ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

五ヶ井用水を歩く(1)・五ヶ井用水の溝筋

2008-03-19 18:05:47 |  ・加古川市五ヶ井用水を歩く

Ef1ab31b 昨年末、悲しいことがあった。

 0.5歳の孫が亡くなった。

 「こんなことがあってよいものか・・・」と悲しかった。

 そして、ブログも後日続けるとして499号で中断させた。

 4ヶ月が過ぎた・・・

 ブログを再開させることにした。

 きょうからのブログを『2部』とします。2部では、まず「五ヶ井用水」をシリーズで取り上げてみます。

 かっこよく、「五ヶ井用水を歩く」としました。ご感想をお寄せください。

   五ヶ井用水の溝筋

 加古川は、丹波市青垣の遠坂(とうさか)付近を源流に、播磨灘に注ぐ兵庫県一の河川である。

 その幹線流路は96kmであり、兵庫県に降った雨の約4分の1は加古川に流れ込む。

 流域面積は1.732平方キロメートルで県下最大である。

 また、加古川は暴れ川であり、古代より幾度となく洪水をひきおこし、流路を変えた。

 五ヶ井郷(五ヶ井用水を利用している地域-後日説明)の人々は、そんな大河と闘い,加古川から田畑に用水として水を引いた。

 五ヶ井用水は、近世の村で言うと20ヵ村で、1.1900石ほどの田地を灌漑する。とてつもない大きな用水である。

 「五ヶ井用水を歩く」では、後日、用水の溝筋を北から南へ歩いてみたいが、きょうは五ヶ井用水の溝筋の概略を確認しておきたい。

 この図は『五ヶ井土地改良区誌』(五ヶ井土地改良区誌編さん委員会・昭和62年)からお借りした。

 

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