樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

石と鉄と木

2008年09月24日 | 木と歴史
1ヵ月ほど前、大阪府和泉市にある池上曽根遺跡を見学してきました。考古学自体にはそれほど関心はありませんが、古代に使われた木に興味があるので…。

       

上の写真は、考古学や建築史の専門家が英知を集めて復元した「いずみの高殿」。26本の太い柱はすべてヒノキです。和泉市の森林組合が協力して、市内の山から調達したとか。
これに対して、青森県の三内丸山遺跡の柱はすべてクリ。復元に際して、国内ではクリの巨木が調達できないのでロシアから輸入したそうです。
青森ではクリの柱、大阪ではヒノキの柱。この違いは地域性ではなく、道具からきています。三内丸山は石器しかなかった縄文時代、池上曽根は鉄器を使った弥生時代の遺跡。使う道具によって利用する木材が違うのです。

       
                  (柱はすべてヒノキ)

一般的には硬くて重い広葉樹よりも、柔らかくて軽い針葉樹の方が加工しやすいように思いますが、実験した学者は「石斧でクリは加工できるが、スギやヒノキは無理」と言っています。針葉樹に石斧を打ちつけても凹むだけで、跳ね返されて加工しづらいそうです。
三内丸山遺跡からは383点の木製品が出土していますが、クリ、カエデ、オニグルミなど広葉樹が83%で、針葉樹はアスナロのみの17%。このほか、全国の縄文時代の遺跡で発見される木製品の多くが広葉樹で、特に柱や杭にはクリが多用されています。

       
             (2階の内部。米などを貯蔵したようです)

石器にしても鉄器にしても、今のような便利な道具がない時代ですから、1軒の家を造るのに途方もない手間と時間がかかったでしょう。ちなみに、池上曽根遺跡から出土した柱を年輪年代法で測定したところ、紀元前52年に伐採されたヒノキであることが判明したそうです。
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3 コメント

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紀元前52年・・・ (guitarbird)
2008-09-25 20:04:06
私は歴史が苦手で、年代がよく分からないのですが、
紀元前52年というのは意外と新しいですね。
「フェリーニのローマ」がそれくらいが舞台だったんじゃないかと・・・
まあ、あれは現代に撮った映像ですが(笑)。
青森ではアスナロがあって利用されていたのは、
近いとはいえ「海の向こう」なんだなと感じます。
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あ、間違った・・・ (guitarbird)
2008-09-25 20:05:58
たびたび失礼します。
書いてから気がつきましたが、「フェリーニのローマ」ではなく、
「サテリコン」のほうでした、古代が舞台なのは・・・
ちなみに、「ローマ」のほうでは、地下鉄の工事をしていると遺跡が出てきて
仕事にならないとぼやいているシーンが印象的でした。
返信する
「フェリーニのローマ」 (fagus06)
2008-09-26 08:50:12
も「サテリコン」も私は見てないですが、そんなシーンがあるのですか。
私も古代のことはイメージできなくて、奈良時代以降です、頭に入っているのは。
でも、当時の生活や文化を創造するのはおもしろいです。
北海道にはアスナロもヒノキもスギも自生しないですもんね。古代人が使うとすれば、トウヒ属やイチイやハルニレでしょうか。
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