⚫︎「にほん防災(福祉)むかし話06〜
阪神淡路大震災・有珠山噴火災害後FM-MCやってた高校生〜その2」
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☆東日本大震災と災害FM☆
続編です。
当時、障害フォーラムいわてが、知的障害と身体障害の青年たちのおしゃべりFMをたちあげ、大船渡市のある市会議員が、こどもFMをたちあげていた。それぞれNHKや、書籍にとりあげられた。被災という過酷な経験のなかのたまり場を構想し、おしゃべりを楽しんでもらうつもりでいた。ここは大事な教訓なのだが、放送の基本の過ちがあって、いずれも短命に終わった。話題がなくなってしまう、思うほどにリスナーは応答してくれないし、すぐに飽きてしまうのだ。地獄の沈黙をあじわうことになったのだ。
石巻・釜石には、SNSのようなインターネット媒体の個人放送局が現れ、現在のyoutubeのたまごのような趣味性の高い語りが、雨後の筍のように、現れては消えていた。
いずれも想像力・企画力という作る側の壁と、聴くが飽きるという消費者の使い捨て癖から語り出しへのハードルを超える力がわかないという連携の壁がある。
ここまで読んでいて、何が欠けているか気がついた君は、ジャーナリストの芽を持っている。それは「取材」という放送の基本活動だ。(気づいたかな?)放送は対話。話題を見つけ、話しかけ、まとめ上げていく活動だ。内輪話の傍観者はつながらない。これからも災害私設放送局は生まれていくだろうが、これが生き残るか否かの指標なのだ。
ああ、何か大事なことを書き忘れているなぁ。まあ、思い出したら、書かせてもらいます。うんざりしないでください。
めでたくない
めでたくない