2015/05/31 記
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冬物の衣類と布団の洗濯と衣替え、やらされて半日が終わる。大半が着ない母のもの。我が家は数十年におよぶ、介護の古戦場のようなものだ。すいとんでもやるかねというブラック・ジョークが本当になって、今夜は「すいとん」だった。あとは、自分達の始末をつければ終わりだ。
神戸に行くという急転回があって、いくつかの団体と、災害FM時代の数少ない友人をたどっていたが、大半が亡くなっていた。20年たつとは、そういうことだ。ただ塾屋つながりで、高齢者介護関係のボランティア活動をしている方につながった。少しずつ手がかりを作っておいてから回ろうと思っているのだ。
奈良**MLにも声をかけたが、こちらは若干若い。阪神淡路大震災の体験者がひとりもいない。福祉系の話を振っても無理なので、教育系の筋から、当時の地元教員を知らないかと語りかけている。
復興住宅入居した単身者のその後を追うことが今回の鍵になる。解体されたままの希薄な地域に生き、就労するにも年齢がひっかかる被災高齢者たちだ。民間アパートを自治体が20年借り入れてその期限がきている復興住宅では、今、他の復興住宅の空き部屋に転居を余儀なくされてる人たちもいる。被災者支援は極端にスパンを長く取らないと課題を支えきれない。
秋口の懇話会は、順番が高齢者。「高齢者の都市型地域支援」がテーマになる。弁当宅配は中高年が主導する支援スタイルだが、なんらかの若手アレンジを施した支援スタイルを準備できないかと思っている。「若いひとは関心がないから無理」というのが私の周辺の圧倒的な意見だ。わかるが承服できない。
懇話会は9・10月だなと考えている。
豊中社協は帰りに是非押しかけたいのだが…。
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さて、今日から「懇話会ニュースNo.013」の配布が始まる。
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北海道の友人から電話が入った。体調が悪いようで心配なのだが、ここの娘さんに、「腕力の効いた海外絵本」を毎年贈っている。出版の面白さという変化球なのだが、娘さんは、とにかく作者が媚びていないことはわかるらしい。
昔、田無で塾をたちあげていた者がいて、重い病気で塾を閉じていたが、今年度から夫婦で再建することになっていた。彼らも絵本の力に気がついていた。ただ私とらえ方が違うのは、3.11被災者の絵本などが出ているが、これを震災の悲惨を伝えるメディアとして扱うかということだ。子どもは感化させる対象としてとらえる「操作の眼差し」が嫌で、いかに見かけが高踏であろうと、私なら子どもが問いかけられる当事者を良しとする。
そういえば先週金曜に湘南子どもネットワークは、子ども支援センターの須田さんが講師だった。センター業務の概括を説明されていたが、最期の配布資料が気になった。
4コマの吹き出しを空白にしたマンガなのだが、そこにせりふをいれよという話だった。保育園に積み木に夢中になっている子がいて、そのお母さんが迎えに来る。開口一番「帰るわよ」と息子に語りかける。次のコマでは、息子さんが積み木を壊して大泣きしている。3コマ目は、保母さんが息子さんに何やら語りかけ、親御さんは、困った顔で何かを思っている。4コマ目で息子さんが納得して靴を履いている。保母さんが親御さんに何かを語りかけているという流れだ。
会場からは、この子が積み木を完成させたかったから泣いた。明日、またやろうねと保母、納得する子どもというストーリーが描かれていった。いつも思うのだが、臨床心理学の論述もそうだが、子どもの生活歴、彼は家庭生活をも送っているということが捨象されて、保育園という場に限定されたシーンで、事が語られて行く不可解さに、だれも気付いていない。
保育園に来るなり、「何やっているの」と、彼の状態をひとこと聴く耳が親にないこと。息子さんは積み木が中途半端で怒っているのではなく、「お母さんは、いつも割り込んでくるんだから」と、お母さんの態度に切れているのかもしれない。
もっと極端な例では、この日は父親が迎えにくることになっていて、お母さんに内緒で、帰りにタイヤキを食べようと、密約があったのかもしれない。ところがお母さんが来てしまった。なんでお母さんがくるんだと怒っているのかもしれない。
これは保母さんの立場からは見えない。誰もが背景を背負っていることからずれる事実の恐ろしさ。
子どももひとりの個人として独自の生活歴・歴史性を持っている。それに気がついていない。積み木を続けたかったとする発想が、私には気になる。子どもの想定年齢が、私は高めかもしれないが、「保母さん一問一答集」にならねばいいがと思う。
余計な延長戦。
夜間傾聴:ひとり
(校正2回目済み)