司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』は、良質の歴史を読んでいるようである。『松右衛門帆②』も、それからの引用である。
松右衛門帆②
松右衛門帆でもうけよ
この織りは、こんにちなお兵庫県の明石から加古川にかけての産業である厚織りやカンバス、ベルト生地の製造、あるいはゴムタイヤに入れる「すだれ織り」といったかたちで生きつづけている。
松右衛帆について、さらに触れたい。
かれは、この帆布の製作のために兵庫の佐比江に工場を設けたが、当時まだ沖船頭(雇われ船頭)の分際であっただめ、この資金は北風家、あるいはその別家の喜多家から出たのではないか。
佐比江(さびえ)の工場では、船主や船頭が奪いあうようにして出来上がりを持ってゆくというぐあいで、生産が需要に追いつかなかった。
かれは、むしろ積極的にこの技術を人に教え、帆布工場をつくることをすすめた。
明石の前田藤兵衡という人物などは、いちはやく松右衛門から教えをうけて産をなしたといわれる。
「金が欲しい者は、帆をつくれ」と、松右衛門はいってまわった。
このため弟子入りする者が多く、工場はにぎやかに稼働したが、独立してゆく者も多かった。
数年のうちに播州の明石、二見、加古川、阿閇(あえ)などで、それぞれ独立の資本が工場をうごかしはじめ、西隣りの備前、備後までおよんだ。
この松右衛門帆は、これ以後の江戸時代を通じて用いられたばかりか、明治期までおよんだ。
「人の一生はわずかなもんじゃ。わしはわが身を利することでこの世を送りとうはない」
というのが松右衛門の口癖であった。(以上『菜の花の沖(二)』より)
復原された松右衛門帆でつくった
グッズ(かばん)を買いました
「ひろかずのブログ」で「工楽松右衛門物語」を書いているので、松右衛門帆でつくったカバンが欲しくなり、姫路の御幸通りの地元のグッズを販売している店で一つ買いました。
どれも高価でした。安いカバンをえらびました。それでも4500円。
でも、さすが松右衛門帆を復元しています。丈夫そう。
*写真:復元された松右衛門で作られたカバン。