ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

加古川町大野探検(13) ヤマトタケル物語(4) イズモ・タケル

2021-06-21 08:01:42 | 加古川町大野探検

      イズモ・タケル

 出雲(いずも)の国は歴史も古く、大和の国にも決して劣らない、誇り高い国でした。

ヤマト・タケルにとって出雲の国の主、イズモ・タケルはいつか戦わなければならない大敵でした。

 クマソ・タケルを征伐したものの、大和をでる時にいた供の勇ましい兵(つわもの)も半分ほどになり、剣も度重なる戦でボロボロになってしまいました。

 このままでは、イズモ・タケルを倒すことはできそうにもありません。

 それに、出雲は立派な剣が作られているところですから、なおさらのことです。

 ヤマト・タケルは「されど、イズモ・タケルに勝たねばならない・・・」とつぶやくのでした。

 「そうだ、謀(はかりごと)を使おう・・・まず、イズモ・タケルを味方と思わせることだ・・・」

 こう考えたヤマト・タケルは、さっそくイズモ・タケルの館を訪ねました。

 館の美しいこと、豊かな稲の稔のことを誉めたたえました。

 「オロチ退治のあった肥の川(ひのかわ)に案内してもらえないか・・・」「お望みとあれば・・・」

 二人は肥の川にでかけました。その景色は、なるほど素晴らしいものでした。

 ヤマト・タケルは言うのでした。

 「このあたりで水浴びをしようではありませんか・・・・」

 安心したイズモ・タケルは、一緒に汗を流しましたが、これが謀だったのです。

 先に水から上がったヤマト・タケルは前もって用意していた木で作った剣をイズモ・タケルの剣と取り替えました。

 そして、イズモ・タケルを待ちました。

 やがて、自ら上がったイズモ・タケルに言いました。

「あなたは、出雲で一番の勇者。ひとつ、勝負をしようではありませんか」

 イズモ・タケルは「私に勝てる者はあるものか・・・」と剣を抜こうとしました。ところが抜けません。

 ヤマト・タケルは、イズモ・タケルをなんなくやっつけることができました。no5117

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