5/31(土)の就労支援懇談企画のチラシを刷った。はがき大(A6)裏表のチラシになった。ここには様々な超さなければならない難関が控えている。しかし踏み出した。治療枠ではない就労困難な若者の地域活動が生まれなければならないから、医学の知見を活かした社会生活の連携の種を撒いたつもりだ。
社会活動が障碍者のエリアの活動と、引きこもりエリアの活動は、お互いほとんど接点を持ってこなかった。そこを横断するように軽度発達障碍の活動が架橋していた。しかしこの活動も、引きこもり青年の多くの中に軽度発達障碍が影響しているという形で接点が出ているだけで、具体的な引きこもりエリアの活動として軽度発達障碍の取り組みが行われているというわけではなかった。一方、障碍者エリアの活動は養護学校をセンターとした学童期の活動と地域支援センターを媒介とした成人活動という形でスタートしているために、養護学校・センター未組織の地域潜在的な障碍者(未診断の軽度発達障碍・中途障碍的な精神障碍等)との結びつきは弱く、医療機関を媒介とした親の会・患者の会の治療的な結びつきによって、結果的に障碍者エリアの活動に統合されてきた。社会的挫折組を含む引きこもりエリアの活動や軽度発達障碍者の当事者の自主活動は、なかなか育たない。知的障碍や身体障碍の閉じたエリア内にそれぞれの自主活動が育っているというのが実情だ。
私は引きこもり関連や、軽度発達障碍関連の学習支援活動と、社会参画支援活動をしてきた。しかし、青年・成人期の当事者活動は、社会的な再編の入学・卒業・就職という生活変動にさらされて、地域の連携の芽が出来ては、たちどころに壊れていくという繰り返しの中にあったように思う。社会参画の大きな課題を置き、そこに皆が集まるという形を作らなければ、この社会的な再編にさらされる若者は持続した連携を保つことが出来ないだろう。
今回の企画も、プラットホームで手を振るような形なり、リターンマッチの充電のような形になり、個人の事情を個人の事情として支えていく枠組みを超えていく内容は打ち出せないだろうし、企画を覘く当事者も、従来のハローワークの活動のように適材配置の列にエントリーするのが就労支援というイメージから離脱することは困難だろう。もともと、苦手意識に抑圧されているところから、徐々に額(こうべ)をあげていく活動なのだから、人材の核というか芯のないところから、核を作ることは、仕掛けたら偶然を待つ釣りのような状況以外にないのだ。場があり、活動があり、そこに寄りかかるように引きこもり青年たちの活動は分散している。実際上は彼らの独自の活動作りへの呼びかけとなるだろうが、私はそこに社会的企業を前提にしたネットワーキング活動を提案している。「生き辛さ」という痛みを媒介に、それを超えていく当事者活動を作りたいと願っている。
これに呼応する従来の関連活動が、それぞれのエリアに組織されているから、そこをつなげなくては、いいや、食い破らなくては流れを生み出すことは不可能だろう。
潜在ニーズはある。しかしそれは背を向けた者へのラブコールのような始動となる。それをニーズが無いと勘違いしてはいけない。石橋を叩いて「壊してしまう」ほどに慎重なのだ。大丈夫といえる企画が生まれ、認知されなくては、どんな言葉も彼らに届いてはいかない。
私が巡回活動をしながら会う若者たちは、進学をめぐる悩みや、社会復帰のためにキャリア作りの進学を試そうと動き出した者たちの一群と、すでに年齢が高くなっていて就労・進学ともに、どこから始めていいか迷っている者たちだ。いずれも大半がなんらかの障碍を抱えている、そういう青年達が私に割り振られ付き合ってきている。様々な条件で、その子たちは「つるむ」ことを拒否する。しかし、もやもやとした自分の形をいわゆる健常者の青年と同様に感じ取っているし、この進学と就職という直接のニーズから半歩距離をおくことができたなら、逆に企画が見えてきただろうと思えるのだ。
だから、湘南の地では直接の利、進学・就労とは半歩下がった「大人社会眺め渡し」や「起業」を含んだ統合企画を考えている。つまりトップダウン型のアプローチを行っている。高橋さんとの懇談も、見学会もこの地に連携を作り出して行きたいと思えるような企画という発想から生まれている。その共通認識が既存の組織・社会活動の指導者の中に広がっていかないやりきれなさはある。ただ問題は、就労支援がそれをいうだけで、激励活動と勘違いされてしまうこと。それは誤解。「社会参画としての地域就労活動」という含みのなかで展開されているのだ。
高橋さんの会に若者をどうつないだらいいのだろう。チラシを作った。チラシの山を目の前で腕組みしているのだ。5年前子どもフォーラムの駅前集会には私ひとりで6千枚のチラシ(投げ込み4千枚)を配った。結果、飛び込み参加らしき方は4名位だったろうか。その方は、ひとりを誘っていらしたので、2名が反応。ひとりに3千枚がかかっている。投げ込み・駅頭配布は当人の意識になかなか届かない。今手元の5百枚のチラシをどうするか。思案している。
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Hbarさんから、知見を利用して欲しい旨のお話があった。この記録(ブログ)を維持していくのが手一杯で、対話を作っていくことはゆとりが無いのが実情。ブログを拝見させていただくだけだが、ご容赦を。
日本ダウン症ネットワークの百渓英一さんが自著(監訳)「ダウン症の若者支援ハンドブック」の書評(?)から、コメントをいただいた。この書、挿入写真の素晴らしさだけではなく、当事者関係者にはとても具体的な語りかけるような展開で、読みやすい本なのだ。(ISBN:9874750327365)お勧め。内容については、パンク寸前なので折をみて。すみません。
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父が電話に急かされて、階段を上る最中に、また宙吊りになった。3段目だったので母が支えて事なきを得たのだが、私の留守中の出来事だった。間が開いて怒るに怒れなかった。6時に生ゴミを私が捨てに出たのをきっかけに、父がおきてきてしまった。ネクタイをしめていたがタイピンがまた2つ付いていた。箸箱を鳴らし食事が出てくるのを待っていた。父が宗教団体の集まりに出て行くのは12時半。それを6時から準備して食事を要求してくるのだった。時計を父の目の前において、要求無視した。冷蔵庫が空いて、叩きつけられるように閉まった。
夜間傾聴:町田2君(仮名)
(校正1回目)
社会活動が障碍者のエリアの活動と、引きこもりエリアの活動は、お互いほとんど接点を持ってこなかった。そこを横断するように軽度発達障碍の活動が架橋していた。しかしこの活動も、引きこもり青年の多くの中に軽度発達障碍が影響しているという形で接点が出ているだけで、具体的な引きこもりエリアの活動として軽度発達障碍の取り組みが行われているというわけではなかった。一方、障碍者エリアの活動は養護学校をセンターとした学童期の活動と地域支援センターを媒介とした成人活動という形でスタートしているために、養護学校・センター未組織の地域潜在的な障碍者(未診断の軽度発達障碍・中途障碍的な精神障碍等)との結びつきは弱く、医療機関を媒介とした親の会・患者の会の治療的な結びつきによって、結果的に障碍者エリアの活動に統合されてきた。社会的挫折組を含む引きこもりエリアの活動や軽度発達障碍者の当事者の自主活動は、なかなか育たない。知的障碍や身体障碍の閉じたエリア内にそれぞれの自主活動が育っているというのが実情だ。
私は引きこもり関連や、軽度発達障碍関連の学習支援活動と、社会参画支援活動をしてきた。しかし、青年・成人期の当事者活動は、社会的な再編の入学・卒業・就職という生活変動にさらされて、地域の連携の芽が出来ては、たちどころに壊れていくという繰り返しの中にあったように思う。社会参画の大きな課題を置き、そこに皆が集まるという形を作らなければ、この社会的な再編にさらされる若者は持続した連携を保つことが出来ないだろう。
今回の企画も、プラットホームで手を振るような形なり、リターンマッチの充電のような形になり、個人の事情を個人の事情として支えていく枠組みを超えていく内容は打ち出せないだろうし、企画を覘く当事者も、従来のハローワークの活動のように適材配置の列にエントリーするのが就労支援というイメージから離脱することは困難だろう。もともと、苦手意識に抑圧されているところから、徐々に額(こうべ)をあげていく活動なのだから、人材の核というか芯のないところから、核を作ることは、仕掛けたら偶然を待つ釣りのような状況以外にないのだ。場があり、活動があり、そこに寄りかかるように引きこもり青年たちの活動は分散している。実際上は彼らの独自の活動作りへの呼びかけとなるだろうが、私はそこに社会的企業を前提にしたネットワーキング活動を提案している。「生き辛さ」という痛みを媒介に、それを超えていく当事者活動を作りたいと願っている。
これに呼応する従来の関連活動が、それぞれのエリアに組織されているから、そこをつなげなくては、いいや、食い破らなくては流れを生み出すことは不可能だろう。
潜在ニーズはある。しかしそれは背を向けた者へのラブコールのような始動となる。それをニーズが無いと勘違いしてはいけない。石橋を叩いて「壊してしまう」ほどに慎重なのだ。大丈夫といえる企画が生まれ、認知されなくては、どんな言葉も彼らに届いてはいかない。
私が巡回活動をしながら会う若者たちは、進学をめぐる悩みや、社会復帰のためにキャリア作りの進学を試そうと動き出した者たちの一群と、すでに年齢が高くなっていて就労・進学ともに、どこから始めていいか迷っている者たちだ。いずれも大半がなんらかの障碍を抱えている、そういう青年達が私に割り振られ付き合ってきている。様々な条件で、その子たちは「つるむ」ことを拒否する。しかし、もやもやとした自分の形をいわゆる健常者の青年と同様に感じ取っているし、この進学と就職という直接のニーズから半歩距離をおくことができたなら、逆に企画が見えてきただろうと思えるのだ。
だから、湘南の地では直接の利、進学・就労とは半歩下がった「大人社会眺め渡し」や「起業」を含んだ統合企画を考えている。つまりトップダウン型のアプローチを行っている。高橋さんとの懇談も、見学会もこの地に連携を作り出して行きたいと思えるような企画という発想から生まれている。その共通認識が既存の組織・社会活動の指導者の中に広がっていかないやりきれなさはある。ただ問題は、就労支援がそれをいうだけで、激励活動と勘違いされてしまうこと。それは誤解。「社会参画としての地域就労活動」という含みのなかで展開されているのだ。
高橋さんの会に若者をどうつないだらいいのだろう。チラシを作った。チラシの山を目の前で腕組みしているのだ。5年前子どもフォーラムの駅前集会には私ひとりで6千枚のチラシ(投げ込み4千枚)を配った。結果、飛び込み参加らしき方は4名位だったろうか。その方は、ひとりを誘っていらしたので、2名が反応。ひとりに3千枚がかかっている。投げ込み・駅頭配布は当人の意識になかなか届かない。今手元の5百枚のチラシをどうするか。思案している。
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Hbarさんから、知見を利用して欲しい旨のお話があった。この記録(ブログ)を維持していくのが手一杯で、対話を作っていくことはゆとりが無いのが実情。ブログを拝見させていただくだけだが、ご容赦を。
日本ダウン症ネットワークの百渓英一さんが自著(監訳)「ダウン症の若者支援ハンドブック」の書評(?)から、コメントをいただいた。この書、挿入写真の素晴らしさだけではなく、当事者関係者にはとても具体的な語りかけるような展開で、読みやすい本なのだ。(ISBN:9874750327365)お勧め。内容については、パンク寸前なので折をみて。すみません。
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父が電話に急かされて、階段を上る最中に、また宙吊りになった。3段目だったので母が支えて事なきを得たのだが、私の留守中の出来事だった。間が開いて怒るに怒れなかった。6時に生ゴミを私が捨てに出たのをきっかけに、父がおきてきてしまった。ネクタイをしめていたがタイピンがまた2つ付いていた。箸箱を鳴らし食事が出てくるのを待っていた。父が宗教団体の集まりに出て行くのは12時半。それを6時から準備して食事を要求してくるのだった。時計を父の目の前において、要求無視した。冷蔵庫が空いて、叩きつけられるように閉まった。
夜間傾聴:町田2君(仮名)
(校正1回目)