樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

ヘルマン・ヘッセと木

2013年04月11日 | 木と作家
本棚に『庭仕事の愉しみ』という本がありました。著者は『車輪の下』などの作品で知られるヘルマン・ヘッセ。私はガーデニングにあまり関心がなく、この本を買った記憶もありませんが、「ブックオフ」で“ついで買い”したのかも知れません。
何気なしにパラパラめくると、「木」「老木の死を悼む」「桃の木」など樹木に関する記述がいくつかあります。世界的な文豪が庭仕事に精を出していたことはもちろん、樹木に強い関心を持っていたことが意外でした。



読んでみると、さすがに含蓄のある文章です。以下、「木」と題された散文からの引用です。

木が民族や家族をなし、森や林をなして生えているとき、私は木を尊敬する。木が孤立して生えているとき、私はさらに尊敬する。そのような木は孤独な人間に似ている。何かの弱味のためにひそかに逃げ出した世捨て人にではなく、ベートーヴェンやニーチェのような、偉大な、孤独な人間に似ている。その梢には世界がざわめき、その根は無限の中に安らっている。(中略)
木は神聖なものだ。木と話をし、木に傾聴することのできる人は、真理を体得する。木は、教訓や処世術を説くのではない。細かいことにはこだわらず、生きることの根本法則を説く。(中略)
木に傾聴することを学んだ者は、もう木になりたいとは思わない。あるがままの自分自身以外のものになろうとは望まない。あるがままの自分自身、それが故郷だ。そこに幸福がある。


ヘッセは絵心もあったようで、水彩画も掲載されています。



「刈り込まれた柏の木」と題する詩も収録されています。

樹よ なんとおまえは刈り込まれてしまったことか
なんと見なれぬ奇妙な姿で立っていることか!
おまえの心に反抗と意志のほかは何も残らぬほど
なんとおまえは幾百回となく苦しんだことだろう!
私もおまえと同じだ 切り取られ
責めさいなまれた人生を放棄せず
悩まされ通しの惨めな状態から
毎日新たに額を光にあてている。
私の心の中の柔らかく優しかったものを
世間は罵倒して殺してしまった
だが私の本質は破壊し得ない
私は満足し宥められた
幾百回となく切り刻まれた枝から
我慢強く新しい葉を萌え出させた
そしてどんな苦しみにも抵抗して
私はこの狂った世界に恋し続けている。


剪定された木を見て、ここまで自分の思いを言語化できるのはさすが。ノーベル文学賞はダテではないですね。
コメント (4)
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