国立国会図書館のウェブサイトでは、貴重な所蔵品を26のテーマに分けて解説した「電子展示会」を設けています。その中に「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」というコンテンツがあり、「第三章 珍禽奇獣異魚」には、当時日本に迷行して捕獲され、絵として記録された鳥が掲載してあります。なかなか興味深いのでご紹介します。
まず、アホウドリ。
天保3年(1832) 5月、江戸の小石川馬場に落鳥した個体で、幕臣である毛利梅園が131の鳥を描いた『梅園禽譜』の中の1点。
現在は本土でアホウドリが観察できることはないですが、当時は本州や九州に飛来することがあったようです。
次に、ペリカン。
江戸時代、ペリカンは伽藍鳥(ガランチョウ)と呼ばれていたとのこと。この絵には、「文久2年 (1862) 8月に尾張の桜新田海岸で捕獲した」と書かれています。8月は現在の秋ですから、台風で迷行したのでしょう。
描いたのは、尾張の画家・清水淇川(きせん)。ちなみに、ペリカンの日本初記録は永享2年 (1430)で、捕獲されたのは京都伏見とのこと。
そして、すでに絶滅したカンムリツクシガモ。
現在は見られませんが、幕末には飼い鳥屋で売られていたそうです。
この絵は文政5年 (1822) 10月に函館付近で迷鳥として捕獲されたつがいを描いたもので、上が雄、下が雌。水鳥76種が描かれた『水禽譜』の1点ですが、編者や画家は不明です。
このほか、同サイトにはアネハヅル、エトピリカ、レンカク、トキ、シマフクロウなどの絵も掲載されています。
まず、アホウドリ。
天保3年(1832) 5月、江戸の小石川馬場に落鳥した個体で、幕臣である毛利梅園が131の鳥を描いた『梅園禽譜』の中の1点。
現在は本土でアホウドリが観察できることはないですが、当時は本州や九州に飛来することがあったようです。
次に、ペリカン。
江戸時代、ペリカンは伽藍鳥(ガランチョウ)と呼ばれていたとのこと。この絵には、「文久2年 (1862) 8月に尾張の桜新田海岸で捕獲した」と書かれています。8月は現在の秋ですから、台風で迷行したのでしょう。
描いたのは、尾張の画家・清水淇川(きせん)。ちなみに、ペリカンの日本初記録は永享2年 (1430)で、捕獲されたのは京都伏見とのこと。
そして、すでに絶滅したカンムリツクシガモ。
現在は見られませんが、幕末には飼い鳥屋で売られていたそうです。
この絵は文政5年 (1822) 10月に函館付近で迷鳥として捕獲されたつがいを描いたもので、上が雄、下が雌。水鳥76種が描かれた『水禽譜』の1点ですが、編者や画家は不明です。
このほか、同サイトにはアネハヅル、エトピリカ、レンカク、トキ、シマフクロウなどの絵も掲載されています。
『写真に残された絶滅動物たち最後の記録』という写真集が出版されていて、その多くは鳥です。また、最近は一旦絶滅した生物を、はく製などからDNAを取り出して再生させようという研究も進んでいるようで、そこまでしていいのかな?と疑問に思ったりしています。
江戸時代は今のように規制がないですから、以前にも「孔雀茶屋」のことを紹介しましたが、何でもありの状態だったようです。
小学生の頃に絶滅した動物の本を何冊か読んでいたので、カンムリツクシガモという名前を見るともうなんだか無性に悲しくというか寂しくなります。
オガサワラマシコとか。
カンムリツクシガモは江戸時代に飼われてもいたのですね。
京都府の北部の海に浮かぶ冠島でオオミズナギドリが繁殖していて、その飛び出しの映像がNHKなどで放映されます。オオミズナギドリは京都府の鳥になっています。
私はまだアホウドリを見たことがありません。少し小さいコアホウドリは東京~釧路のフェリー航路で見たことはあるのですが。
江戸時代の絵師の観察力と描写力はすごいですね。微に入り細に入り描いています。
特徴も色彩も、丹念に描かれていますね。江戸時代の博物誌、当時から、興味のある方が相当数いらっしゃったということですね。