普天間飛行場の移設先である辺野古で、ジュゴンを原告とした訴訟が行われています。また、以前はアマミノクロウサギを原告として「奄美自然の権利」が争われました。
こうした自然の生物にも訴訟の権利があるという概念を生み出したのは、クリストファー・ストーンというアメリカの法哲学者。この人が『樹木の当事者適格』(原題:Should Tree Have Standing?)という論文を書いたのが始まりだそうです。それを要約すると、以下のとおり。
「権利の主体は時代とともに拡張されており、今後は人間以外の存在にも向けられる。被害者が自然物である場合、その自然物に代わって人間が後見人として賠償請求し、環境修復の費用にあてたり、開発の差し止めを行うことを認めるべきである」。
少し分かりにくいですが、法人や自治体など人間でないものにも訴訟の権利があるのだから、自然物にもあるという考え方です。
この論文は、1965年にカリフォルニア州のセコイア国立公園にディズニー社が巨大なリゾート施設を建設しようとした際、環境保護団体シエラクラブが差し止めを求めて起こした訴訟の中で提出されました。
セコイア国立公園といえば、世界最大の樹木ジャイアントセコイアが林立するところ。ストーンはその巨木に訴訟当事者としての資格があると主張したわけです。
ジャイアントセコイアの輪切り@神戸市立森林植物園
こうした「自然の権利訴訟」はその後も相次ぎ、日本では上記のジュゴン、アマミノクロウサギのほか霞ケ浦のオオヒシクイ、北海道・大雪山のナキウサギなどが原告となって訴訟を起こしています。
アメリカという国はいろいろ問題の多い国ですが、こういう概念を生み出すところはスゴイですね。しかも、ジュゴンを原告とした辺野古の訴訟団が、アメリカ本土でラムズフェルド国防長官を訴えた裁判では原告勝訴の判決を出しています。その後、国防省が控訴して解決には至らなかったものの、アメリカの司法の良心が感じられます。
この『樹木の当事者適格』という論文は、「自然は人間が支配する対象である」という欧米の伝統的な自然観に、「自然にも人間と対等の人格がある」という逆の自然観を対置した点でも画期的なのだそうです。
こうした自然の生物にも訴訟の権利があるという概念を生み出したのは、クリストファー・ストーンというアメリカの法哲学者。この人が『樹木の当事者適格』(原題:Should Tree Have Standing?)という論文を書いたのが始まりだそうです。それを要約すると、以下のとおり。
「権利の主体は時代とともに拡張されており、今後は人間以外の存在にも向けられる。被害者が自然物である場合、その自然物に代わって人間が後見人として賠償請求し、環境修復の費用にあてたり、開発の差し止めを行うことを認めるべきである」。
少し分かりにくいですが、法人や自治体など人間でないものにも訴訟の権利があるのだから、自然物にもあるという考え方です。
この論文は、1965年にカリフォルニア州のセコイア国立公園にディズニー社が巨大なリゾート施設を建設しようとした際、環境保護団体シエラクラブが差し止めを求めて起こした訴訟の中で提出されました。
セコイア国立公園といえば、世界最大の樹木ジャイアントセコイアが林立するところ。ストーンはその巨木に訴訟当事者としての資格があると主張したわけです。
ジャイアントセコイアの輪切り@神戸市立森林植物園
こうした「自然の権利訴訟」はその後も相次ぎ、日本では上記のジュゴン、アマミノクロウサギのほか霞ケ浦のオオヒシクイ、北海道・大雪山のナキウサギなどが原告となって訴訟を起こしています。
アメリカという国はいろいろ問題の多い国ですが、こういう概念を生み出すところはスゴイですね。しかも、ジュゴンを原告とした辺野古の訴訟団が、アメリカ本土でラムズフェルド国防長官を訴えた裁判では原告勝訴の判決を出しています。その後、国防省が控訴して解決には至らなかったものの、アメリカの司法の良心が感じられます。
この『樹木の当事者適格』という論文は、「自然は人間が支配する対象である」という欧米の伝統的な自然観に、「自然にも人間と対等の人格がある」という逆の自然観を対置した点でも画期的なのだそうです。