湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

父の関門ようやく一歩前進/相互の臨界点

2008-04-24 04:49:11 | 引きこもり
父の通所初日、道路工事が始まった。送迎車が路地の奥に入って来れないハプニング。7時台から地ならしの音で、結局一睡も出来なかった、地獄。

朝8時半に父を送り出す算段をしていた。予定の時間をすぎても車が来ない。父の苛立ちが始まり、とにかく私は到着5分前の連絡を待った。忘れ物だと父が靴を脱いで寝室へと向かう。あとで分かったのだが、現金所持を紛失を考慮して「遠慮して欲しい」とさんざん繰り返し注意されていたにも関わらず、手持ちの全財産を財布に入れて持ち出したのだった。気がつかないでいた。やがて職員の方が玄関に現れ、「通行止めで通行交渉に時間がかかった」とのことで、急いで父を2階から下ろさねばならない事態となった。急かせれば階段を転げ落ちてしまう。やきもきするから、財布持ち出しに気がつかない。こうして荒れ模様で父は送迎車に乗り込んで出かけて行った。9時を回っていた。

財布を捜したのだろう、寝室は衣類から家具までむちゃくちゃに散乱していた。部屋を片付け直して、とにかくヨーグルトだけを食べてドロノワ倶楽部に出かけた。途中父から「留守電のスイッチを入れておいてくれ」と、送迎担当者を経由して携帯電話連絡が入った。玄関でSECOMの非常用ボタンのストラップを父の首から下げたとき、「このボタンの『マニュアル』はないか」と言い出した。「押すだけだから」と、なだめて玄関を出たのだが、次は「留守電」である。この5年間まだ一度も使ったことの無いFAX回線を留守電にせよという指示だった。「留守電」という響きが自分のステイタスを示すアピールだった。

作陶中、異様な眠気に襲われ、釉薬がけの作業を終えたところで、新しい作品作りを諦めて、午前中だけで教室を引き上げた。NPOサポートちがさきの事業部門代表者会議が15時からだったが、少し間ができたので十間坂の「光の風」作業所を尋ね、昨年度の助成金報告書書式を先日いただいた際の失礼を詫び、その足で青少年相談室にお邪魔した。雑談をしつつ新しい相談員の方と顔つなぎを行い、低年齢(義務教育世代)の子の夜間傾聴(中学生だとありうる)の件で、私の紹介という話で、親御さん・当人経由の連絡が相談室にあったときの、担当者の不審感を取る目的があった。

ジャスコでコーヒーを飲み、眠気と動悸を抑えてサポセンに向かった。なんと会議は流れ、変更されていた。構成員の大半が理事なので、理事会の席上で決まったのだろう。その中止連絡が無いのは虚しかった。県茅ヶ崎保健所に戻り、新しい異動されてきた課長と、昨年度の話やら先日の見学会の話を、時計を見ながら行い、国的を時間内に終えて、保健所を出た。ところがこういうときに限って、迂闊なのである。忘れ物をしたのだった。父ではないが封筒の忘れ物を取りに戻って、結局時間不足となり、タクシーを使って帰宅した。16時半には、家で父を迎えなくてはならなかった。これから毎週、この時間帯には家にいなくてはならなくなる。迎えのために帰宅し、空白の待ち時間の果てに父を迎える虚しさがあった。だから隙間の時間を作りたくなかったのだった。

昨日は賭けだった。ホーム職員の方とは、作戦会議を積んできたので、大きな破綻は考えなかった。職員と父の気持ちとの細かな齟齬が「もう行かない」という言葉を作り出す可能性があった。配管工事の穴を埋め直ししている横で、携帯電話を待ち受けた。

「間もなく着きます」という連絡がはいると同時に車が着き、若いヘルパーさんに両脇を抱えられながら父が降りてきた。異様なにこにこ笑顔で父が降りてきた。風呂に入った後のホーム所有のジャージ姿で玄関をくぐった。父は通所を「No!]とは言わなかった。玄関先の担当職員との引継ぎの際、父が不注意の大きな事故を起こしたことを聴かされた。事故直後の風呂の出入りの際、財布を水没させて、それから父が異様に、ニコニコ顔になったのだった。ガードだった。ただその失敗あるがゆえに、「もういかない」とはいえなかったのだった。がつがつと、おじやをかき込む父を置いて、近所で夕食食材を買い、母に引継ぎメールを出して、バスに飛び乗った。相模線の橋本まで、とにかく車中、仮眠を取った。

橋本2君(仮名)の巡回指導をしながらも、実は舟を漕いでいた。

帰宅すると、家では母がかんかんになって怒っていた。父が事件を全面否定したからだった。私はともあれ、ホーム通所が始まったのだから、「通いOK」という実質を取ろうと提案した。母は息子より長い時間、父の身辺介助をしてきたから、怒りの深さが違うと怒っていた。夜間傾聴ではないが、この怒り、先方が切れて苦労する。母の怒りは底なしのようだった。父はむっつりと首を横にし腕組みをしたままだったが、やがてTVを消し、足を引きずって2階の寝室に上がっていった。

限界が来て、爆睡した。夢の中に祖父母の顔が浮かんでは消えた。

遅い夜食を食べたのは、23時を回っていた。今日は午後から横須賀の野比に出る予定。ろうきん助成金候補から落ちてしまったが、「わーく」の発達障碍者向けの画像表現の技術について相談を持ちかける予定だ。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     橋本君(仮名)

文教大院生を経由して、起業の際の小規模金融(マイクロ・ファイナンス)または助成金の初動資金のしくみの可能性を法的な縛りも含んで語ってくれる講師、適任者を打診開始した。ベンチャーの更に小規模版、講や結の範疇である。

(校正2回目済み)

コメント
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