ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

お爺さんが語る郷土の歴史(256) 近世の加印地域 高砂篇〈35〉、工楽松右衛門と高田屋嘉兵衛(6)・松右衛門、15才で兵庫港へ

2018-08-09 10:06:03 | お爺さんが語る郷土の歴史

    松右衛門、15才で兵庫港へ

 さらに松右衛門の姿を想像します。

 高砂出身の工楽松右衛門(くらくまつえもん)は、廻船業で身を立てました。

 また、帆の改良や様々な工夫により各地の築港に功績がありました。

 それに感銘を受けた大蔵永常(おおくらながつね)は『農具便利論』に、彼の伝記を紹介しています。

 

 松右衛門は、寛保3年(1743)に高砂の漁師・宮本松右衛門の子として生まれ、父と同じ松右衛門を名のりました。

 20才の頃、兵庫津、佐比江町の船主・御影屋平兵衛に奉公して、船乗りになりました。

 40才の頃、主家を退いて兵庫佐比江新地の御影屋松右衛門廻船商売を始めたといいます。

 石見(現:島根県)浜田外ノ浦の清水屋の「諸国御客船帳」には、安永6年(1777)3月24日、入津の御影屋平兵衛の八幡丸の沖船頭として松右衛門の名があり、同8年5月7日の御影屋の津軽からの上り船・春日丸沖船頭として記録があります。

 そして、寛政4年(1792)6月6日の上り船では「御影屋松右衛門様・久治郎様」とあり、この頃に独立したと考えられます。

 松右衛門は、当時蝦夷地と呼ばれた北海道から日本海沿岸、そして瀬戸内から江戸といった広域で千石船を含む持ち船により、米・木・木綿・荒物(日常生活に使う桶・はたき・ほうき等雑貨)等の買積み活動をしていました。

    40才の頃、廻船問屋を始める

 『高砂市史』の記述によれば、兵庫の津に出て船乗り成ったのは20才の頃でした。別の書では高砂を出たのは15才であったので、しばらく下積みの生活があったのでしょう。

 40才頃、廻船問屋を始めたといいます。

 松右衛門というと廻船問屋と結びつきますが、廻船問屋を始めたのはずいぶん遅い時期でした。(no4552)

 *挿絵:北前船

 ◇きのう(8/8)の散歩(110.400) 

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