私たちはウグイスのさえずりを「ホーホケキョ」と聞いていますが、昔の人はそうではなかったらしく、733年に発刊された『出雲風土記』には「法吉鳥」と記されており、「ほほきち」と聞いていたようです。また、平安時代前期の『古今和歌集』には、「梅の花を見に行ったら、鶯が『ひとく、ひとく(人が来た、人が来た)』と嫌がっている」という歌があり、当時の人は「人来、人来」と聞きなしていたことが分かります。
仏教にからめて聞きなされるのはもう少し後で、時代や宗派によって聞こえ方が違ったようです。1499年、浄土真宗本願寺派の宗主・蓮如が病に伏したので、高弟がウグイスをカゴに入れて枕元に持参した時、次のように語ったと記されています。
「このウグイスは『法を聞けよ』と鳴いている。鳥でさえ『法を聞け』と鳴いているのに、人間であり親鸞聖人の弟子である私たちが法を聞かないのはなげかわしい」。
つまり「法華経」ではなく「法を聞けよ」と聞きなしたわけです。仏教における「法」とは「真理、教法、説法」を意味するようですが、浄土宗と法華宗は時として対立しましたから、浄土真宗の宗主としては「法華経」とは聞きなせなかったのかもしれません。
江戸時代には「法華経」という聞きなしが一般的になり、「うぐいすは昔のままの感応寺」という川柳があります。江戸にある感応寺は元々日蓮宗でしたが、元禄12年に天台宗に改宗させられます。しかし、日蓮宗も天台宗も法華経を経典とするので、読経の声は昔のまま変わらないことをウグイスの声で表現しているのです。
このほか、ある鳥の声を弘法大師が仏教の三宝「仏・法・僧」と聞きなしてブッポウソウと名づけられましたし、ジュウイチという鳥の鳴き声を昔は「慈悲心、慈悲心」と聞きなして慈悲心鳥と名づけました。
この3種は「三霊鳥」と呼ばれ、こんな川柳もあります。「慈悲心も仏法僧も 一声のほう法華経にしくものぞなき(ジュウイチもブッポウソウも、ウグイスの一声にかなわない)」。ジュウイチやブッポウソウの声を聞く機会が少ない一方、ウグイスの声は身近で聞けたのでこういう川柳が生まれたのでしょう。
仏教にからめて聞きなされるのはもう少し後で、時代や宗派によって聞こえ方が違ったようです。1499年、浄土真宗本願寺派の宗主・蓮如が病に伏したので、高弟がウグイスをカゴに入れて枕元に持参した時、次のように語ったと記されています。
「このウグイスは『法を聞けよ』と鳴いている。鳥でさえ『法を聞け』と鳴いているのに、人間であり親鸞聖人の弟子である私たちが法を聞かないのはなげかわしい」。
つまり「法華経」ではなく「法を聞けよ」と聞きなしたわけです。仏教における「法」とは「真理、教法、説法」を意味するようですが、浄土宗と法華宗は時として対立しましたから、浄土真宗の宗主としては「法華経」とは聞きなせなかったのかもしれません。
江戸時代には「法華経」という聞きなしが一般的になり、「うぐいすは昔のままの感応寺」という川柳があります。江戸にある感応寺は元々日蓮宗でしたが、元禄12年に天台宗に改宗させられます。しかし、日蓮宗も天台宗も法華経を経典とするので、読経の声は昔のまま変わらないことをウグイスの声で表現しているのです。
このほか、ある鳥の声を弘法大師が仏教の三宝「仏・法・僧」と聞きなしてブッポウソウと名づけられましたし、ジュウイチという鳥の鳴き声を昔は「慈悲心、慈悲心」と聞きなして慈悲心鳥と名づけました。
この3種は「三霊鳥」と呼ばれ、こんな川柳もあります。「慈悲心も仏法僧も 一声のほう法華経にしくものぞなき(ジュウイチもブッポウソウも、ウグイスの一声にかなわない)」。ジュウイチやブッポウソウの声を聞く機会が少ない一方、ウグイスの声は身近で聞けたのでこういう川柳が生まれたのでしょう。