正月の街を歩いた。昨年もやったのだが、今年は東京・駒沢公園周辺を歩いてきた。
正月は不登校・引きこもり青年にとって重苦しい時期だ。受験は近づく、親族が集まり無職を批判する。親族の集まる例の多い2日、気が向いた連中が集まって新年散歩を行っている。少しは気が晴れる。今年は昨年と同じ、東京・駒沢公園周辺を歩いてきた。ベテラン引きこもり青年3人と、近況を話してきた。ひとりが今年、大学受験する。今年は新顔がいなかった。それがいいやら悪いやらわからないが、なんとなくつながり感を暖めて渋谷で散会した。なんのことはない、それだけの企画なのだが、おそらく来年もやるだろう。
ひとり帰路の同じ中延君(仮名)と銀座線に乗り込み、青山一丁目で別れた後、私は田原町のある和菓子屋さんの事務所にお邪魔した。三賀日過ぎに代休だそうだが、浅草が近いここは、正月が半休なのだという。従業員の半分が休み、残りが三賀日後に代休を取る。ここは身体障碍が中心だが、障碍者雇用に理解がある経営方針を採っている。今年知的の青年をひとり採用した。おかげで私たちが就職先探しをしていた引きこもり青年が落ちてしまったのだが(理由は突発欠勤の可能性)、継続してお付き合いさせてもらっている。落ちた子は今コンビニで働いている。私が一時期和菓子修行をはじめた(和菓子喫茶作り)ことに触発されて彼も和菓子屋さんを目指したのだが、就職先の狭さが見えてきて、専門学校生になる決断もにぶり、今に至っている。少々気がとがめるところなのだ。
ここの事務所は和菓子を生産販売しているわけではなく、事務所兼倉庫兼社員寮なのだが、不思議なもので、酒蒸しのいい香りがどことなく漂っている。これが職場の匂いなのだなと思いながら、中小企業の若手人材不足の話を伺ってきた。技能職が多いので、障碍者雇用には手を入れていかないと、そのままでは結びつきそうになかった。
浅草の仲見世通りはシャッターが閉まると、路上生活者集団のダンボール布団の並ぶ街に一変する。この時期は自警団や警察の巡回もきつくなり、山谷方向に移動する。多重債務から身を隠す者や無認可サラ金の暴力団捜索屋がからむため、常に物騒な状態があるが、無職青年は常にここに身を落とす可能性を孕んでいる。ここでがんばっているボランティアさんといずれ話し合いたいと思う。ここ数日の浅草界隈の路上の様子を伺って、事務所をお暇した。
初詣客の中、なんとなく孤独感を味わいながら、神田で下車し、東京経由で帰宅した。正月と言っても途中の「なか卯」の食事では、普段と大差ない。帰宅したら姪が成人式祝いを受け取りに来ていたが、待ちきれなくなって怒って帰ったと聞いた。母に祝い金は預けておいたのだが、まとめたのでわからなかったのだろう。茶髪の正月にふさわしいタイプだから「来るのは、めでたい」と、母に冗談を言っておいたのがいけなかった。獅子舞の解説付きで姪に伝えたらしい。まあ、なにはともあれ、怒りのメールが届こうと、一日は無事終わったのだった。
今日は散歩参加者から、お礼のメールが届いただけで、夜間傾聴の電話も鳴らない。普段なら、これをいいことと解釈するが、この時期は何かが起きている可能性も高いのだ。モニターは、緩めてはならない。
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~「わーく」マスコミ活動を始めるには~
まず活動の資本金の伸縮自在さを特筆すべきだろう。交通費・電話代・印刷費自腹ではあるが、「わーく」冊子発刊は50部からスタートさせる。たくさん刷っても裁けない。むしろカラー刷りして、常設コンビニ店を作る。支援者向きには白黒印刷、これはサポセン置き。これなら7千円/回ぐらいでスタートできる。隔月で年間4万5千円弱というところだ。
オンライン環境は、すでにSNSサイトのシステム・プログラムやマイクロフォンがあるので、当座は新たな出費は無い。モニターのiPad、デジカメ、2chミキサー、中古PCは、おいおい揃えていけばいい。機材そろえて20~30万円だろう。放送も無理せず月1回流す程度から。
問題は手間がかかるから人手が欲しい。人材確保こそ鍵になる。ひとりからの再出発であり、十分に徒労に終わる可能性のある活動だ。だがこの活動を通じて開かれる環境は、市民活動・障碍者活動へと共有できる環境を提供できる。
出会い対話できる環境、引きこもり青年の分散ネットワーキングとノットワーク、協業の形成などは、構想への共感がなくては、お互いがつながらない。ここは、まずは「ろうきん助成金」等に申請を出し、評価をいただくこと位だ。あとは、祈るしかない。
(続)
夜間傾聴:昼間の散歩参加者から
(校正1回目済み)
正月は不登校・引きこもり青年にとって重苦しい時期だ。受験は近づく、親族が集まり無職を批判する。親族の集まる例の多い2日、気が向いた連中が集まって新年散歩を行っている。少しは気が晴れる。今年は昨年と同じ、東京・駒沢公園周辺を歩いてきた。ベテラン引きこもり青年3人と、近況を話してきた。ひとりが今年、大学受験する。今年は新顔がいなかった。それがいいやら悪いやらわからないが、なんとなくつながり感を暖めて渋谷で散会した。なんのことはない、それだけの企画なのだが、おそらく来年もやるだろう。
ひとり帰路の同じ中延君(仮名)と銀座線に乗り込み、青山一丁目で別れた後、私は田原町のある和菓子屋さんの事務所にお邪魔した。三賀日過ぎに代休だそうだが、浅草が近いここは、正月が半休なのだという。従業員の半分が休み、残りが三賀日後に代休を取る。ここは身体障碍が中心だが、障碍者雇用に理解がある経営方針を採っている。今年知的の青年をひとり採用した。おかげで私たちが就職先探しをしていた引きこもり青年が落ちてしまったのだが(理由は突発欠勤の可能性)、継続してお付き合いさせてもらっている。落ちた子は今コンビニで働いている。私が一時期和菓子修行をはじめた(和菓子喫茶作り)ことに触発されて彼も和菓子屋さんを目指したのだが、就職先の狭さが見えてきて、専門学校生になる決断もにぶり、今に至っている。少々気がとがめるところなのだ。
ここの事務所は和菓子を生産販売しているわけではなく、事務所兼倉庫兼社員寮なのだが、不思議なもので、酒蒸しのいい香りがどことなく漂っている。これが職場の匂いなのだなと思いながら、中小企業の若手人材不足の話を伺ってきた。技能職が多いので、障碍者雇用には手を入れていかないと、そのままでは結びつきそうになかった。
浅草の仲見世通りはシャッターが閉まると、路上生活者集団のダンボール布団の並ぶ街に一変する。この時期は自警団や警察の巡回もきつくなり、山谷方向に移動する。多重債務から身を隠す者や無認可サラ金の暴力団捜索屋がからむため、常に物騒な状態があるが、無職青年は常にここに身を落とす可能性を孕んでいる。ここでがんばっているボランティアさんといずれ話し合いたいと思う。ここ数日の浅草界隈の路上の様子を伺って、事務所をお暇した。
初詣客の中、なんとなく孤独感を味わいながら、神田で下車し、東京経由で帰宅した。正月と言っても途中の「なか卯」の食事では、普段と大差ない。帰宅したら姪が成人式祝いを受け取りに来ていたが、待ちきれなくなって怒って帰ったと聞いた。母に祝い金は預けておいたのだが、まとめたのでわからなかったのだろう。茶髪の正月にふさわしいタイプだから「来るのは、めでたい」と、母に冗談を言っておいたのがいけなかった。獅子舞の解説付きで姪に伝えたらしい。まあ、なにはともあれ、怒りのメールが届こうと、一日は無事終わったのだった。
今日は散歩参加者から、お礼のメールが届いただけで、夜間傾聴の電話も鳴らない。普段なら、これをいいことと解釈するが、この時期は何かが起きている可能性も高いのだ。モニターは、緩めてはならない。
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~「わーく」マスコミ活動を始めるには~
まず活動の資本金の伸縮自在さを特筆すべきだろう。交通費・電話代・印刷費自腹ではあるが、「わーく」冊子発刊は50部からスタートさせる。たくさん刷っても裁けない。むしろカラー刷りして、常設コンビニ店を作る。支援者向きには白黒印刷、これはサポセン置き。これなら7千円/回ぐらいでスタートできる。隔月で年間4万5千円弱というところだ。
オンライン環境は、すでにSNSサイトのシステム・プログラムやマイクロフォンがあるので、当座は新たな出費は無い。モニターのiPad、デジカメ、2chミキサー、中古PCは、おいおい揃えていけばいい。機材そろえて20~30万円だろう。放送も無理せず月1回流す程度から。
問題は手間がかかるから人手が欲しい。人材確保こそ鍵になる。ひとりからの再出発であり、十分に徒労に終わる可能性のある活動だ。だがこの活動を通じて開かれる環境は、市民活動・障碍者活動へと共有できる環境を提供できる。
出会い対話できる環境、引きこもり青年の分散ネットワーキングとノットワーク、協業の形成などは、構想への共感がなくては、お互いがつながらない。ここは、まずは「ろうきん助成金」等に申請を出し、評価をいただくこと位だ。あとは、祈るしかない。
(続)
夜間傾聴:昼間の散歩参加者から
(校正1回目済み)