湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

1/21 睡眠不足で小休止を 今日は元町の家・トレインだけ巡回

2013-01-22 05:52:44 | 引きこもり
2013/01/21 記
--------------

年だなと思う。夜間傾聴待機を終えて就寝。しかし肩が詰まって起きられなかった。家事と教材屋仕事も始まっていたので、今日はぎりぎりまで家にいることにした。

「とれいん」と「元町の家」に黒田さんの講演会のチラシを配り、それ以上は巡回をやめて、茅ケ崎駅の改札をくぐった。夕方教室に入って、定形授業。帰り、相模線ではないと、藤沢乗り換えが妙に嫌で、湘南台から辻堂駅行き路線バスで辻堂に。がらんと空いたバスの車内で手足の伸びをしたが、これをやりたかったんだと気がついた。馬鹿な話である。

一日前につくりおきのおでんを温めて食事。母もこれならば夕食が遅くても文句をいわない。勝手なものだ。

アルカイダ系のテロを非難するニュース。勝手なものだと思う。テロ肯定というのではない。国家の殺人、戦争は卑劣ではないのか。目に見えぬうちに扇動が入り込んでくる…。やめよう、疲れている。

私のように、行政や組織に責任の一部を委ねられない立場のものは、自己責任という崖の淵をいつも歩いている。善も悪しきも煎じ詰めると私と当事者との架け橋の上にあることを感じている。ある就労支援のプロの方が「一期一会」を座右の銘にしていると聞いた。荒野(あれの)の中に立つ言葉と、千利休を引き合いにだすまでまでもなく、因幡の兎のようにひりひりとした心の風を感じ、それが良いの悪いのとは関係なく、そういうものだと納得する。ただひたすら可能性の種をまく、突然橋桁が落ちても嘆くほどの幻想を抱くまい。ひとはもともと通じないもの、通じて幸いのものだからだ。

-------

いつも思うのだが、チラシの説明をしても本部に上げるという形で応答され、結果、空転するということが繰り返されている。ところが否定されるだろうが、本部に問い合わせをすると話を知らない。中間で消えているのだ。本部に間をおいて再度ダメ押しをする必要がある。門前払いも言葉のうちだ。

今回の連続セミナーは、ケアの現場に関わる者が、2点の接点を持ち得ないかと思うのだ。

1)外出時被災の災害弱者の保護
2)一次避難所>福祉避難所の期間の共同運営

専門職・施設従事者の人手は全く足らなくなる。また、この時期、災害弱者の家族の運営参加が入り、ネットワーキングが重要となる。

また、家族の欠落・喪失による災害弱者の家族サポートが激変する。その欠落部分の生活保証は、決定的に重くなる。

それぞれの領域で避難訓練を行っているが、中・長期を見据えた生活再建への関わりが、協力を組むことで地域サポート化の可能性が出てくる。+αの力を活用していく。

前回のセミナーのなかで、何を接点にお互いが語るか、その価値が見えないという話があった。「被災時要援護者」の概念は広く、高齢者・障がい者から、在日外国人・妊産婦&乳幼児母子に及ぶ。福祉避難所といっても、多様な方が利用する。その運用の実践論議は繰り返しイメージしても追いつかないだろう。

語り続けなければ、また阪神淡路・東日本等大地震の轍を踏むことになるだろう。

1/17の市防災対策課が行った防災研修会で、講師佐藤氏が講演の中で、発達障害に専門外だがとのコメント付きだが、人形を抱いていても取り上げてはいけない障がいと説明し、この分野外の方の見識の遠さを感じた。また、外出時被災については、かけらも語られなかった。都市型・準都市型(都市近郊型)の災害の認識がない怖さ。全体を統括する立場の語りがこの状態なのだ。だから関係者が内実を込めていかないと、どうしようもない状態なのだと思ったほうがいい。

だからこそ、基礎論議をしておく場の価値がある。行政などの公的評価が定まってから、ひょいと実をもぎ取るような身のこなしが組織のリテラシーだとしたら、その窒息しそうな隙間に居残る耐性を私は身につけたい。そう思うのだ。


夜間傾聴:橋本2君(お久しぶり)

(校正1回目済み)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする