湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/15 障がい者とその家族の「転居」という清算局面を考える

2016-10-16 05:28:16 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/15 記
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昨日のスペアちがさきの講演会で、私の総括作業の中で発見された、まだ煮詰め切れていない課題「転居」と「被災」という生涯の中の清算局面を公開したが、前者の「転居」の方は、若い夫婦にとっては、高い頻度で経験する局面だ。それにも関わらず、それは私的な領域の困難として、他人は関わりをしていない。この「転居」は県や市町村を超えた生活の場の変更である場合、障がいを持った子の未来を拓くため蓄積してきた地域の理解者の絆が絶たれてしまう場面が高い確率で訪れる。より緩やかな移行を私達は手助けできないだろうか。

これは、私が担当した子とその家族が、高率で数年前に「転居」を経験し、孤立し追い詰められていたという発見によるものだった。制度的な引継ぎは、自治体によって若干、条例レベルの差異があるが、行政の引継ぎがおこなわれるが、理解者・協力者の人的資源は再現できない。そのためには、障がい者支援活動を担う「親の会」や「障がい者団体」にアクセスすることになる。ところがひとの活動であるがゆえに、なかなか居場所を見出せないというのが実情だ。

制度的な引継ぎ、転居先の当事者活動とどう関係をとりむすんできたか、経験者のアドバイスを提供していくこと。「社協ボラセン」「市民活動サポートセンター」「障害者全国団体」を仲介に、転居先の会と再出発のための手がかりをマニュアル化していくのも手助けとなるだろう。取り留めの無い課題だが、話し合う価値がある。

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今日は新しいビッグイシューの刊行日だが、販売員さんとコンタクトがとれなかった。月曜日に買い取ることになった。

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夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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10/14 スペアちがさきの講演に参加し、自閉症児者親の会の上杉さんの話を

2016-10-15 05:03:16 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/14 記
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午前中の企画は、実質徹夜状態になるので極力避けたい、それが本音だが、朝型は多数派、逃せない企画もある。

今回は、スペアちがさき主催の情報交換会「子どもが成人になる前に知っておくと、お得な情報」(講師:上杉桂子さん)だった。お子さん(23才)が自閉症。長年子育ての困難を越えてきた。その経験を基礎に、伝えておくべき打開の知恵を制度紹介を交えて、伝えて行った。利用できる単なる制度説明ではなく、経験に照らし、見通しをたてたタイミングで、子どもの生涯を拓いて行く。うなづけることだらけだった。

制度と制度との整合性は整っていない。次の制度を利用しようとしても、事前に整えておかないといけない条件がある。そのひとつが精神科受診し、担当医から診断を受けておくことだ。ところが担当医を決めように、近くの精神科は新規受診の道が閉じているところもあり、受診き申込が出来ても、予約は半年以上先まで待たされる。制度利用をしようにも、診断書が得られず、待機期間中に年齢の上限を超えて、条件が厄介になったり、条件が悪くなってしまうこともある。

参加者が若い方が多く、上杉さんの語りは先験的ではあるが価値は伝わったと思う。それは発達障がいの子を抱え、子育て中という共通のニーズがあったからだ。例えば防災のような必要の理解はあっても、個々が今取り組む必要を問われると空転するような「必要性」の元では、語りかけの言葉は、弾かれ表層を流れさってしまう。「なるほど、今すぐ取り組む必要があるのだな」という納得とニーズを発掘してからでないと、防災などの語りは、よそ事として消えてしまう。この対話の成立がうらやましくも思えた。

私は昨年末の定年退職後、生業では、社会運動的な塾の学習訪問カウンセラーを残して続けている。二股(別職業では四股)をひとつ失っていた。それとは別に社会活動として「災害ボランティア」をおこなっている。この退職を契機に、生業の振り返りと、「災害ボランティア」活動の振り返りを行った。後者は「わーくOnlinePicUp」誌面の3回連続特集で整理したが、生業の側は、個人情報がからむことであり、胸のうちに収めて公開してこなかった。しかし、上杉さんの語りで触発されたこともあって、であった二次障がいをこじらせた子らを振り返って、ひとつ、私も気付いていなかった傾向について、公開させてもらった。

それは親子ともに、厳しい状況にもつれこんでこう着状態に陥った時点で、私とであった事例は、「転勤」経験していることだった。塾長が国際派であることもあって、帰国子女という極端な例も複数回あった。他県・他自治体から転居してきたために、以前の支援環境・親しい方の協力ネットワークも破壊され、一からの出直しとなるが、転居先の地域に協力網がうまく再建できずに孤立化している事例が多かったことだった。

若い夫婦の家庭では、「転居」は、経験する確率が高いことであるにも関わらず、当事者の腕力任せで、取り上げてこなかった視点だった。しかしこのことにも、「転居サバイバル・役に立つ経験マニュアル」作りのような、経験集積と利用可能情報への精選の厄介な活動も必要だ。制度的なところは、行政を通じて引き継ぎかのうだが、ネットワーキングについては、「社協ボラセン」「市民活動サポセン」「生協」「全国自閉症諸団体」などへの問い合わせにより、その地域の関連団体をつかむことができるが、その辺の知り合いネット再建の知恵は、送り出す地域の団体がみやげに持たせてもいいものだと思う。これが転居先が大都会ならばいいのだが、東北を例にとってみると、精神障がいを除いて障がいの種類を統合して就労していた。地域差があるのだ。

このネットつくりをせずにいると、特に思春期のお子さんが不安定になって、孤立したまま厳しい状況に陥ってしまう。

その「転居」の課題を提案させてもらった。一見取り付きようも無い話に聞こえただろうが、「転居」は、扱いが難しいが、経験者と障がい者が語るべき課題だと思う。

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<気になる記事>

●「熊本)訪問理美容で心もすっきり 障害者や高齢者宅へ」
●「熊本)「軒先避難者100人」益城町が推計」

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p.s.肌寒い。風邪を引いた。夜間作業中、初めて電気ストーブをつけた。明け方。


夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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10/13 午前10時から講演会があります、参加するので書き込みは後で

2016-10-14 04:31:40 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/13 記
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今日朝10時から、知人の講演があります。
参加したいので、早めに寝ます。あと5時間…

午後書き込みます。

 

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10/12 都市周辺部の周産期医療の危機と、災害時の妊産婦の保護のことで

2016-10-13 04:50:19 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/12 記
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3回前の懇話会ゲストの峯本佳世子氏の著書●「地震災害と高齢者福祉―阪神淡路と東日本大震災の経験から」が欲しいと、参加者に近い方から電話が入った。珍しいことだった。この本は、アカデミックスタイルなので、問題提起と参考文献紹介で前半が終わる。ところが肝は、第4章以降の提案と活動の現状紹介にあって、頭から読むと飽きてしまう。第4章以降を先に読めと会場で参加者に伝えておいた。

保守系市議の方の周辺の方なのだが、以前一度話し込んだ熱心な方。地元の書店に取り寄せ仲介した。この書は茅ヶ崎市立図書館にもある。小さな反響だが嬉しかった。

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母の古い友人の危篤の件で、母の友人網のひとりが、病院が近所なのでと、昨日も見舞いに行ってきたのだと、電話が飛び込んできた。もっと状態が悪くなっており、ここ数日が山場だと医者に言われたと報告していた。いざというとき、母につきそっていかねばならない。準備を整えて、橋本の対面指導しているふたりの母親に事前に話しておいた。不安定で、すみません。

蛇足だが、埼玉県は全国一産科医が少ない、深刻な地域周産期医療の課題を抱えている。神奈川は関東3位らしいが、都市周辺部の小児科と産科は、都市周辺生活のアキレス腱となっている。市民トリアージの見学で静岡に行ったとき、市民トリアージ・チャートに、被災時の妊産婦の状態チェックと保護的環境への移動指示の黄ラベル扱いが、抜け落ちいないかと指摘したのに対し、ERの看護師から「お産は病気ではないので」と反論が出たことを思い出した。

妊産婦は日本語が不自由な在日外国人の扱いと同じく、健康な方は医療ではなく、社会制度で保護するから、医療分野で扱わなくてもいいという意味が透けてみえた。

勿論、私は妊産婦は母子保護という治療とは違う課題を抱えているが、非常に不安定であり、災害時は予防的医療の圏域の中に置くべきだろうと反論した。不調を訴えて市民トリアージの棚に乗った場合、救護所登録と保護的環境の提供、そして緩やかな観察の線に乗せるべきだと思う。

埼玉県の産科医不足では救急対応が崩壊する手前にきており、同質の危機が災害時、被災地に現れると言っていい。これも蛇足だが、歯科が不足という話も聞いた。避難生活が長期化すると、医師会系列とは異なる歯科医師会の方も、巡回医だけではない、最低限の設備のある治療センターが必要になる。

熊本地震では、被災地7箇所の精神科病院が被災し閉院を余儀なくされた。被災時の精神科は、それでなくとも絶対数が足らないのであり、被災健常者のストレス対策という裾野を抱えるので外部支援医だけでは、間に合わない。

この辺の事情は、精神科医の蟻塚亮二氏の著書「3・11と心の災害―福島にみるストレス症候群」が大網をかけている。いずれもいわゆる「障がい児者」の治療と保健については、不十分なもので、災害時の地域医療は、救急対応のビジョンだけでなく、福祉避難所や保健にいたる総合的な絵を描かなくてはならない。しかも急性期や亜急性期の在宅または軒先・車中避難者への巡回診療も急務。中には医療機器によって生命を支えている方がいるからだ。

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私の仕事は、この災害時医療と地元地域社会活動(ボランティア)との橋渡し、医療活動の外周協力活動を生み出していくこと。圧倒的に不足する医療関係者のその双肩にすべてを委ねてしまい、彼らを潰してしまうのではない賢い支援の形を生み出していかなくてはと思うのだ。

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夜間傾聴:**君(通所体験一日目、クリア)

(校正1回目済み)

 

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10/11 通所の決まった**君へのアドバイス/熊本LCCが解決してくれるか?

2016-10-12 05:11:19 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/11 記
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引きこもり青年**君の通所実現のために、先方の施設長さんと話し込んだ。ところがどうもかみ合わない。話していてわかったことは、先方は作業所の人的環境への不安が問題になっていると思い込んでいる。また、マイクロバス送迎ではないから、路線バス利用のスキルに自信がもてないのだろうと思っている。引きこもり者の苦悩を分かっていないのだ。

通勤時間帯を少しは、ずれてはいるが、近所のバス停を利用する、そのことを思い悩んでいるのだ。新しい環境下で生活が始まることへの不安は、事前の作業所見学や作業体験で、わかっているし、通所同伴訓練も何回か行っているので、新生活切り替えの不安や、新規環境への参加不安というよりも、近所のバス停ゆえに、知り合いに会うことへの恐怖や、隣人に通所している自分がばれることへの恐怖がある。家の前からのマイクロバス送迎ならば、彼の困難は小さくなっていただろう。

見られている私という不安の大きさは、統合失調症やパニック障がいの方に一脈通じている。知的障がいのセンスでは、この辺が見えないのだろう。15分ほど歩けば、別のバス停があり、その路線なら、作業所からは離れているが徒歩10分ほどのバス停がある。25分の無駄だが、迂回ルートを試させて、同伴ボラさんやジョブ・コーチの方の都合が出来てから、もう少し本ルートの通勤訓練を試みればいい。

本人と蕎麦を食いつつ、まずは別ルート通所を勧めて快諾を得た。慣れてきたら、通勤時間外通所を挟んでいけばいい。

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懇話会ニュースを作りつつ、次回のゲスト選定を考えていた。熊本に、やはり行きたいのだ。LCCの航空券をうまく使えば2万5千円で往復できる。しかし、LCCは券が自由に買えるわけではなく、空きやキャンセル待ち状態だった。

しかし我が家の事情もある。母の介護度では施設宿泊はできない。だから、見守り役をつけておかないと危険。その調整がある。祖父の介護の代から、いつもお世話になっている浜見平の++さんに相談を持ちかけた。

あとは講師招待実費捻出だ。いつもの2倍は、かかってしまう。

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母のリクエストがあって、「いなり寿司」を作って欲しいという。これシャリに柚子ポンを混ぜるとおいしいのだが、私がやると、揚げの袋が破れてしまうのだ。考えさせてくれとペンディング事案となった。

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「懇話会利用の手引き」の構想チャートを作っている。まずは次号、牧秀一さんの懇談レポートを書くのが先。

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アボガド塩ラーメン、明日の朝食。


夜間傾聴:ひとり


(校正2回目済み)

 

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10/10 いろいろなことがありました すみません

2016-10-11 05:51:07 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/10 記
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夜間傾聴利用者の**君が、某作業所に通うことになり、その不安をメールしてきた。様子から、かなり段階を踏まないと無理と判断された。まずは作業所までの定時通所練習を、施設長に依頼しておいた。手伝いたくても茅ヶ崎市内ではないのが難。同伴ボラさんが手一杯とのことで、4・5日待つことになった。ところが間が空いたことが**君には不安でしかない。その不安を夜間傾聴にぶつけてきていた。

昨日早朝、入院中の埼玉の母の友人の息子さんから、病状急変、危篤であると、**君の沈静化対話の電話途中で入ってきた。危篤という話、あまりに急な話。肋骨と手首の骨折という話だったが、癌が十二指腸まわりと、初めて聞いたのはすい臓にできていたと話を聞いた。すい臓がんは、末期だったのだと初めて聞かされた。

母の友人ネットワークに朝、情報をまわし、急遽現地最寄り駅で集合ということになった。全員80代後半なので、応援に駆り出され、母に同伴して浦和の近くまで行ってきた。

急な話だったので引率がおらず、集まったメンバーは、タクシーに乗って1名残るという面倒な人数で、ならばと、路線バス営業所に電話をして、時刻発車時刻を確認。路線バスで病院までいくことになった。地の利を知らないメンバーばかりで、加えて、定時に集まること自体が難関という状態の婆さん集団をなんとか病院に届けた。

**君からは、昼間も携帯に電話相談がかかってきていた。話の途中で塾長にバトンタッチするわけにいかず、病院のICUと売店の間を往復して、電話対応していた。

血の気のない++さん。途切れ途切れに声をかける婆さんたちに、眼差しで応答する++さん。意識はレベル10。鎮痛剤が入っている。手首の包帯が痛々しい。

医者に説明されても意味がわからないし、医者は嫌いという息子さんを母が叱咤しはじめ、彼の奥さんとともに、ナースセンターで病状と見通しを聞くことになった。当座の危機は脱しているが、体力の切れ目が命の切れ目で、延命治療以外は手のつけようが無いという話。最期まで病院で預かるとの話に、逆に言葉をなくした。

ICUに長居は出来ないので、協力の意志を家族に伝えて、見舞い集団の中の##さんが、脳卒中後遺症でトイレにもいけない旦那さんをご近所さんに見守りをたのんでいるとのことで、先に帰ると言い出したので、ならばと同行して帰ることになった。

最寄り駅までバスで30分強、薄暗くなってきた駅でそれぞれ別れて帰宅した。「どんどん、まわりの友がいなくなる」と沈む母。話題を散らして連れ帰ってきたものの心配だった。

急場だったので弁当を買って帰った。汁物と玉子焼きでごまかして食べさせたが、弁当を睨みつけて無理に食べているので、ひとまず、気落ち危機は越していると思った。カモミール茶を何とか飲ませて、ベッドに寝かせた。

**君からのメールが溜まっていたので、事情を彼に、背負いこまないように注意して淡白に説明し、怒りを主張しないよう詫びて、綱渡りのような返信を送った。興奮から疲れていないように感じるから、明日の昼間に眠気地獄がくるだろう。手堅くことを進めていくこと。**君には明日会うことにした。

筑西市の引きこもり者就労支援の浅沼さんに、「わーくNo.66&67」を同封して返信を投函した。中身は連載物の災害ボラ話ばかり。引きこもり若者支援畑とベクトルがちがうので、面食らうのではないかと…。


<気になる記事>
●「介護保険の生活援助、要介護1、2の人向けは継続へ」
●「母親の25%が心身に疾患 生活保護受給の母子家庭」
●「グループホーム被災 地域共生考える契機に」
●「被災地の高校生 地域課題考える」
●「<いのぐ塾>被災の石巻高生 高知で教訓語る」


夜間傾聴:ひとり

(校正2回目済み)

 

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10/09 夜間傾聴が長引いています、あとで書き込みます

2016-10-10 05:53:10 | 地震津波災害ボランティア

すみません。

 

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10/08 懇話会の次回ゲスト選定始めています

2016-10-09 05:24:04 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/08 記
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連休に入った。大船渡の**さんと電話で話していると、来るのかと思ったと指摘された。親の見守り対策のこともあるが、**さんには、私の訪問目的が施設や公的機関にアクセスするために、休日では役にたたないのだと説明した。それも本当だからなのだ。実際、入浴時・めまい時の転倒、外出時のめまいが頻繁におきるという程ではないが、年何回もめまいは起きている。普段他の年寄りより元気で行動的なのが逆に問題になる。

次回の懇話会は、被災障がい者の現場からのゲスト招待なので、親子連れになってしまうなど条件が難しく、自閉症協会などの団体に「支援者」を紹介してもらう算段をしていた。結果はまだでていないが、難しそうだ。私のアクセスできる方たちは、当事者なので、話がまとまらないのだ。実は今日も、気仙沼と熊本県の精神科に電話していた。要請状を今書いているが、話がまとまったわけではない。(やはり会って話さないと…)

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再校正をかけた「わーくNo.67」を20部追加印刷した。個人読者2名に配達した。

茨城県筑西市の引きこもり青年の就労支援等を行っている浅沼秀司氏から、お葉書をいただいた。前回のお礼なのだが恐縮している。「わーくNo.67」送っても、引きこもり青年との接点が経過を知らないと通じないだろうからなのだ。どうしたものか。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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10/7 網膜欠損による校正作業の難/金曜災害ミニカフェの番組変更 他

2016-10-08 06:10:09 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/07 記
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「わーくNo.067」の配布先で、ひらがなが1文字カタカナになっていることを指摘された。校正は3回重ねていたのでショックだった。気になって4回目の校正をしたら10ケ所近い要訂正個所がでてきてショックを受けた。3カ所の言い回しの改良は別として、その大半はキーボードの「R」のミス・タッチによるものだった。私のノートPCは発熱が多く、作業中に虫が寄ってくるのに閉口していた。エアコンの効かない古い木造家屋なので、庭にいる虫が玄関の人の出入りに便乗して入り込んでくる。それがキーボードの奥に忍び込んで指を刺す。ときにその虫がつぶれて、キー接点を犯すのだ。清掃したところなのだが、接触が悪かった。

しかし、そのことよりも、なぜ誤字が発見できなかったのかがのしかかってきた。机の手前に消しゴムがあり、右手にマウス、左手側に校正原稿と赤ペンがある。ところがキーボード手前の消しゴムが見えているはずなのに、忽然となくなるのだ。盲点ではなくて、視野に欠けがあり、しかも視野を脳が補正してしまうので、視野にはないものになる。網膜欠損である。

私は片目は明るさとぼんやりとした色彩しかみえない。見える側は、視野中央部にかすみがあり、何も見えない。その周辺は見えているが、みつめようとすると、かすみの部分が対象を追い、見えにくくなってしまう。外出時は通行人の顔失認が起きる。「R」は視野中央上部左にあり、ブラインドタッチが出来ない私は、キーの異常と重なり誤入力が続出した。校正の際注意して観ているが「らりるれろ」が「あいうえお」に化けている。子音「R]が抜けているのだ。今回、PCを体幹から肩ひとつ左において、再校正したら、でてくるでてくる。視野欠損をはずして校正したのだが、嫌になった。

網膜色素変性症が進んでいるのだ。欠損個所が広がっている。

視野の端を使って読むので疲れるのだが、何とか再校正を終えた。あと20部ほど、配布し残しがあるので、すべて再校正版に交換することにした。読者の皆さん、申し訳ない。

そんなこともあって、外部キーボードを買ってきた。まだ慣れていないので、タッチが疲れるが、これで改善できると思う。しかし、全盲化したとき、読み上げソフトだけでは心もとない。音声入力の演習と、準備練習を始めていい時期だと思っている。

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金曜災害ミニカフェがあった。今回は

●「ハートネットTV・東松島市『すみちゃんの家』」の被災後の記録、グループホーム再建の話」

だったのだが、新規交換した「BDチューナー」の前の故障をなだめすかして録画したものだったが、ディスク自身が読めなくなっていた。あわてて番外だったが「被災し両親を失った孤児ふたりが祖母のもとで成長する5年間の記録」に変更した。

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平塚「老郷」のタンメンを買ってきて、麺をやわらかめにして母に食べさせた。つけた餃子は手をつけず、わかめは消化が悪いと、半量の麺と刻み玉ねぎしか食べなかった。敗北感あり。困った。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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10/06 平塚・辻堂藤沢側に「わーくNo.067」配布、横浜市大エクステンション講座の…

2016-10-07 05:44:58 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/06 記
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平塚・辻堂藤沢市方面に「わーくNo.067」を配布。時間切れで橋本へ。11/5&6が高認の試験だが、私の担当は前期に合格しているので、彼らを受験クラスに編入し、来年度の高認に仕切り直して新しい子ひとりを受け入れ、全体としては担当数減、楽になった。小さな塾だから、人数変動は普通にあり私はただひとりの契約講師で古株固定給という…まあ…めぐまれているので、生徒数に気をまわさなくていいことになっている。ただ塾長がドゥテルテ支持かと、関係ない質問を飛ばす偏屈親父なのが難。

10月としては異例の夏日。夕方勤務なのが助かるが、半袖は今日までか。対面指導時間よりも、夜中のTV対話とメール交換時間の方が長い。(今夜も4時前までかかっている。)生活指導が必要な状態ではないのが、今は楽。

今回、「わーく」の配布先のひとつに平塚市民活動支援センターがある。ただ、ちょっとうんざりしたのが、窓口スタッフが全員新顔になっていたこと。私のことを全員知らないので、すごろくの「振り出しに戻る」が出てしまったような虚しさが迫る。若干の自己紹介と内容説明をして、数部置かせてもらったが、中の「市民トリアージ」に関心がでたらしく、読んでくれたからOKとしよう。

横浜市大エクステンション講座の「10/25 精神障がい者の雇用をいかに進めるか ~事例とトークセッション~」を申し込む。大船渡の**さんにメールし、自閉症者のご家族とつないでもらったが、大船渡訪問(母のお守りの契約もかかるが)が、この辺と重ならねばいいがと気になる。

行事関係だと11/18~20にLD学会が横浜で行われる。いけるかなという悩みが、日程ではなく大会資料代。情けない話。懇話会講師選定費用が優先だからだ。本来は熊本に行きたい。招待する費用も上限オーバーしてしまう。

相模原のハローワークの++さんと電話で話す。久しぶり。この方、一昨年か宮城のハローワークに研修(?自前?)に行っている。手がかりはないかと探っている自分が浅ましい。

今日の心の風は北風。フェアトレードコーヒーを飲む。今夜はここまで。

<気になる記事>
●「<在宅被災者支援>ケースマネジメント導入提言」
●「<在宅被災者支援>市と民間協力し生活再建」
●「弁護士ずっと被災者のそばに 公設から法人に」


夜間傾聴:ふたり

(校正1回目済み)

 

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10/05 わーくNo.067配布中/茅ヶ崎市の市民自治推進課に要望を 他

2016-10-06 05:25:18 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/05 記
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「わーくNo.067」を印刷。早速、茅ヶ崎駅周辺と市役所を巡回。今回は地域包括支援センターまわりがないので、茅ヶ崎養護と平塚盲学校・平塚ろう学校・平塚&藤沢市民活動サポートセンター等が残っているが、9割がた配布が終わった。今はe-mail発信を済ませ、郵送分の発送のため、時折吹くにわか雨の中、投函をすませてきた。一段落だ。明日から残りをぼちぼちと配布していく。

茅ヶ崎市の市民自治推進課に立ち寄ったついでに、サポセンの被災時の活動について、要望を出してきた。被災時、海抜が低く、建物構造の弱いサポセンは、拠点として動き出すには不向きなこともあって、内外ボランティアの活動調整はボラセンにおかれる。休館である。何ヶ月もただ休館しつづけるのか。それとも、過去の例にみるように、忙殺されるボラセンの死角になる、地元の非災害ボランティアの市民活動への協力要請・地元勢や地元校の提案と仲介活動など地味な部分の底上げ活動など、やることはある。活動のボラセンとの分担を考えては?と。

応答は、市民自治の活動を行うとしながらも、市の防災活動は安全避難で手一杯。検討は始めていくつもりだとの応答。

母は、母の友人と合流して、埼玉の某病院に入院中の友人の見舞いに出ていた。幸い息子さんが大磯に住んでいて、母を車に乗せてくれたので、私がお婆軍団の引率をしないで済んだのだった。しかし、息子さんへのお礼を兼ねて、外食をおごることになっていた。

同世代の息子さんだったが、デリバリ関連の某社退職後、自分の会社を設立した格好で、下請け配送の現役だった。しかし思うのだ。一から十までとことん話の合わない人物だった。呆れているが、先方もそう思ったろう。驚いた。

母の友人は、再び肋骨と手首の骨折だった。癌治療と併行したので、そちらは実費とか。大混乱の最中だったそうな。

ノンアルビールを買って、我が家で御払いとばかり、飲み干した。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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10/4 「わーくNo.067」残り2・6・7面最終稿上がり、明日印刷配布/他

2016-10-05 05:47:05 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/04 記
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「わーくNo.067」の残りの校正が終わった。明日印刷し、配布していく。


------ここから------

(第2面 最終稿)

<連載 個人医療情報QRカードの検討 No.026/メディアの得失を比較する~Ver.03 メモリー自身を「お薬手帳」にすると考えたが…>

●「お薬手帳QRコード版」は、Ver.03の形の検討に入った。

Ver.01 は「独立カード」または健康保険証裏面貼り付け型」(右上イラスト下)

Ver.02 は「現在の病状と処方薬や処置」の変動部分の「剥がせるシール」と台紙カード(同上)

そして今回は

Ver.03 の「SDカードの利用」だ。

●「QRコード利用カード」は、被災時の、外部支援が到着するまで電源・専門機材・通信に頼らず身元と医療情報不明の困難を軽減する方策を考える中で生まれた、いわば災害対策カードなので、情報読み取りは「携帯電話(スマホ)」までと考えた。この制約からすれば、ICメモリは携帯電話(スマホ)にはスロットが無くアダプタ経由で利用するため、向いていないと結論付けた。今後、携帯電話(スマホ)に、ICメモリーカード・スロットが標準装備されたときは。操作性の問題を残すが再検討する価値があるだろう。この操作性の問題とは2つの問題のことだ。ひとつはメモリを出し入れする作業の危うさだ。注意して着脱しないといけない手間のこと。もうひとつはスロットの耐久性のことだ。丁寧に扱わないと接点がすぐに傷むという問題だ。作業山積の非常時現場の作業は、極力安定していなくてはならない。ICチップの入ったICカード(マイナンバーカードなど)は、この辺で耐久性をクリアしているが、カードリーダーを準備しなくてはならない。

●無接点メディアとしてQRカードは、読み取りも情報を精選して減らせば、読み取りは実用性が高い。欠点は周辺の明るさ保持と、読み取り時の平面確保の手間が、光学系であるがゆえに条件になることだ。実験で懐中電灯の明かりの元で、読み取り試行を行ったが、懐中電灯を固定すれば問題なかった。また、汚れも目視上境界線が乱れていなければ問題にならなかった。ただ、印刷インクのにじみには弱く、印刷インクは堅牢な性質のものである注意が必要だ。静電印刷が好成績を上げている。ICメモリの時代には、表書きのシールにQRコードは残っていくだろう。

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(第6・7面 最終稿)

<東日本大震災の中で提案した「わーく」のアイデアから/被災急性期の医療混乱回避をめざす「市民トリアージ」の提唱(継続中)>

●昨年1月、「わーく」編集部は、静岡県で広範に行われている「市民トリアージ」の静岡市の静災連主催のシンポジウムと指導者養成講座を見学し、事務局の救急医さんたちと話し合ってきた。災害時、救急外来は大混乱し、医療関係者人員不足は極限に達してしまう。この危機を乗り越えるために、「トリアージ」という被災傷病者の命の危機の深刻度を仕分け、対応に序列をつける振り分けの一部を地域の自治会や地区社協や防災協力者に分担し、救急医療適性化・効率化を行うというものだった。「一次トリアージ」と言って、傷病の程度を簡易スクリーニング・チャートにしたがって、病院か救護所か程度の振り分けを市民に託そうという試みを見学してきたのだった。

●静岡県は南海トラフ地震の東端、東海沖地震の危険地域であり、防災は急を要している。そのために、救急医療の整備は進んでいる。例えば震災事故で肺気腫を起こしている瀕死の患者と上腕骨折の患者が家族には両者とも重症に感じ、各自の判断で病院に当事者を連れてやってくる。時間にゆとりが取れる傷病者と時間を争う傷病者が入り混じってしまう。病院では医療有資格者が「二次トリアージ」という4段階の区分けを行い、治療を行う。「市民トリアージ(一次トリアージ)」を受けて、病院送りに仕分けされた患者、救護所担当の看護師らによって、再度病院に送られてきた患者を治療する。

●市民トリアージは、道路が寸断されてドクター・ヘリで移送せざるを得ないとき、搬送順を決める場でも行われる。勿論、ヘリ搭乗の救急医・救急救命士のチェックも行われる。私は果たして市民
にトリアージが可能か心配だったが、一度でも訓練に参加し、初体験でない者ならば可能だとわかった。安田清医師(静岡県立総合病院救急科危機管理監)との質疑の中で、私は3点トリアージ・チャートに、改善点があることを提案した。

1)被災時、頭部を強打していないかのチェック
2)妊産婦であるかのチェック
3)てんかんなどの障害の有無

2)3)は、トリアージ・チャートの特記事項にメモの要素だが、1)は振り分けでは「黄チャート」にあたることだ。受け止めてもらえたと思う。これらを加味しても、行いうる重要な活動だと思う。茅ヶ崎市の市民協働の提案の場などで、紹介提案しているが、受け入れ環境が整っていないというところで話が止まっており、市民活動機運が育っていないことも問題になっている。今後も継続して紹介活動を継続していく。

(参考)
●「第1回 『市民トリアージ』シンポジウム」
●「任意団体「静岡地区災害時医療対策連絡会(静災連)」参加団体」
●「『災害・医療/町づくり』リーフレット」


------ ここまで ------

母が遠出疲れでダウン。寝ている間に、ビッグイシューの配布と、金曜災害ミニカフェ10月予定表ポスター配布、我が家の食材買い物を済ませてきた。

原稿校正もあがり、ほっとしている。

夜間傾聴:開店休業

(校正1回目済み)

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10/3 母の友人の見舞いに連れ添って/「わーくNo.067」第5面後半最終稿より

2016-10-04 05:13:25 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/03 記
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母の古い友人の癌発症で、手術・薬物治療不可とのことで、その方が病院から自宅に戻され昼間ひとりの生活をしているとの話で、母が見舞いに行きたいと言い出した。

埼玉県の某駅から1時間に2本の路線バスで30分、園芸農家だらけのバス停から歩いて20分。コンビニひとつない集落の一軒がその御宅だった。消化器系の癌なので、食べ物も難しく、母が土産を辻堂駅モールで選んでいる間に、私はカラスの行水を済ませて、辻堂に後から追いかけた。そんなこんなで、先方宅には夕方ついたのだが、お孫さんが留守番しているだけで、当人はいなかった。

廊下で転倒したとかで、命に別状はないが大腿骨骨折?整形外科入院に。今日は面会謝絶とのことで、病院の場所だけ確認して帰ってきた。病院まではタクシー。寝たきりにならなければいいが。原因は犬の散歩をしようとしたとのこと。前にも同じ原因で肋骨を折って入院していた。

後日、私は母の他の友人らを引率して、病院に見舞いをすることになってしまった。とても大船渡行を言い出せる状況ではなくなっている。慌てて持ち帰ってきてしまった土産の粥を粥嫌いの母に食べさせる新たな宿題ができた。途中、横浜改札のビッグイシュー受け取り、母文句の塊となる。

私と母の、介護戦場跡の生活の終章が始まったような気分がしている。深呼吸。母は、早々と寝床に入ってしまった。

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にんにくオリーブ油を効かせた
自家製ボンゴレ・ビアンコと人参サラダ

食事1時間後、ダンピングの様子を見て、初物・種無し柿を食べさせる。

母、完食。一応成功。

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「わーくNo.067」記事最終稿より

-----ここから-----

(第5面下段 東日本大震災の中で提案した『わーく』のアイデアより>『要援護者支援者サイン』の提唱(頓挫))

●激甚災害に会った時、安全に避難するための訓練が行われているが、ひとを匿名の人体としてまず捕らえられ、集団力学的なマクロの目で安全を確保する土台の上に、個人差が加味されて防災活動が成り立っている。ところが、匿名の人体という抽象を拒否している身体がある。それは「要援護者」と呼ばれる。外出時は特に集団に紛れ、その集団からも身を守らねばならない人々だ。

●特に聴覚障がい・発達障がい・内臓障がい・網膜症・精神障がいのような見かけではわからない障がいの方々は、集団行動を強要されて非常に危険な状況に陥る。その方々が緊急避難する別の場所が必要ではないかという発想がら、考えられたのがこの「要援護者支援者サイン」だ。勿論身体障がいや高齢・妊産婦の方も利用可能だが、視覚に頼るサインゆえに、視覚障がいの方までフォローすることができなかった。笛も雑踏の中では効果が怪しいのだ。このサインは、支援者と要援護者の集合を、一切の準備機材なしに行える点が特徴だ。航空機の誘導に使う「頭上交差を繰り返す」サインだ。視覚障がいの方は逆に当人の側から赤ハンカチ等を振るサインを出してもらい保護する以外難しいだろう。サイン公認の道が問題。


-----ここまで-----

<気になる記事>

●「弁護士ずっと被災者のそばに 公設から法人に」(河北新報・陸前高田)
●「宮城)登米市に被災者転居支援センター 県内2カ所目(朝日・宮城版)」

夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)

 

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10/02 研究会を振り返り/「わーくNo.067(第1・4・5面)最終原稿より

2016-10-03 05:25:26 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/02 記
--------------

橋本の学習指導が先方の問題で変更になった。クール・ダウンが必要。明日、母の友人の見舞いに母を連れて、埼玉某所に付き添う。帰りに横浜で途中下車し、ビッグイシュー販売員さんから新刊を買う。母がいるので、長話は出来ないが、丸一日かかってしまうだろう。駅を降りて路線バス30分、バス停から歩いて30分という辺鄙な場所。この辺でいうと獺郷に行く感じか。

先日の研究会の発達をめぐる研究の中の、引きこもり青年の就労支援活動の研究の件を再考している。ラズベリースクールの影響があるように思うが、アメリカの低所得者層に表れている若者の学習忌避からドロップアウトしている地域で、即興性に満ちたゲームを学習に取り込むことで、絆を回復し、社会復帰していくという線にのって、その練り直しを考えているように思えたが、塾屋にとっては、太郎次郎社時代の私塾の会でやりつくしたことのように思えて、結局は学校制度に発想が取り込まれているように思えて、ため息をついている。

社会参加としてのまなび、自己の居場所作りとしての就労というような開かれた視点が見えない。どうしたものかと考えている。教科学習についていけなくなったことで、脱落したのだからわからせるとか、興味が持てるように工夫すうというのは、引きこもり青年の的を射ていない。彼の引きこもりは、学習空間からの疎外ということや、受験競争から押し出された結果と考えるのは違うのではないか。学習の営みと自己の将来がマッチングしない、意味が見出せないという問いの中には、関わる他者の存在の不在が隠れている。引きこもりは社会から断ち切られた結果でもない。オンライン上でゲーマーとして名を馳せているかも知れない。実像を追うべきでは。

 


「わーくNo.067」最終原稿より

----- ここから ------

(「第1面:全3回の災害対策企画整理から重要企画の継続の価値を思う」

●秋は台風に運ばれて、急にやってきた。医療とケアの関係者が懇談する茅ヶ崎懇話会を支えて、9月の会を無事に終えた。直後の空白の時間、今号の執筆にあたり、全3回の総括の最終回、東日本大震災や熊本地震が教えてくれる重要な防災準備課題が煤けていないかを改めて思う。

●「わーく」は引きこもり青少年を初めとした困難を抱える若者たちの社会参加をデザインしている。
災害ボランティアは、その中で生まれた。企画を生み出していくうちに、現状打開のいくつかの重要なアイデアが生まれた。それは「お薬手帳QRコード版」であり、「市民トリアージ湘南版」・「幼児・学童の日中預かり」そして、「在宅避難・車中泊被災家族と公共避難所を結ぶ『御用聞き』
支援自転車チーム」だ。これらは、被災せねば始められない「絵にかいた餅」であるが、いざというときに、何をどう始めたらよいか、変容可能の自由さを含めた構造と有効性を明らかにし、例の形で明らかにする進め方をしていきたいと思っている。

●被災地を歩くと、様々な課題が見えてくる。その中でも、中高生世代の地域社会参加活動だが、彼らが大人の中で始めている諸活動が、教科学習と受験活動に再組み込みされはじめていることだ。発災時、学校は休校になり、各人の近所の地域活動とくに避難所活動に参加している子たちがいた。彼らは、何々中、何々高生ではなく、**くん。++さんであった。それが学校が再開されるにしたがって、何々中生たち、何々高生たちと姿を変えて、集団で活動するようになり、地域の住民との個々のつながりが浅くなり始めていることだ。大人社会の周辺にいる彼らが、学生の本分は(教科)学習の論理に乗って、再びモラトリアムの構造の中に組み込まれていく、常識という大人の見識の無さが見えてくる。災害の中で大人は何を見てきたのだろう。学校の門を出た子を中学生たち・高校生たちと呼び、固有名詞を失わせて行く事態は憂慮すべきことだと思う。

●「わーく」は、不登校・引きこもりの青少年とのお付き合いのなかで、学校という所属からはみだしている子たちと付き合ってきた。彼らはまず一個人であって、学生なのであって、全生活が学生なのではない。社会に被災というニーズが生まれたとき、避難所の仕事や子守役などの自主活動に動き出した。「他者に必要とされるとき、ひとは情熱的に動き、成長する」。そのことを忘れずに、ティーンズの仕事を明らかにしていきたいと考える。


**東日本大震災の中で提案した「わーく」のアイデアから**
<<被災時自己表現困難な方を意識した『お薬手帳QRコード版』企画>>(第4~5面)


★広域大災害が起きたとき、基幹救急病院を中心とした救急外来の大混乱や、看護の人員・施設のキャパシティーを超える危機的状況が予想される。

★「お薬手帳QRコード版」は、救急治療が済んだ傷病者の身元・病歴等保健・医療情報確認を効率化することを主眼に、救急治療上確認が必要な医療テータ(アレルギー等)を参考提供する機能や、避難所生活の心身留意事項提供により事故を避けることを副次的な目的にした任意参加の救急時保健医療カードだ。

★利用環境が災害急性期・亜急性期の被災地なので、外部支援が到着するまで電源・専門機材・通信に頼らず上記の困難を軽減する対策が望まれる。平常時と異なり、医療現場は病院に集中するとは限らない。道路が寸断され移動出来ない事態が起きるからだ。医師の数は限られるが、救急救命士・看護師資格を有する方中心にあちこちで応急処置が行われる。輸血等の治療は不可能であるが、身元確認と同時に、傷病者への看護・食事提供の、命に関わることがある留意点を伝えることができる。

★QRコードは最近の携帯電話のアプリで読むことできる。携帯電話普及率を考えると、携帯電話はスタンド・アローン機として利用し易い。自己表現が出来ない状態の方を代弁する役割は、乳幼児・重症者・高齢者・障がい者・日本語が使えない方等(災害時要支援者)などにメリットが出て来る。

★それならば、紙に必要事項を記入して携帯すればすむこと。しかし、そこには紛失時のプライバシー漏洩の危険があるが、QRコードの場合は、盗み見程度の漏洩抑止効果がある。ICカードやICチップでは更新のメリットはあるが、読み取り機等の専門機材が必要であったり、挿入口のある携帯(スマホ)であっても、着脱頻度が高く、粉塵や泥により携帯自身を壊し易い難があり、光学系の読み取りであるQRカードに利がある。

★QRカードはVer.01~03の3種類がある。Ver.01は、「基本」「家族」「医療」の3つのQRコードが並び、医療関係者は主に「基本」と「医療」を読み込む。Ver.02では、常備治療する薬データなどを医師が発行する「QRコードシール」にして台紙に貼っていく。Ver.03は「SDHC カード」そのものを利用することも考えた。しかしこれは専門機材の読み取り機が必要であるし、モバイルPCを読み取り機に使うという現場の操作性からすると、携帯電話より場面設定が難しくなると思われた。(詳細は連載記事参照)結果として現在はVer,02「QRコードシール」に戻っている。

★運用上は、必要最低限の「名前・住所・電話番号・生年月日・血液型・体重・身長」を必須事項とし、「病歴・現在使用中の薬品名・プロフィール」は任意選択として、作成は任意となる。

★紙の書き込みカードからQRカードへの移行のメリットは、一定程度のプライバシー保護を行いつつ、治療現場へフィットした有効利用性、携帯性にあう。今後の吟味はカードの作成環境、申込から発行・更新にいたるプロセスの個人情報扱いの信頼性の公共団体を描くことと、病院・開業医が「QRコード処方箋シール」を発行すうために、薬剤師協会などと連携する運動を高めていく方策、試行の場として市立病院の協力を取り付ける必要がある。

★「茅ヶ崎市との協働」提案の場や、市民提案にも「QRカード」を提案し、有用な提案であることを認めていただいているが、その実現までの環境が整備されなければ、現段階で実行は無為という但し書きをいただいている。誰がそれを必要と感じ、実現に向けて活動化していくかという、協力の活動作りの壁を叩き続けている。障がい者団体が発行している障がい説明と救援要請のSOSカードとQRシールとの合併や、健康保険証裏面を台紙に利用する案があり、その項目の吟味も必要という段階にある。壁に向き合っているが、この企画の重要性ゆえ、継続していく選択をした。

-----ここまで------

 

夜間傾聴>中学生の**君

(校正1回目済み)

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10/1 慈恵医大眼科から、某大研究会(筑西市の引きこもり青年の就労支援)に参加し

2016-10-02 05:12:32 | 地震津波災害ボランティア

2016/10/01 記
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目覚ましをセットしておいたが、鳴っているのに起きない不始末。母にひとり風呂や、思いつき外出は、やめてくれと念をおして、急ぎ洗面して飛び出した。新橋からタクシーを利用して、5分遅刻を眼科受付の看護師に詫びて、何とか受診に成功。助かった。

生き残っている片目が、白内障のように、じわり視野が霞み始め、網膜色素変性症というより老眼の進行のように焦点をあわせるのに時間がかかるようになってきた。頭上に出刃包丁がつるされているような危機感を感じる。進行を抑える薬しかないのが冷ややかさの原因である。栄養剤のような程度の薬だが、絶やすことは避けたいのだ。

NPOサポートちがさきの会員の方にも、先方は黄斑変性症だが、視野狭窄が進んでいたが、夜、転倒事故を起こして入院された。私達は、鳥目のように闇に弱く、足元が見えないし、ヘッドライトや夕日の直射が正面からあうと、ハレーションを起こして前方が見えなくなる。悪条件が重なれば転倒する。

処方箋薬局からひとかかえ常備薬を小脇に抱えて、とにかく丸善に向かい、<a href="https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784772414241">「災害精神医学」</a>と商売道具の書を買い込んで、研究会に滑り込んだ。

筑西市の引きこもりの就労支援活動をされているアイネットの浅沼秀司氏が講師。活動開始の契機やエピソード紹介という一般的な話だったが、普段と違うのは社会的貧困やDV、医療、難民などの課題に取り組んでいる若手研究者ばかり。ただ違うのは、社会活動家ではなく、それぞれのフィールドの活動の中に派生するコミュニケーションを捕らえることに関心が向けられている。人数も懇話会なみだしと、じわり違和感を感じつつ、浅沼氏が女川の若者と交流している件や、就労を社会参加の視点や生活再建との関係でざっくり、事例を求めた。若者サポートステーションの話が主。周囲の関心が違うので、思うように切り込めず、収穫の少ない会となった。

引きこもり青年たちの就労支援は、履歴書の書き方とか、模擬面接トレーニングのような型はめトレーニングがあり、こころの困難のアイス・ブレーキングのような就労継続支援の作業所を腰掛気にしたプレ就労が主になる。社会参加という側面が希薄となり、私の関心のセルフ・エスチームを意識した特殊な場、災害ボランティアのような必要とされる現場の正統的周辺参加をセットするという試みは、空転してしまう。御用聞き活動や、子守活動(子ども保育)活動というティーンズの社会活動の独自領域の話は、見事に空振りしていった。

とにかく時間にゆとりがないので、池袋から急ぎ帰ってきた。

しかし、爺ぃはどこに行ってしまったか。若手ばかりの会なので、急遽参加できたことを良しとすべきだが、偏屈爺ぃが恋しい一日だった。

夜間傾聴:ひとり

(校正1回目済み)

 

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