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樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

夫婦円満の葉

2006年09月25日 | 木と宗教
写真の葉はナギです。広葉樹に見えますが、実は針葉樹。マキ科マキ属ですから、イヌマキの仲間です。

      

別名はチカラシバ(力芝)とかベンケイナカセ(弁慶泣かせ)。なぜ弁慶が泣くかというと、この葉をちぎろうとしてもなかなかちぎれない。昔の人独特のオーバーな表現ですが、弁慶が引っ張ってもちぎれないほど強い葉なのです。私もやってみましたが、けっこう力を入れないと裂けません。
その特徴から、決して離れない夫婦仲のシンボルにされてきました。
昔の書物に、「葉厚く縦に筋あり、この葉を所持すれば災難を逃れるとて守袋に収む。又女人鏡に敷き、すなわち夫婦の仲むつまじきとなり」と書いてあります。
つまり、ナギの葉をお守り袋に入れて厄除けにしたり、夫婦円満を願って鏡に潜ませていたのです。
ナギは紀州の熊野神社の神木ですから、厄除けになると信じられたようです。京都にある熊野神社系統の神社もそうですが、全国の熊野神社にはこのナギが植えられているはずです。

      
     (元祇園梛神社の境内。ナギの樹が1本立っています。)

熊野神社ではないですが、京都の四条通りの西の方に元祇園梛(なぎ)神社という小さな神社があります。京都に悪疫が流行した際、スサノオノミコトを八坂神社(祇園祭の本宮)に迎えたのですが、神霊をひとまずこの地のナギの森に祀ったそうです。だから「元祇園」。
訪れてみると、境内にナギの樹が1本立っていました。社務所の裏にも何本かナギがあります。周辺の地名も「梛(なぎ)の宮町」となっていました。
夫婦仲に自信のない方、ナギの葉をお守りにしてみては・・・。(他人事じゃないワ)。
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くわばら、くわばら

2006年09月05日 | 木と宗教
小学校の裏に桑畑があって、休み時間によく幼友達と桑の実を食べに侵入しました。ある時、先生に見つかって、「お前ら、また桑の実を食べただろう?」と問い詰められ、私は否認して放免されましたが、桑の実の汁で口の周りが紫色になっていた幼友達は、「嘘をつけ!」と張り倒されました。大人になってから、その思い出話をしては笑ったものです。

      

お盆の帰省で泊まったミニホテルの樹木園にマグワが植えてあったので、懐かしくて写真に収めました。ヤマグワは近くの山や河原で繁茂していますが、マグワはほとんど目にしません。昔はカイコの餌を確保するためにあちこちに植えられていましたが、今では信州あたりに行かないと見られないでしょう。マグワは中国からの移入種、ヤマグワは日本でも自生します。

さて、今年の夏は雷が多かったですが、昔の人は雷が鳴ると「くわばら、くわばら」と呪文を唱えました。その「くわばら」が桑原だと知ったのは、つい最近。木の本を読んでいたら、面白いことが書いてありました。

      
      (クワ科の樹の葉は不定形の切れ込みがあるのが特徴)

菅原道真が藤原氏の策略で福岡に左遷されたのは有名な話。道真の死後、京都には異変が続き、御所も落雷を受けて多くの死傷者が出ました。祟りと恐れた朝廷は、道真の名誉を回復したのですが、この落雷事件以来、雷神=道真の怨霊と結び付けられました。道真が祀られている北野天満宮も、もともとは火雷天神が祀られていた場所だったそうです。
その道真の領地が丹波にあり、養蚕業が盛んなために桑の木が多く、桑原という地名だったそうです。そこで、雷が鳴ると、「ここはあなたの領地の桑原ですから、雷を落とさないでください」という意味で、「桑原、桑原」と唱えるようになったと言うのです。
雷だけでなく、何か恐ろしいことが起きそうなとき、あるいは誰かの逆鱗に触れたとき、昔の人は「くわばら、くわばら」と唱えて難を逃れました。桑の木のパワーはすごいのです。

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雷除け

2006年08月18日 | 木と宗教
うちの庭に最初に植えた樹はゲッケイジュでした。お風呂の窓が道路に面しているので、その目隠しのためと、葉が料理に使えるからという理由で妻が選びました。

          
         (2階から写した風呂場のゲッケイジュ)

ご存知のように、ゲッケイジュの葉で編んだ冠は勝利のシンボルですが、これはギリシャ神話に由来しています。太陽の神・アポロが妖精ダフネをゲッケイジュの木に変え、1年中葉をつけているこの樹を「勇気、奉仕、美の創造に秀でた人間の頭にかぶせる冠として使うように」と命じたという話です。

      
      (ゲッケイジュの葉。たまに料理に使っています。)

ギリシャ以外の国でもゲッケイジュに関する神話が残っていて、神託を伝える人や予言者に力を与え、不幸を退け、家を落雷から守る樹とされているそうです。
古代ローマの皇帝ティベリウスは雷が大嫌いで、雷雨の間はゲッケイジュの葉を編んだ輪を頭にかぶってベッドの下にもぐりこんでいたそうです。
風呂場の目隠しと料理という下世話な目的で植えたわが家のゲッケイジュですが、知らぬ間に、不幸を退け、落雷を防いでくれていたようです。感謝、感謝。
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アダムとイブが食べた実は?

2006年07月24日 | 木と宗教
イチジクが果物売り場に並び始めました。
この実は漢字で「無花果」と書きます。字だけ見ると「花が咲かずに成る果実」と思いがちですが、花が咲かずに成る実はありません。もっと言えば、基本的にはどんな樹でも花は咲きますし、実も成ります。目立つか、目立たないかだけの差です。

      

私たちが実と思っているのは花嚢(かのう)と呼ばれる花の一部。この中に花が咲いているので、私たちの目に見えないのです。
イチジクの実(=花嚢)の上には穴があいていますが(写真では左)、この穴からイチジクコバチという虫が入ってきて中の花に受粉し、本当の実(種のある部分)が成ります。私たちが食べているのは、ほとんどが花の部分なのです。

          
      (うちの近所にはなぜかイチジクの樹が多いです。)

イチジクと言えば、アダムとイブがリンゴ(知恵の実)を食べてお互いが裸であることに気づき、恥ずかしくなって陰部を隠した葉として知られています。この話は聖書の「創世記3章7節」にあり、これが聖書に登場する最初の木だそうです。このほか、イチジクは57回も聖書に登場するとか。
また、アダムとイブが食べたのはリンゴの実とされていますが、中東にはリンゴは育たないので、これもイチジクではないかという説があります(アンズ説もあります)。イチジクの実を食べて知恵がついて恥ずかしくなったから、すぐにその場にあった葉で隠した、という方が自然ですもんね。
そんなイチジクが日本に渡来したのは1600年代ということです。
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散歩コースは世界遺産

2006年07月14日 | 木と宗教
家の近くに世界遺産が二つあります。
一つは、10円玉でお馴染みの平等院。もう一つは、ほとんどの人がご存じないでしょうが、宇治上神社。この名もない小さな神社がなぜ世界遺産かと言うと、現存する日本最古の神社なんです。

      
  (この本殿は独特の建築様式で、屋根のカーブに特徴があるそうです。)

「日本最古の神社は伊勢神宮か出雲大社だろう」と思うでしょ? でも、伊勢神宮は20年に一度の遷宮で建て直すので新しい。出雲大社も過去に再建しているので最古ではない。
神社としての伝統は伊勢神宮や出雲大社の方が古いのですが、現存する建物として最も古いのが宇治上神社なのです。
一昨年、奈良文化財研究所が行った調査で、1060年の建築と確定されました。

この宇治上神社の裏山が大吉山といって、私が毎朝散歩しているコース。世界遺産を見下ろしながら、その裏山を散歩するのは申し訳ないような気もしますが、近所だからしょうがない。時々、本殿に参拝して苦しい時の神頼みもしています。

          

境内にはケヤキの古木があります。注連縄が飾ってあるので御神木でしょう。宇治市名木百選にも選ばれています。樹齢約250年ですが、それでも本殿よりははるかに若い。
このケヤキには毎年、夏になるとアオバズク(フクロウの一種)がやって来て、観察会も開かれていましたが、残念ながら現在はもう来ていません。
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仏教の三聖木・続編

2006年06月27日 | 木と宗教
お釈迦さんがその下で悟りを開いたと言われる菩提樹(ボダイジュ)も、日本のお寺によく植えてあります。

      

しかし、これも本物はインドボダイジュというクワ科の樹で、日本のお寺に植えてあるのはシナノキ科のボダイジュ。全く別の樹です。
サラノキ(昨日の記事)と同様、インドボダイジュも熱帯でしか生育しないため、仏教が中国に伝わった段階でボダイジュ(中国原産)が代役を務めたのでしょう。

インドボダイジュを目にする機会はほとんどないですが、昔、オウム教団が問題になった頃、麻原をはじめ幹部たちが、釈迦が悟りを開いたというインドボダイジュの下で瞑想している映像が流れたことがあります。

         

写真は、叔父の墓地の隅に植えてあるボダイジュ。葉の付け根から靴ベラのような総苞葉が出るのがシナノキ科の特徴です。実は硬いので数珠に使うそうです。

ボダイジュと聞いて、「♪泉に添いて 茂る菩提樹~」というシューベルトの歌曲を思い出す人もあるでしょう。こちらもシナノキ科で、和名はナツボダイジュ。ドイツ語の「リンデンバウム」を、日本の音楽家が「菩提樹」と訳したようです。

仏教の三聖木のうち、釈迦がその下で生れたという無憂樹(ムユウジュ)だけは、なぜか代役もなく、お寺にも植えられていません。ただ、釈迦の生誕祭ではアマチャ(アジサイの仲間)が使われます。何か由来があるのかも知れません。
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仏教の三聖木

2006年06月26日 | 木と宗教
先日、叔父の命日だったので、近くのお寺の墓地にお参りしてきました。境内の「沙羅の樹」の花とその散華がとても印象的でした。

         

お釈迦さんがその木の下で生れたという無憂樹(ムユウジュ)、悟りを開いたという菩提樹(ボダイジュ)、そして入滅したという沙羅樹(サラノキ)。この3つを「仏教の三聖木」と言います。
そのうちの沙羅樹については、学校で「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」と習ったはずです。

      

日本のお寺にもよく「沙羅の樹」が植えてありますが、本物のサラノキではありません。インドのサラノキはフタバガキ科、日本の「沙羅の樹」はツバキ科の樹です。正確には、ナツツバキ(別名シャラノキ)とヒメシャラを「沙羅の樹」と呼んでいるようです。写真の樹もヒメシャラでした。
本物のサラノキは熱帯でしか生育しないため、仏教が中国を経て日本に伝わるうちに代用されたのです。

         
   (ナツツバキやヒメシャラは樹皮が剥がれてまだら模様になるのが特徴)

昨年、よく行く花寺で、中年の女性に「ここに沙羅の樹があると聞いて来たんですけど、どれですか?」と尋ねられました。その人の期待を裏切るのは忍びなかったのですが、どっちみちその樹の下には経緯を説明した立札があるので、「実は・・・」と説明してあげました。
がっかりされた様子でしたが、白い花を見て少し納得して帰られました。
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連理の樫

2006年06月23日 | 木と宗教
いま、『連理の枝』という韓国映画が上映されています。ラブストーリーに心ときめく年でもないし、『冬ソナ』もチェ・ジウもやり過ごした私ですが、樹に関係するらしいので取り上げます。
この映画のキャッチフレーズは、「二本の枝が絡みあい、一本の樹となるように、ふたりの想いはひとつに溶けあう・・・それは永遠の愛」。お~、気恥ずかし! 
私も昔、映画のキャッチフレーズを書いたことがありますが、50を過ぎるとこんなコピーは書けません。

この映画に似た「連理のサカキ」が下鴨神社にあると友人に聞いたので、早速チェックしてきました。
朱塗りの柵の中に2本の幹を持つ樹があり、一方の幹から出た枝が片方の幹に合体しています。映画のタイトルどおり『連理の枝』です。

      

立て札には、「連理の賢木(さかき)は、神様の力によって二本の木が一本に結ばれたもので、縁結び、安産子育、家内安全の御神徳の現れであり、京の七不思議の一つ」と書いてあります。
ところが、樹種はサカキ(榊=賢木)のはずなのに、葉や枝をよく見るとどうも違う。まず、サカキの特徴である枝先の爪(頂芽)がない。サカキの側脈はほとんど見えないのに、明瞭に見える。

         

その場では同定できませんでしたが、帰って図鑑で確認すると、どうやらシリブカガシのようです。ブナ科マテバシイ属のカシ類の1種で、サカキとは全く別の樹。「連理の賢木」は榊ではなく樫だったのです。
この樹で四代目らしいので、元々はサカキだったものが代を重ねるうちに別の樹種に代わったのかも知れません。あるいは、「サカキは昔は常緑樹という意味だった」という説もあるので、樫でも不思議はないのかも知れません。

サカキは木ヘンに神と書くくらいですから、下鴨神社の境内(糺の森)にもたくさんあります。森を歩いていると、ちょうど花を咲かせたサカキを見つけました。こっちが本当のサカキです。

      

映画の方の樹種も知りたかったのですが、HPには書いてありませんでした。撮影用に作ったもので、終了後は済州島の観光局に寄贈されたそうです。
なお、樹がくっつくことは時々あって、中には別種の樹での事例もあるとか。「連理」はこうした樹の合着を意味する言葉で、白楽天が玄宗皇帝と楊貴妃の夫婦の契りを表現したのがルーツのようです。
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