

2007-03-03 07:43:57 |  ・加古川市加古川町

32fb91d0   昨年、7月8日のブログ(日岡 VS 氷丘)の一部を読んでおきたい。

  ・・・明治22年4月1日、中津村・河原村・溝ノ口村・美乃利村・平の村が合併して「ヒオカ村」が誕生した。

  この時、「日岡山」にちなみ村の名前も決められた。なぜか「氷丘」の文字を採用した。

  当時の記録は残っていない。理由は分からない・・・

  氷丘村役場は中津(右図の赤く塗った場所:中央の広い道は、県道加古川・小野線)におかれた。

  残念なことに、記録類が全く残っていない。村名が決められた経過だけでなく、その他の詳細もわからない。

  村役場の写真は、『大野史誌』(大野町内会発行)にある。

  昭和12年(1937)、加古川町と合併するまでに7人が村長を勤めた。

_351   二代村長の吉田喜代松は、明治29年から38年の間、村長をつとめ、その後県会議員に転進した。

  大野村は、彼の功績をたたえ、大正6年3月に銅像を建立した。

  しかし、昭和18年(1943)、太平洋戦争の戦事用金属として彼の像は供出され、銅像跡(写真)だけが常樂寺(加古川市加古川町大野:日岡神社の東隣)の境内に残っている。

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