2013/11/08 記
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医者の定期検査のあと、東京早稲田の戸山サンライズを会場に行なわれた「英国ソーシャル・ファームの実地調査報告会」に参加してきた。「ソーシャル・ファーム」とは、社会的困難を背負うために就労困難な方が、健常者との協働により、社会復帰とソーシャルインクルージョンを図る労働の形のことだ。「社会的企業」と訳されるが、類似の活動の「ソーシャル・エンタープライズ」とは「経営参加権の有無」をめぐって峻別される。公共的労働を中心とした職域開拓を含む就労困難者への就労アプローチという点では双方似ているが、障がい者に職を与えるのか、健常者との協働と協業を通じた社会参加という視点、「経営参加」ということが明確なのが「ソーシャル・ファーム」なのだ。
あの3.11の3日前、茅ヶ崎の「ソーシャル・ファーム」の議論の芽作りとして、済生会理事長・元厚生事務次官の炭谷茂氏の講演会を市役所A会議室で行なったが、東日本大震災発生を境に、話が中断していた。
今回の話は、夏場にイギリスに「ソーシャル・ファーム」その後の調査に行った一行の報告だった。全般な状況から言えば、英国の場合は「ソーシャル・ファーム」は、行政外注地域受け皿のような「ビジネス」感覚の「ソーシャル・エンタープライズ」に飲み込まれつつあるというものであり、EUの状態とは異なる状況が進行していた。
私は既存企業に就労支援者を配分していく活動に留まらない、自主運営・自主企画を伴う協働の原型を探っていた。「ソーシャル・ビジネス」という公益事業を行なう企業がある。社会活動にビジネス手法を導入しと詠うが、就労困難者を雇う企業という、就労困難者の生活自立活動とは似て非なるものを私は善しとしない。私のそれと同様な発言が報告者から相次いだ。アメリカの影響を受けているなと感じていた。
ソーシャルファームのシンボル的なレンブロイ工場の閉鎖という状況の転換は、英国の社会福祉政策の転換があるという。以前、北海道浦河町の「べてるの家」が紹介されたこともあったが、それが日本の社会に波及していかない原因がどこにあるのかということも含んで、今後の研究課題となる。
詳細は後日DINFのHPに載るが、東日本大震災は被災地という協働の実験場を提供することになった。外から企画を持ち込むのではなく、被災地の勤労者のバイタルをしっかりつかみ、そこから立ち上げる自立活動を支援するという「非現実的な」方法に敢えてこだわって芽を探している。
3年弱ぶりの講演は懐かしかった。
QRカードの提言のなかに障がい者の特権職域に入力・窓口業務を織り込んだが、練りが足らなかった。
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不思議なことに、腹回りがそのままに、体重が2kg減った。餓鬼体型である。糖尿病の定期検査は、前回との期間の生活の質の評価である。原因は明らかだった。胃切除した母の体力維持の食生活経営と、カロリーコントロールが必要な糖尿病者が同じ釜の飯を食べるからだ。調理の最後の処理でカロリーを操作できるメニューを探っているが、母が拒否した料理をそのまま捨てられずに、食べてしまっている。作る前に意思表示をと思うのだが、一口食べてみないと、判断がつかないというのが実際のところだ。
訪問指導も相模大野校の分が0になったこともあって、長時間歩くことも減っている。しかし、そのことがとんでもない利点につながっている。夕方・早朝のみならず太陽の高度が低い位置からの日射が減った分、左目の網膜色素変性症の進行が遅くなった。右目は視野中央から飛び石のように、深い煙状の霞が広がり、他の場所も曇りガラスを通したような視野が広がってきた。夜間、路線バスから降りるときに、歩道を止まらずに突っ切る自転車が突然現れて衝突したり、空間の間合いがとれず、急須の茶を茶碗の外側にこぼしてしまったり、頻繁に置き忘れをしたりという片目の障害がひどくなってきた。書見台を使い、左周辺部の見える部分で書やPC画面を読んでいる。勿論、夜間自転車に乗ることができない。被災地に行っても、足がない。ひたすら歩きとおさねばならない。そういう意味で、活動のタイムリミットが近づいてきているという、じんわりとした実感に焦りがある。
明日は処方箋の薬を薬局で代えた後、サポセンに寄り、自宅作業となる。拡大鏡を買うべきなのか。
夜間傾聴:**子の和尚さん
(校正2回目済み)