私の家の前は緩衝帯の通路(我が家の敷地)があり、そこを時々駐車場代わりに来客の車を止めている。昨日昼過ぎから21:25まで、見知らぬ車が止まっていた。相模ナンバーなので、遠方からの車ではなかった。長時間にわたる占有なので警察に父が連絡を入れた。父は電話の会話が下手で、目的に話が通じないで苛立ち激高した。電話を切って間もなく、気持ちが悪いと言い出した。着衣を緩めて毛布の上に横にした。血圧計が無いので数値は分からないが高血圧を感じさせた。
地元の警察官が21:50に到着した頃には、不審車は逃げ出していた。番号を控えていたので通報しておいたのだが、午前11時に路上駐車で反則切符を切った車だという。知人宅に遊びに来たのだろうか、結局その後、私の家の通路に無断駐車していたのだと分かる。
そんなハプニングがあって、警察の被害聴取を済ませて引き上げてまもなく、目を離した隙に父が玄関の柵の鍵を閉めに出て、その場で座り込んでしまった。無理が利かない身体になっていた。父をまた救急外来に運び、処置室で休ませている間に母が追いかけてきた。母の話を聴いて愕然とした。
私は新年度初めの会議があって、相模大野に出かけていた。結局は月並みな訓示と新顔紹介をして、会議終了後、歓迎コンパをやるのが目的だった。会議を終えて私はその場を抜け出し、ぐるりまわって横浜で、調理用の素材をそごうで仕込んで茅ヶ崎に戻った。4月12日(土)に格差社会アメリカの医療を告発したマイケル・ムーア監督の映画作品「Sicko(病気)」の上映実行委のAさんと偶然出会い、横須賀の集まりのあと茅ヶ崎上映会を見に行くと伝えた。反響は好調のようだった。
話し込んで、帰宅し、仮の食事を食べた後、仮眠していた。その最中に父が電話をしたのだった。母の話は私の留守の間、父の古い友人が突然たずねてきて、誘われて車で夫婦ともども、外食したのだという。そのとき、父の羽目がはずれ数人前の脂ぎった食事を平らげ、階段を下りるところでこけて、失禁していたのだった。無茶な食べ方を止められなかったという。こんなことを繰り返していたら、死ぬ。わからずやの父の横たわるベッドのカーテン1枚向こうで唇をかんでいた。自制心のない…。これで大人なのだ。
父は貝のように口を閉ざしたまま帰宅した。父を2階に担ぎ上げて眠らせた。1時を回っていた。明日のホームスタッフとの話し合いは、トーンが変わりそうだ。悪循環を断つための通所を考えていかないといけない。
今回のように身体が崩れて座り込むことは「転倒」とは呼んでいない。つまづいたり、立ち上がるとき足がいうことをきかなかったりということで、へたり込んでしまうのは、週何回もある。転倒とは身体が棒状になって倒れる年寄り独特の倒れ方だ。受身が出来ていないので、打ち所が悪いと骨折や脳に障害がでる。父は筋肉質であり、擦り傷はできても幸運に骨折や脳震盪を起こしてはいないできた。しかし大怪我、紙一重なのだ。危機感がないことは認知症も手伝っているのかもしれない。しかし、ハプニングが起きたとき、対処を自制し家族に任せる発想がないことは困ってしまう。新聞回収が来て、新聞の束を持ち上げようとして倒れたり、回覧板が来て急に立ち上がって倒れたりと、やかんを焼いてボヤ騒ぎになったときは、逃げ出そうとズボンのすそを踏んで転倒した。男はこれをやる。見境無く動く。
父を寝かせて、入所が近いことを母に話した。母とて年である。父の世話で突っ張っているが、入所となれば、場面が変わる。そこに魔が潜む。いつ折れるともしれないと、露骨にその話をした。使える支援はすべて使っていく。介護の経験は主観と隣り合わせである。母と判断の突合せをしていくことを確認した。
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夜間傾聴が始まった。今回は同僚だった。コンパの帰り、泥酔した生徒を見つけたのだという。粗暴な子で、予備校をやめさせられては、渡り歩いていた子だった。家に送り届けたものの…明らかに家が荒れており、帰る家なのか疑問に思ったという。年度初めにもう*人やめさせた。講師がいやになっているのだという話だった。
自制心のない者は大人とて同じ。だから環を絶つ行動を私は促している。そこに過剰な期待を持ってはだめだ。しかしいい加減になればいいというのでもない。的確な対処と見合ったテンポや持続力が必要なのだ。
「正面向く以外ないでしょう。でも折れたら元の木阿弥だしね」と、同僚に行った。彼はそんなことは百も承知の、練磨の経験の持ち主である。釈迦に説法なのは分かっていた。つり橋を渡るとき、千尋の谷底を飲み込んで正面を見るが、それに似ている。堂々となど歩けやしない。傾聴が講師に及ぶなどと私も知らなかった。
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Linux のUSB起動の件で方策はないかと調べている。ここが超えられると、ネットワーキングする知的障碍の青年たちに、より管理が易しい通信端末が提供できる。現在では、CDやDVD起動になるが、起動時にどうCD,DVDを入れるかが難しい。CD,DVDやドライブを壊してしまうだろうと思う。USBメモリならと思ったが、これが結構難しい。ハードが対応していないのだ。PCカードや、HDDのパーテーションを切って,Knoopixを読み込み専用属性にして立ち上げ、書き込み先をUSBメモリにするとか、あれこれ考えているが進展しないでいる。
SNSはOpenPNEを使うが、携帯アクセスサポートの具合をチェックすることが出来ないでいる。これも経験者探しに入った。最終的にはソフトハウスに押しかける以外なかろうと思ってはいるのだが。今夜はマニュアルを繰っている。
今日は本校確認し、4月見学会の日程を固めて案内チラシを作る。今回は日が少ない。主眼点を明確に打ち出す必要がある。港南台の小箱ショップを今日、見ることができるか…。ホームスタッフとの調整の時間次第だ。
明日は久々に巡回、中延に出る。
夜間傾聴:同僚X氏(ペケと読まないように。)
******君(本人)
(校正1回目済み)
地元の警察官が21:50に到着した頃には、不審車は逃げ出していた。番号を控えていたので通報しておいたのだが、午前11時に路上駐車で反則切符を切った車だという。知人宅に遊びに来たのだろうか、結局その後、私の家の通路に無断駐車していたのだと分かる。
そんなハプニングがあって、警察の被害聴取を済ませて引き上げてまもなく、目を離した隙に父が玄関の柵の鍵を閉めに出て、その場で座り込んでしまった。無理が利かない身体になっていた。父をまた救急外来に運び、処置室で休ませている間に母が追いかけてきた。母の話を聴いて愕然とした。
私は新年度初めの会議があって、相模大野に出かけていた。結局は月並みな訓示と新顔紹介をして、会議終了後、歓迎コンパをやるのが目的だった。会議を終えて私はその場を抜け出し、ぐるりまわって横浜で、調理用の素材をそごうで仕込んで茅ヶ崎に戻った。4月12日(土)に格差社会アメリカの医療を告発したマイケル・ムーア監督の映画作品「Sicko(病気)」の上映実行委のAさんと偶然出会い、横須賀の集まりのあと茅ヶ崎上映会を見に行くと伝えた。反響は好調のようだった。
話し込んで、帰宅し、仮の食事を食べた後、仮眠していた。その最中に父が電話をしたのだった。母の話は私の留守の間、父の古い友人が突然たずねてきて、誘われて車で夫婦ともども、外食したのだという。そのとき、父の羽目がはずれ数人前の脂ぎった食事を平らげ、階段を下りるところでこけて、失禁していたのだった。無茶な食べ方を止められなかったという。こんなことを繰り返していたら、死ぬ。わからずやの父の横たわるベッドのカーテン1枚向こうで唇をかんでいた。自制心のない…。これで大人なのだ。
父は貝のように口を閉ざしたまま帰宅した。父を2階に担ぎ上げて眠らせた。1時を回っていた。明日のホームスタッフとの話し合いは、トーンが変わりそうだ。悪循環を断つための通所を考えていかないといけない。
今回のように身体が崩れて座り込むことは「転倒」とは呼んでいない。つまづいたり、立ち上がるとき足がいうことをきかなかったりということで、へたり込んでしまうのは、週何回もある。転倒とは身体が棒状になって倒れる年寄り独特の倒れ方だ。受身が出来ていないので、打ち所が悪いと骨折や脳に障害がでる。父は筋肉質であり、擦り傷はできても幸運に骨折や脳震盪を起こしてはいないできた。しかし大怪我、紙一重なのだ。危機感がないことは認知症も手伝っているのかもしれない。しかし、ハプニングが起きたとき、対処を自制し家族に任せる発想がないことは困ってしまう。新聞回収が来て、新聞の束を持ち上げようとして倒れたり、回覧板が来て急に立ち上がって倒れたりと、やかんを焼いてボヤ騒ぎになったときは、逃げ出そうとズボンのすそを踏んで転倒した。男はこれをやる。見境無く動く。
父を寝かせて、入所が近いことを母に話した。母とて年である。父の世話で突っ張っているが、入所となれば、場面が変わる。そこに魔が潜む。いつ折れるともしれないと、露骨にその話をした。使える支援はすべて使っていく。介護の経験は主観と隣り合わせである。母と判断の突合せをしていくことを確認した。
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夜間傾聴が始まった。今回は同僚だった。コンパの帰り、泥酔した生徒を見つけたのだという。粗暴な子で、予備校をやめさせられては、渡り歩いていた子だった。家に送り届けたものの…明らかに家が荒れており、帰る家なのか疑問に思ったという。年度初めにもう*人やめさせた。講師がいやになっているのだという話だった。
自制心のない者は大人とて同じ。だから環を絶つ行動を私は促している。そこに過剰な期待を持ってはだめだ。しかしいい加減になればいいというのでもない。的確な対処と見合ったテンポや持続力が必要なのだ。
「正面向く以外ないでしょう。でも折れたら元の木阿弥だしね」と、同僚に行った。彼はそんなことは百も承知の、練磨の経験の持ち主である。釈迦に説法なのは分かっていた。つり橋を渡るとき、千尋の谷底を飲み込んで正面を見るが、それに似ている。堂々となど歩けやしない。傾聴が講師に及ぶなどと私も知らなかった。
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Linux のUSB起動の件で方策はないかと調べている。ここが超えられると、ネットワーキングする知的障碍の青年たちに、より管理が易しい通信端末が提供できる。現在では、CDやDVD起動になるが、起動時にどうCD,DVDを入れるかが難しい。CD,DVDやドライブを壊してしまうだろうと思う。USBメモリならと思ったが、これが結構難しい。ハードが対応していないのだ。PCカードや、HDDのパーテーションを切って,Knoopixを読み込み専用属性にして立ち上げ、書き込み先をUSBメモリにするとか、あれこれ考えているが進展しないでいる。
SNSはOpenPNEを使うが、携帯アクセスサポートの具合をチェックすることが出来ないでいる。これも経験者探しに入った。最終的にはソフトハウスに押しかける以外なかろうと思ってはいるのだが。今夜はマニュアルを繰っている。
今日は本校確認し、4月見学会の日程を固めて案内チラシを作る。今回は日が少ない。主眼点を明確に打ち出す必要がある。港南台の小箱ショップを今日、見ることができるか…。ホームスタッフとの調整の時間次第だ。
明日は久々に巡回、中延に出る。
夜間傾聴:同僚X氏(ペケと読まないように。)
******君(本人)
(校正1回目済み)