昨日は父のデイケアの日で、ホームからの迎えの車が朝、やってくるのだった。父は曜日の感覚がなくなっているので、毎回ぐっすり寝ている。私の夜間傾聴が終わり、床に就くと30分もしないうちに、母が父を起こし、出かける準備をしながら大騒ぎで朝食が始まる。ところが今回は様子が違った。父がいないのである。
昨夜、レム睡眠行動障害のシャドウ・ボクシングのような怒鳴り声プレーがあって、一度父を起こしたために、嫌な予感がしていた。徘徊である。昨日、辻堂駅前を歩いていたので、今回も辻堂だろうと予測して、近辺を探さずに駅前に探しに出た。ホーム職員の方がまもなく家にやってくる。どうしたものかと探したが、いなかった。
母は、近所をあたっていた。父は我が家の物置の裏側の敷地の隅にうずくまっていた。携帯に連絡が入り、私は辻堂駅からバスで戻ることになった。母はホームに父を委ねていいか迷っていた。眼差しが淀んでいないというのだ。ただ「闖入者を見張っている」という不可解な言葉を語っているというので父を茶の間に誘導し、くつろがせてお茶を飲ませ、通所は迎えの職員と相談して決めろと指示をした。
私が家に戻ったとき、父の姿は無かった。
ホームの迎えの車が来たら、父があわただしく準備をはじめ、「行くのだ」と制止する母に怒りをぶつけたので、状態を伝えて父を送り出したというのだ。父はデイサービスが気に入っていたのだと思った。しかし、これからは目を離すことができなくなった。どうしたものかと母と話し合って、時計を見た。11時になろうとしていた。10時からTOTOドロノワ倶楽部の陶芸WSの日だった。このまま徹夜をする余裕はなくなっていた。
今朝はADHD関連の代表者会議が横浜で開かれていた。先方の許可が出たら、陶芸WSを中途で離脱して会議にお邪魔するつもりでいた。見事に予定が吹き飛んでしまった。
とにかく睡眠をとることにした。母は出かけたが、母も遅刻していた。この母の遅刻の問い合わせの電話が家に何回もかかって来て、結局睡眠時間は2時間ほどしか取れなかった。
県の県民部青少年課のKさんから、活動報告書が出ていないと、これまた電話で起こされてしまった。相模原校からも、巡回報告書は今月中確実にと連絡が入り、こういう日に限って、電話が集中するのだった。
気分ずたずたのまま、相模大野に書類を届け、新しい巡回先の相談をしていたとき、主任が私の異常に気がついた。年だから無理しないでくれという。それはそうだ。私の穴を誰も埋められないのだから、あとが面倒なことになるのだ。缶コーヒーを飲んだ。シャツが背中からはみだしていた。こういうときは、無理して巡回しても説得力が失せている。16時半までには帰宅し、父を家で迎え入れなくてはならない。町田さん(仮名)の親御さんに謝りを入れて茅ヶ崎に戻った。
急ぎ茅ヶ崎サポセンに立ち寄り、フォーラム懇談会の名刺を刷って、イトーヨーカ堂と駅ビルをあわただしく買い物で走りぬけ家に戻ると、上着を脱ぐ間もなく、父が帰ってきた。こうしてそのまま食事戦争が再開された。糖尿病食事療法を指示されている人とは思えない。冷やし中華>煎餅>リンゴ>ヨーグルト>夕食(間食から1時間;1汁2菜)と青年なみの食欲で父は食事を食い尽くした。
帰宅した時点で父は正常に戻っていた。なんともやりきれない思いが残る。トイレに急に立ち上がって、トイレの前でふらついた父を転倒させまいと身体で体重を受け止めたとき、「大丈夫だからほっといてくれ」と、手を払いのけられた。虚しさが突き上げてくる。父を茶の間に戻し、自分の夕食を食べていると、母が帰ってきた。事情を説明し、TVにかじりついている父を任せて、炊事の片付けと洗濯を済ませ、継ぎ足し睡眠を2時間ほどとった。
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5/31のゲスト高橋さんと当日の段取りメール。
今日は横浜の県民部青少年課と、県サポ(鶴屋町8月合宿懇談、ともしび助成金相談)、日本財団を回り、夜に同所のDAISY関連のシンポ。多摩センター君[仮名)とは予定が合わず、今日はパス。
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夜間傾聴:町田さん(仮名)
中延君(仮名)
p.s. 朝日新聞論壇時評「子どもの貧困 親の格差策講じず連鎖」(2008/05/28 文化欄)参照のこと<対応HP無し(有料なのか)
一時保護所・自動養護施設、親の虐待が増え、バンク状態に。「貧困と好況の共存、すなわち市場の『分断』が生じている」という指摘注目!
(校正2回目済み)
昨夜、レム睡眠行動障害のシャドウ・ボクシングのような怒鳴り声プレーがあって、一度父を起こしたために、嫌な予感がしていた。徘徊である。昨日、辻堂駅前を歩いていたので、今回も辻堂だろうと予測して、近辺を探さずに駅前に探しに出た。ホーム職員の方がまもなく家にやってくる。どうしたものかと探したが、いなかった。
母は、近所をあたっていた。父は我が家の物置の裏側の敷地の隅にうずくまっていた。携帯に連絡が入り、私は辻堂駅からバスで戻ることになった。母はホームに父を委ねていいか迷っていた。眼差しが淀んでいないというのだ。ただ「闖入者を見張っている」という不可解な言葉を語っているというので父を茶の間に誘導し、くつろがせてお茶を飲ませ、通所は迎えの職員と相談して決めろと指示をした。
私が家に戻ったとき、父の姿は無かった。
ホームの迎えの車が来たら、父があわただしく準備をはじめ、「行くのだ」と制止する母に怒りをぶつけたので、状態を伝えて父を送り出したというのだ。父はデイサービスが気に入っていたのだと思った。しかし、これからは目を離すことができなくなった。どうしたものかと母と話し合って、時計を見た。11時になろうとしていた。10時からTOTOドロノワ倶楽部の陶芸WSの日だった。このまま徹夜をする余裕はなくなっていた。
今朝はADHD関連の代表者会議が横浜で開かれていた。先方の許可が出たら、陶芸WSを中途で離脱して会議にお邪魔するつもりでいた。見事に予定が吹き飛んでしまった。
とにかく睡眠をとることにした。母は出かけたが、母も遅刻していた。この母の遅刻の問い合わせの電話が家に何回もかかって来て、結局睡眠時間は2時間ほどしか取れなかった。
県の県民部青少年課のKさんから、活動報告書が出ていないと、これまた電話で起こされてしまった。相模原校からも、巡回報告書は今月中確実にと連絡が入り、こういう日に限って、電話が集中するのだった。
気分ずたずたのまま、相模大野に書類を届け、新しい巡回先の相談をしていたとき、主任が私の異常に気がついた。年だから無理しないでくれという。それはそうだ。私の穴を誰も埋められないのだから、あとが面倒なことになるのだ。缶コーヒーを飲んだ。シャツが背中からはみだしていた。こういうときは、無理して巡回しても説得力が失せている。16時半までには帰宅し、父を家で迎え入れなくてはならない。町田さん(仮名)の親御さんに謝りを入れて茅ヶ崎に戻った。
急ぎ茅ヶ崎サポセンに立ち寄り、フォーラム懇談会の名刺を刷って、イトーヨーカ堂と駅ビルをあわただしく買い物で走りぬけ家に戻ると、上着を脱ぐ間もなく、父が帰ってきた。こうしてそのまま食事戦争が再開された。糖尿病食事療法を指示されている人とは思えない。冷やし中華>煎餅>リンゴ>ヨーグルト>夕食(間食から1時間;1汁2菜)と青年なみの食欲で父は食事を食い尽くした。
帰宅した時点で父は正常に戻っていた。なんともやりきれない思いが残る。トイレに急に立ち上がって、トイレの前でふらついた父を転倒させまいと身体で体重を受け止めたとき、「大丈夫だからほっといてくれ」と、手を払いのけられた。虚しさが突き上げてくる。父を茶の間に戻し、自分の夕食を食べていると、母が帰ってきた。事情を説明し、TVにかじりついている父を任せて、炊事の片付けと洗濯を済ませ、継ぎ足し睡眠を2時間ほどとった。
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5/31のゲスト高橋さんと当日の段取りメール。
今日は横浜の県民部青少年課と、県サポ(鶴屋町8月合宿懇談、ともしび助成金相談)、日本財団を回り、夜に同所のDAISY関連のシンポ。多摩センター君[仮名)とは予定が合わず、今日はパス。
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夜間傾聴:町田さん(仮名)
中延君(仮名)
p.s. 朝日新聞論壇時評「子どもの貧困 親の格差策講じず連鎖」(2008/05/28 文化欄)参照のこと<対応HP無し(有料なのか)
一時保護所・自動養護施設、親の虐待が増え、バンク状態に。「貧困と好況の共存、すなわち市場の『分断』が生じている」という指摘注目!
(校正2回目済み)