2016/11/06 記
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「民児教ちがさき おひさま 第6号」が届いた。地域包括支援センターの所長紹介記事が載っていた、何人かの知人の顔が。その中のひとりは、私の母のデイケア(リハ)先を決めた方。もうひとりはCSWさんで、寒川のデイケア職員でいらしたはずなのに。ということで、私は2回分「懇話会ニュース」を異動して彼がいなくなった場所に届けていた。施設職員の方、ひとこと言ってくれればいいのに。
さて、昨日からの「月刊福祉」誌バックナンバーのチェックをしていて、災害時の要援護者保護の現場の声で、懇話会のゲスト候補になり得る方は、皆、内容が少しはずれていて、急性期支援ではない「避難後」の場面では、精神衛生的関わりが強く、被災者のストレス蓄積や「避難所>仮設>公営復興住宅」という避難生活再編の臨時コミュニティ作りに対応するもので、避難時の障がい者・介護度の高い高齢者の保護に、医療畑に任せて、一層の支援を意識している方が見当たらなかった。不十分なのである。元健常者の変調に関心が行っており、すでに避難者集団から押し出されている喫緊の事情を抱える方への支援が、語られない、見えてこないのだ。
準候補は何人かは出てきたが高齢者畑であり、次回の障がい者支援の関係者ではなかった。残りも続けてチェックしていく。
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教材屋の給料は出来高払い。やっと受け取ったのでショルダーバッグで肩が擦り切れたジャケットを捨て、代わりを買った。ついでに予備校講師時代のスーツを久々に出してきて干した。早いもので、退職後1年になる。
今日は母の好きなおでんだったのだが、胃のない母にしては食事のピッチが早すぎたのか、食事後、血糖値スパイクの眠気で横になった母が、突然気道を詰まらせ、騒ぎとなった。ダンピングだが、姿勢が悪かった。もろに救急法の事態となって慌てたが、ともあれ気道確保。信用せよと告げ、苦しくとも協力させた。発見と対応が早かったので、周辺はトイレットペーパーだらけだが、母も理由がわかり、畳の汚れもなく、後始末が楽だった。しかし、冷や汗をかいた。胆汁の刺激の強い逆流。うがいを急がせずに、丁寧にさせた。あごが上向くと再逆流があるので、座布団をだかせ、腰を引いて休ませ、落ち着いた。トイレットペーパーなら、下水道に流せる。ティッシュは繊維が長く、下水道を詰まらせてしまう。てんかんの子との付き合いの中で、覚えたことのひとつだった。突然のめまいとダンピング、石巻行が遠のいてしまった。どうしたものだろう。
母は疲れたのか、寝息をかいているが、横向きになれない。明日、包括支援センターに相談してみよう。認定は要支援で軽度なので、介護度からは捻出できないので、有料でも仕方ないのだが。
懇話会は来年1月に予定している。熊本からのゲストだと、借金せねならないので、3.11関連の当事者さんがゲストの予定。「現場の声」が聞こえる方を説得するには、やはり現地にお邪魔しないと。
「被災経験の貴重さ」と言う。しかしその「経験」とは何なのだろう。引き出し側の知と経験が共鳴しなければ、懇談にならないし、防災は、リーダーが経験の歴史軸(時間軸)を知って反芻せねば、一般に返せる言葉が生まれてこない。べったりと「安全避難=防災」のレッテルが貼られているところで、「要援護者の避難後」「避難生活支援」を実務的に語れなければ、鳥の雛のようにただ口をあいて、有益情報を飲み込んでい続けるなら、ステレオタイプを超えた有効な手立ては準備できない。如何に価値を磨くか。
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高認試験最終日。なんとか会場離脱することなく、済ませることが出来たようだ。
今、高校生の災害発生していない防災日常活動の件で「地域とひとのパトロール」体験の構想を誰からどう一般化するか案を練っている。県の教育関係者と、一度話す必要を感じる。
夜間傾聴:高認受験者三人(うるさい、早く寝ろ)
中学生ひとり
(校正2回目済み)