北山鹿島神社の伝承
神社の説明板からおかりします。(文章は少し変えています)
北山鹿島神社は、建御雷(たけみかずち:鹿島神)をお祀りしています
一町あまりの神域は、姫路藩主(松平忠明)の寄進によるものです。
神社の建設は正保二年(1645)のことです。
創建者は、当の開拓者・小島(駒井)利兵衛です。
ある夜、利兵衛の枕頭に白髪の翁があらわれ「この地の田子の池を中心として開拓すべし、そうすれば、村は栄えるであろう・・・」そう告げるとスゥ~と姿を消したのでした。
不思議の思った利兵衛は、数名の仲間と開拓の鍬をふるいました。
さらに、その年の秋に鹿島の神霊をお祀りせよとお告げを聞いた者があり、このことを藩主にお伝えすると藩主も驚き調査をされました。
その調査中の時のことです。
突然、東の山より角には光り輝く玉を頂いた牡鹿と牝鹿があらわれ、その玉を今の社の地に落とし、西の方に走り去り姿を消したのです。
検使(調査官)から、この話を聞いた藩主は深く感動して鹿島神社を創建したと言います。
以来、村には不思議なめでたいことがしばしばおこりました。
北山からの戦死者はゼロ
次の事もそれらのひとつでしょう。
本殿の近くに「改築記念碑」があります。そこに次のような文章があります。
一部を読んでみます。
「・・・昭和31年、新聞各紙に日清・日露戦争より太平洋戦争の間に多くの兵士が激戦地に送られましたが当町(阿弥陀町北山)出兵者から一名も戦死者を出していません・・・」と、大きく取り上げられ話題になりました。
そういえば、北山共同墓地には戦没者の墓(星印のある墓)はありません。
北山の鹿島神社にはすごい御利益があったようです。(no2782)
*写真:北山鹿島神社