湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

1/5 セツルメント運動と被災者長期サポート 他

2019-01-06 05:27:39 | 地震津波災害ボランティア
2019/01/05 記
----------------------
母が起床時にベッド上でこけた。瞬間意識がなかったらしい。幸い怪我も捻挫もなかったが、持病の発作だった。怯えて母は寝床から出てこない。好物の烏骨鶏カステラでつり、母を茶の間に移動させた。実はカステラは乾いた文明堂のもので、真相を知った母の怒ること。昼食も無事終了。しかし、発作、油断大敵なのだ。

----------------------

東日本大震災の際行われた、仮設住宅の中に学生を一定期間交代で住まわせて、地元被災者の住民と生活する試みの発想が、「セツルメント」運動に似ていると私が指摘したことから、長いつきあいの奈良**MLから「何だそりゃ」と反応があって、無理せず、たらたらと議論しようという流れが生まれた。教育&福祉系の爺婆連だ。SNSではなくMLであることからも、私たちの時代がわかる。

この小さな議論は、セツルメントの歴史論議から、医療的課題(被災入居高齢者の保健等)との出会いがあって、看護系セツルメントの祖、リリアン・ウォルドの報告をすることになっていった。資料は少なく「ヘンリー・ストリートの家」の要約のようなレポートをじわじわ書いている。社会背景が1890年代の生活困窮者救済に向けられているが、私には現代的な有効性の張力が弛緩する危険性有りという気持ちがある。看護系という枠組みよりも、E.デニソンらのソーシャル・セツルメントに枠組みを拡げ、同時に宗教者主導のいわゆる「臭さ」を意識した議論にシフトしたいという、けしからん立場で読み解いている。阪神淡路大震災の故黒田裕子氏の被災単身高齢者の長期医療訪問支援活動からの提言に触発されているが、私は専門職の運動から社会活動としてのプロトタイプを描き直す必要を感じている。

この大回り作業は、隙間の時間に詰め込む課題のひとつとして考え続けている。それは、被災者の長期サポートを考えた、篤志家集団の活動を超えた門戸の広い活動論を探し求めている。
----------------------

インスタントコーヒーを飲もうとして、顆粒をカップに入れる時、顆粒をこぼすまいと、慎重にスプーンを傾けたら、コーヒーの顆粒は、カップ手前のテーブルに全部こぼしてしまった。網膜色素変性症の視野の輪郭はぼけ、なおかつ片目が見えないと、こういうことが、しょっちゅう起きる。遠近感が障害されているからだ。テーブルを拭いていると、ビンのフタが無いことに気付き、5分近く探し回る大騒ぎになった。そのフタは、目の前のテーブルの上にあった。視野の見えない部分にかかってフタがあったのだ。見逃すと、たちどころに、視野から消える。一日何回もこのような捜索劇が演じられる。もどかしいくやしさをまた飲み込んだ。
----------------------

「奇跡のレッスン 音譜が物語にかわるとき 弦楽器 ダニエル・ゲーデ(ドイツ)」2019/01/04 BS1

道具が馴染むとは、習熟とは。そんな関心の中で、番組を見て切り込む角度が違っていることに気がついた。オーケストラレーションの、実に豊かな実践だった。個人の身のうちに起きる発達ではなく、集団対話の中の個の深化がテーマなのだ。面白いのは、熟達した水先案内人の案内の巧妙さ。スリリングですらある。
(つづく)
----------------------

雲仙の@@さんが熊本の件で動きだした。話を聞かせてほしいとメールしておいた。

ビッグイシューの販売員さんと会い、新刊の配布を開始した。個人購読者分配達終了。

なぜか元旦に1通しか届かず慌てさせられた年賀状が、今朝、ごっそり届いた。だし忘れた方への返信が困った。先方に届くのが松の内をすぎてしまうからだ。何が起きているのだろう。初めてのことだ。焦って返信を書いている。

夜間傾聴: なし
(校正2回目済み)







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする