2023/03/10 記
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ハッカーさん、2時過ぎごろから、書き始めます。よろしく。
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母を趣味の会に連れて行き、私はすぐに家に戻った。明日配布の手書きチラシを完成させるためだった。すぐに家にもどるのは初めてのことだった。
昨夜苦戦した手書きチラシは、要はロゴがうまく書けないことと、文の行が曲がってしまうことが難関に、なっていた。
うまく行かず、winのPCをいじったりしたが、画面にピントをあわせると、きーぼーどに胸がかぶり、操作ができなくなる困難は変わらず、結局今までテキストベタ打ち発行してきたチラシの切り貼りとなった。文字が傾いたり、ひどいものだった。
とにかくチラシ原版を仕上げ、原版を持ってコンビニでコピー。50部作った。汚い。貼り合わせの境の線がみえてしまった。まあ、やむをえない。
明日、母は近所の趣味仲間家族と、東京の趣味イベントに行く。18時台帰宅予定。私は夕食当番。その時間までに、藤沢集会から帰らねばならない。東京で、めまいをおこさねばいいが。
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倉敷真備の障がい者母子の災害死の背後には、所属コミュニティの向こうにご近所コミュニティがあったという問題点があった。お付き合いの多様性を欠いたための事故という課題は、抽象的で身に軋みを感じている方しか、みえないものなのだろうか。共助の相手、必要としての隣人。
路上生活者支援をしていると、社会の居場所から弾き出された方を受け入れる居場所がない、誰も悪くない社会の地獄をみる。ここにコミュニティの壁がみえるのだが、これをいかに説明するか。通じない人々が多数派の社会。
私が接していた辻堂駅の@@さん、いつものように、おにぎりを届けに行った夜、@@さんはエレベーター前の通路にうつ伏せになって息たえていた。眼は白濁し瞳を残して死後硬直から5〜6時間は経っていた。放置された@@さん。警察が現場検証し、病死となり、私も解放されたが、通勤時間を経て、関わりを避け放置した人々。背筋が寒くなった。誰も悪くない人々の狭間で@@さんは亡くなった。これがコミュニティの壁。
彼は無縁仏として埋葬されたが、藤沢市の担当課は、その墓地すら、身内のものではないからと教えてくれない。藤沢には、大庭墓園という公共の墓園がある。そこだろうと、毎年6月に無縁仏に手を合わせにいく。
明日、大庭墓園近くの二番構公園で3.11の集会に参加した後、6月ではないが、墓園に寄ってくる。
いたみを感じている人以外みえないのかもしれない。
辻堂駅は私の関わった##君も飛び込みをした悲しい駅だ。
コミュニティの壁、どう翻訳するか…。
(校正2回目済み)