疱瘡の仏
庖瘡の神様と呼ばれている板碑が、曽根天満宮の境内にあります。
この板碑については、現在のところ文献的資料はまったく残っていません。
それに、磨滅がはげしく、その詳紬について調査研究するのも困難な状態です。
神社境内にあることから、石神であるとも認められていましたが、一見して三尊石仏であると想像されます。
薬師三尊か?
高さ5尺1寸、幅2尺8寸、厚さ6寸の碑板上部に中央本尊立像、左右に脇侍立像二尊があるのですが、直ちに何像であると確定するのは困難です。
さて、この石仏について、神社境内に石仏があるということは、規在人から考えれば不可解ですが、少し年代をさかのぼれば、神仏混淆時代でした。
現在、この像を人々は「疱瘡の神さん」と呼んでいますが、明らかに仏さんであり、仏さんが神さんに間違って呼ばれたと考えられます。
それでは、宮神社境内の石仏は、何尊であるかということになるのですが、俗に庖瘡の神さんと呼ばれ、こんにちまで、それが伝承されてきているところから、考えられるのは、仏の中でも医薬をうけもつ薬師如來と想像されます。
磨滅が甚だしく、また、火災にあつた跡も見られ、甚だしく損傷しているようです。
火災については、神社が天正時代、農臣秀吉の毛利攻めの折、焼失したと神社調書は記録しています。
ともあれ、現在三尊石僚であることは充分認められますが、何像であるかは断定することはできません。
厨子をもつ三尊石仏です。
また、時代は屋根のそりとか棟の反りとかにより、その力強さは鎌倉時代のものと思われます。鎌倉期より下ることはないと考えられます。(no2735)
*『郷土志(第4号)』(論文:「天満神社境内石仏について」本郷晋吉)参照
*写真:疱瘡の石仏(曽根天満宮)