2013/11/12 記
--------------
県立鶴嶺高校のボランティア塾の課題別応募生徒数が出た。対象は高1だが、過去最低の4名。驚いたが納得もした。本来ボランティアに関心を持っていなかった子たちにボランティアを伝えていく場であり、そのなかで災害ボランティアは彼らのリアリティにはまっていないのは、明らかだったからだ。
「高校生に分担してほしいこと」といわれたときの息苦しさは当然ある。しかし東日本大震災の被災地と支援者団体の集会で見たものは、高校生世代の分極という状態だった。避難所のなかで、がんばっている若者に問いかけたら高校生だったということは頻繁にあった。その一方で避難所の夕闇にたむろしている高校生もいた。しかし、小学生~高校生を街中でみかけることが少なかったのだった。
それは家族を喪失している子と、家族の生命が無事だった子とも様相はことなるだろうが、授業を休講にするが、極力子どもを。安全管理のため学校に集めていた学校の方針が大きい。しかし高校生はその縛りが比較的緩やかだったが、彼らの姿は消えていた。避難しないで済んだ家の子は家にこもっていたのだろう。
一方,非被災地の支援者の集会に高校生が登場することは少ない。高校生に災害ボランティアの文化は根付いていない。だから自主判断と責任を負うことを語りかけられても、伝わらなかったのもしかたがないことだ。大人とて、災害ボランティアを被災地産商品購入とガレキ撤去、安全避難訓練と被災地激励企画以外のモデルをイメージできるだろうか。
東日本大震災の教訓は、地元青少年の力の正当な評価と再建復興活動への組み込みの必要があるということがある。これはいわば、組織者の都合だ。実際、地方紙などで散見するのは、学校文化と結びついた企画参加だ。コーラスや演劇・スポーツ交流という学校と大人の仕切りの中の高校生企画であり、地域状況に根ざした大人の活動の周辺参加者としての参加は弱い。
その意味で、応募者の4名は大事にしたい。出来たらFM・ミニコミおたくであって欲しい。内容にこだわりある部分は「親の時間解放」「避難所運営(大人社会)への周辺参加」「マイクロFMの運営(独自活動)」に振り向ける。「地域状況に根ざした大人の活動への周辺参加」の手引きだ。そのために学生服を脱がなくてはならないハードルがある。私の提案しているものは、休校中、居住地域に自主参加をする方法のガイダンスだ。
非被災地では、カンパ活動を超えた被災者家族との私的交流だ。それには、近道は地域市民活動やボラセン参加団体との接触だ。このとき大きな問題は、高校生がぶらりと一人で支援団体に行っても、相手にしてもらえないという支援者側の問題がある。すべて「高校生世代はモラトリアム期間」という社会的な枠決めが、彼らを圏外におく元凶になっている。高校生が地域活動を始めていくには、災害ボランティアの信用できそうな若手参加者の助手になることだ。
こういう「ひとりの個人の自主判断」と同時に「大人支援者への受け入れ協力」が必要なわけで、それには高校生世代の彼は特技を持ち込んだ方がいい。それが「キャッチボール」であったり「マイクロFM」なのだ。
「マイクロFM」は避難所インフォメーションと施設集団交流の中で、ミニコミ紙ではできない「即時議論」と「企画提案産出の過程明示」を特性としている。その得失に気づくところからシュミレーションを行なっていく。
だから今回の授業は、「地域参加方法のガイド」と「マイクロFMと取材活動」の話となる。単に彼らの常識的要望の範疇外だちうことだけでなく、仲介者を含め大人の方もイメージ外のことだった…その結果なのである。
災害ボランティア=安全避難とカンパ・激励活動・ガレキ撤去
という偏り是正を意識した活動、避難後の命と生活の安全管理を課題とした活動を4名の個性に合わせて、紹介していく。(正直なことをいえば、参加団体のプレゼンをしてほしかった。)
-------
12/11の「被災障がい者の現状」上映会の配布チラシを作った。明日から配布が始まる。とにかく応答が無い。身体障がい系の団体は、関係者に会ってチラシをお願いする。しかし、ボランティア塾のボディブローはじわり効いている。今、支えなくてはならないこと、それをはずしてはいない。来て欲しい、ひたすらそれを願っている。ときどき体験してきた企画の完全空転、覚悟はしておかねばと思う。背に刃。
--------
明日はハローワーク藤沢担当者と話す。就労支援は日々状況が変化していく。今回はセット中止。
夜間傾聴>なし
(校正2回目済み)