2022/03/17 記
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母は昨日から首筋の痛みを訴え、地元のペインクリニックでブロック注射をしてもらい、静かに寝ている。その間を利用して、茅ヶ崎駅側のビッグイシュー配達を済ませて、私の地元医に糖尿病定期検査をすませてきた。母と私、二重の通院は忙しく、白い輪の幻視の目の症状も現れて、冴えない一日。
昨夜の福島県沖地震の被害がひろがっている。関東•東北に広域停電が起きていた。チェック。
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研修が終わってから、この空転を考えた。投げ銭のように、サービスを外側から提供する構造の存立理由は、研修後の対話の中のリスナーの感想に理由のヒントがあった。
「被災者家族との距離を縮めるのは大変で、なかなか心を開いてくれない」というもの。私は避難所で話しかけた時には違った印象を持っていた。
客を迎える時のような柔らかな歓待姿勢だけは保つ方が多いという印象だ。対話の入り口だけは開いている、しかし一歩深入りするとき、沈黙が待っているという、危機保身の自己防衛下の人判断、品定めの関門(チューニング)がある。
これは私の印象にすぎないが、阪神淡路大震災の時は、はぐらかされることが多かったが、有珠山噴火•東日本大震災のときは、突然の不器用な沈黙が待っていた。しかし、状態解決の迫る必要が背景に手伝ってか、決して遮断されることはなかった。被災者の心は開かずの扉ではないのだ。
勿論、、激しい拒絶や怒りにあうこともある。その方とて、永久に開かないというわけではない。ただ「待つ心」と場を踏まないと、即親密な対話というわけにはいかない。そんなこと当たり前のことと考えてきて、ふと気がついた。
支援に来る看護師さんは、普段は各地の病院勤務をしており、職場を離れて有期限の支援活動をしているという関わりの限界のことだ。
被災入所者さんにしてみれば、頼んでも忘れられ、また別の新しい看護師さんが来るという無念の嘆きの言葉を思い出した。問題が見えたような気がした。
少なくとも数ヶ月、避難所担当をする滞在看護師さんが必要なのだ。これは保健師さんでも変わらないが、保健師さんの場合は、行政保健師という所属で関わる方がいる。地域の自治体から配置されるため、比較的長期の関わりが可能となる。ただ、その行政保健師は、圧倒的に人手が足らない。
この構造を解決していく方策が求められているのだ。
zoom研修の際、私が指摘してきたことは、保健師にむけられることだったのかもしれない。しかし、救護所待機治療にとどまらず、被災者家族の巡回と医師との仲介に踏み込む長期滞在看護師増員と、医療ケアの非常時連携の個々のパートナーは、当事者「家族」だということ。ここを潤滑に起動していくのは、医療専門職NPOと、地元素人外周支援の絵を描く必要があり、医療は専門職の仕事という頑迷な認識が揺らぐ場も被災地だという、もつれた課題がある。
短期派遣支援がいらないというのではなく、それが長期滞在型支援を育てていかなくてはならない。そう思うのだ。まだまだ具体策に至らない話だが。
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(校正1回目済み)