湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

失礼しました「魔法のiランド」利用HPのトラブルでした

2007-07-10 05:11:56 | 引きこもり
昨日は私たちのHPを置いている「魔法のiランド」が早朝、緊急メンテで表示されなかったことで、ユーザさんとちょっとトラブルが起きました。わかっていただくのに時間がかかって記事が書けませんでした。すみませんでした。昨日はGoogleもメンテしていたようでした。ログインだけ入れませんでした。goo は、週中の早朝にメンテしているようです。その影響がたまに出ますが、お許しください。(今『魔法のiランド』に不正アクセスがあり、機能を止めている旨の掲示が出ています。)

昨日は◇さんからも連絡が入りました。職業紹介窓口で失礼なことをいわれた屈辱感が治まらず、電話で私と時間を共有しました。まず結論が先にあって、相手は宣告だけをしているように感じることは、特に非対称対話の場合に、先方に対し、多々感じることがあります。

◇さんは、それを強く感じ取っていました。しかし私は、その壁の後ろに実は隠された細い道を感じることが珍しくありません。それを表沙汰には出来ず、とりあえず遮蔽するための壁を置いているというような例です。壁とは相手の意思表現の場合と社会的な無意識な決まりごとの両方の表現ですが、往々にしてアクセス側が、調理中の料理を即時要求しているせっかちな場合もあります。

極めて経験的な話であって申し訳けないのですが、だから従来の説法では一般化して、「待て」と教えます。しかし私は、種のない地に芽ぶきを求めるようなことが起こることも十分ありうるので、「見極めます」。見通しの隘路を、私とあなたとの間に見切るために、目を凝らします。種がなければ、そこに「畑を耕して」種を撒きます。

◇さんは状況を押し倒そうとしていました。しかし押し倒しても得るものは無いのです。この虚しさを、実は◇さんは知っているのです。だからこそ押し倒そうとする。微妙なところですが、ひとは理にならないこともやるのです。だから傾聴が意味を持つ、そういう場面でもあります。

彼の膨大な熱情がなぜ暴発に浪費せねばならないのか。私はそのような思いで彼の言葉を聴きました。彼の虚しさに希望を対置するなど、そんなおこがましいことはできません。それは第一、嘘だからです。ただ大事なことは、私は彼の悲しさを知るひとりなのです。◇さんに伝えたのはこのことでした。

依存しあうのではなく、響きあうのです。◇さんは、私に不満を感じつつ、怒り半ばで電話を切りました。しかし、また電話をしてくれるだろうと思っています。これは不遜でしょうか。

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町田さん(仮名)からは、家の犬の写真を貼りこんだメールが届きました。町田さんは添付メールを試していました。やりましたね。携帯を使いこなしている方だったから熟達は早いだろうと思っていましたが、携帯で撮った画像をPCに取り込むことが出来たわけです。しかし習得が早すぎます。ともあれ到着した愛犬チワワの名前を教えてください。町田さん。

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一昨日、私は寒川総合図書館に立ち寄りました。アスペ青年の恋愛を描いた「モーツァルトとクジラ」の翻訳本が入っているから、予約をしに行ったのです。前回借りたケストナーの「飛ぶ教室」(DVD)は、リメーク版。これはこれでいいのだけれど、色彩に隠されて論点の色が見えにくいというか…。代わりに借りたのは、観世の「紅葉狩」。世界中の闇の宴は鬼だらけ…とか。

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(Wさんへの手紙つづき)

> 私は引きこもりの青年たちの就労支援活動を始めて、二重の問題に直面した。ひとつは、就労は「企業枠に参加するプライベートな求職活動への支援だ」という観点の限界。もうひとつは、福祉的就労と一般就労を別世界とする常識の問題だった。

私と関係者の前提の違いというか、就労活動とは「凹凸製缶」「●○商事」「%*企画」に入社すること、職場マッチングを行い、個人を企業枠に収めることという次元に押しとどめられてしまうことだ。#さんと&さんが求職活動をしているとする。同じ場にいても#さんがどこに勤めようとも&さんには関係ないことなのだ。私が以前書いたように、体調や定年などで退職したら、仕事は地縁を保障してくれないことは大きな問題なのだ。退職と同時に彼は、再び孤立してしまう。健常者以上に障害者の孤立は生活を支える意味で深刻な問題となる。商店街の店舗のような地域密着型の活動になり、街を仕事の拠点として行く例などは、その仕事を通じて彼は知り合いを得、その地域で生活していくことが出来る。生涯にわたる地縁の輪に彼は支えられる。単純な企業就労支援とは、ベクトルが違うのだ。

引きこもり青年たちは、生計自立のために、社会参加への妥協が可能になれば、就労を進める。それは職場の人間関係がうまくいかなくなり転職を繰り返しても、それは公的補助としては職業斡旋機関の相談窓口提供とか、失業保険適用という一般就労の道をたどる。年齢が高くなるまで就職できなかったり、転職を繰り返すのは個人の責任に転嫁されて、社会学的な時代の影響は、参考程度にしか意味を理解しない。いわゆる「一般就労」の枠組みの問題となる。

これに対して障害者就労の場合は、一般企業への就労の道が障害による困難を理由に採用されないという社会的不利が前提になるために、障害年金取得で生計の一部をたてることになり、生計自立というより、人の輪の中に当人を保護する形で、共同作業所や授産施設に就労先を求めていく。ここの賃金は一般就労の最低賃金のような枠すら適用できないレベルであり、年金や諸制度の公的補助の枠の中で、ぎりぎり生計が支えられている状態にある。

だから両者、行政の管轄や制度の違いがあることから、一般就労と福祉的就労は別世界と、お互いが関係を持たない状態のまま現在に至っている。しかし障害者自立支援法実施以降は、「就労支援の強化」ということで、一般就労に向けた「訓練等給付」のサービスが行われることとなった。しかしこの中身も「自立訓練・就労移行支援・就労継続支援・グループホーム」というような「当人を機能的にとらえる目」は変化しないため、当事者の生き方という「質」とは発想の接点が見えない施策の中に就労支援が織り込まれているため、「生き難さ」という意味合いにおいて、お互いが協業していく統合モデルは視野の外に置かれている。この状況を民間が就労支援活動を行っていくうえで、自分自身がまだ法をはみ出していく大きな視座を持つことができていない。通念に飲み込まれて、論の境界線に生みだされるデザインこそ大事なものであることに気づいていないのだ。これは想像力の問題、そう思うのだ。


> もうひとつは無理強いの結果の私の個人にかかる歪みの壁だ。

私は不登校の子どもたちを主に、私塾と地域という場をベースに活動を続けてきた。しかし、そこを卒業した年齢層の高い子たちにたいしては、いわゆる私的な個人相談や、電話相談にその都度応じる形で向かい合ってきた。

私は学生の頃から塾をやってきたから、関連活動は39年目になる。孤独の魔の時間の夜間の傾聴は24年目を迎えた。直接この傾聴活動の同志はいない。だから塾や塾を中継してきた荷を抱えた青少年を対象に、傾聴を特に宣伝せずに細々と続けてきた。

10年前にオンライン学習を始めてから、それと二股の子が出てきたが、当初は引きこもりの社会的孤立不安への命綱的な活動をしてきたが、学齢期の子が減り、成人している青年たちの支援が主になってきてから、学習支援のスタイルから就労支援の形へと内容をシフトさせてきた。

私は19年間湘南で自分の塾をつくり、フレネ学校風のフリースクールを作ってきたが、同居家族の介護が重くなり、時期を一に塾で事件が起きたその責任を取って塾を閉じた。その後半数年は、進学塾講師と三流予備校の講師を兼任しつつ、夜間傾聴と私を受入れてくれる他塾を求めて、柔軟そうな塾に飛び込んではひどい実態を思い知らされてきた。

公的な学校の限界を超える自負を私は私塾に対して持っていた。太郎次郎社「ひと」誌の「私塾の会」の創設メンバーとなったし、東数協では中学部会に身をおいた。しかし、どの塾もその活動の成果の入る余地のない、幻滅するような情況であり(いずれ中身はしょうかいすることもあるでしょう。)、結果的に塾を渡り歩いてきた。

見かねた友人の塾が「学習困難児クラス」をたてて、私の仕事環境を提供してくれた。今、夜間傾聴に来ている子の3分の1強がここの関係者だ。ただそこだけでは収入が乏しく生計が立たないので、巡回指導とオンラインサポートのプロとして「外勤講師」の名で、サポート校の縁の下を支えることにした。複数校の請負い講師として、重い荷を抱える子を巡回してきた。ここ8年は茅ケ崎浜竹「ぽれぽれ」のカウンセリングの外野としても協力してきた。

だから私と障害児者支援活動には二系統の関連がある。ひとつは社会的挫折による精神の病を抱えた青少年のサポートという顔。もうひとつは発達をめぐる学習活動の中で広がっていった軽度発達障害・知的障害の子たち、さらにはダウン症の子たちとの学習対話だった。しかしそのいずれも普通学級通級の子達の課題であり、関わりは教育の枠組みの中で展開されてきたのだった。だから生業からというより、個人的関心から発達障害の子たちとの支援団体応援に入っていたことが、いわゆる障害児者支援活動への交差的な関わりの出発点だった。

2000年有珠山噴火に対して、避難児たちの心のケアと、災害復旧支援活動の後方支援を行っている最中交通事故で1年半入院。家で14年目の介護をしてきた祖母が同じフロアに追いかけるように入院している横で、いろいろな医療ミスと人の行く末のひどさを目の当たりにして怒りを感じるようになり、退院と同時に、いままでベースだった東京南部から塾活動のふるさと湘南に、右足の障害を考えて、活動地域を移して0から再開してきたという経過がある。夜間傾聴と「ぽれぽれ」の外野の活動を除いてあらゆる活動のやり直しを始めてきた。だからこのアクシデントの制約とカウンセリング巡回の活動ゆえに、当事者活動の結びつきの地域の糸口をえられぬまま7年目を迎えている。(オンラインの子たちは、カウンセリング活動の構造の問題と同様、私を扇の要の位置に置き、互いは交流が無く、当事者活動が生まれず、先端はばらばらという状態のままだ。)

2年前,茅ケ崎サポセンに「協働まちづくり研究会」が発足し、そこで就労支援活動の構想を育ててもらった。今、茅ケ崎市と協働事業の意見交換を行っているのも、こうした経過の中で行われていることであり、引きこもり青年たちの支援が大きく精神障害領域の活動と共通の課題を必要としている状況であり、さらには軽度発達障害の教育をめぐる関わりから、豊かに生き延びるための就労という社会的学習を孕む就労支援へと流れを整えてきている。

私が地元で引きこもり青年たちの集団を抱えていないことは、こうした経過によるものだ。また活動が教委と県民部青少年課に関連付けられてきた経過から、障害者支援の側面を持ちつつ、県福祉総務部に関連づけられてきた障害児者当事者支援活動への協働を探りたいとあちこち動いている。

だから引きこもりについては従来の発想を打破しない限り、その形が出来ない。今空転を続けている背景には、協働の芽を民間通しの中に撒かないとと思う私と、引きこもりと障害者の活動は別世界と言う常識の中で、協働事業の推進というタイムスケジュールに焦りを感じている私がいる。20年間の放浪活動に終止符を打ちたいと願いつつ、空転を続けている。そういう状況にある。

Wさん、私が信用できるものであるかは自己言及から証明されるものではありません。しかしながら、障害児者の地域活動の有能なパートナーの、引きこもり者の力を考えて欲しいと思います。両者にとって地域はホームグラウンドとして活躍できる価値ある場、表現の場なのです。コーディネートして育てていきませんか。

夜間傾聴(一昨日):◇さん(どかん!)
          町田さん(仮名)(添付ファイル成功)

夜間傾聴(昨日): 入谷さん(仮名)(食事メニューとか)

(校正3回目済)
コメント
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