昨日は、よこはま・自閉症支援室長(仲町台センター)の関水実さんの講演会があった。県青少年センター本館研修室にいっぱいの参加者だが、親御さんというより専門職・支援者が大半。
話の内容は「自閉症概念」の変遷から、障害の特性と支援のあり方、実践例の紹介に至る広範な内容だったが、朝の10時~16時という長時間の企画にもかかわらず、時間不足になるという状態だった。夜間傾聴で就寝時刻が7・8時という身にとっては、午前中企画は結局徹夜でしんどい、しんどい。カフェインの手助けかりつつ、聴きとおしたというところ。(舟漕いだら、関水さんに申し訳ない。)
不登校・ひきこもりの関わりの中に、自閉症スペクトラムの話題が登場するのは案外珍しい。これはストレスの結果発症した心身症として症状が押さえられてきたため、精神療法的な「癒しから回復へ」という線上に、フリースペースやカウンセリング活動が整理されてきた経過があるためで、「障害」ということが範疇になかったといっていい。
ところがいわゆる「障害児者支援活動」は、「障害」を当事者の一生涯の人格属性として、彼の特性を如何に社会にマッチングさせるかを問うという位相の違いがあった。軽度発達障害児者支援活動は、不登校・引きこもり支援活動と重なりつつも、常に別個の活動を育ててきたことは、三障害(身体・知的・精神)の知的障害と重なり、症状として精神障害にまたがる横断的特性がありつつ、公的な支援の狭間にあり、独自の世界を生み出していく任を負っていた。関水さんの担当する方たちは、自閉症の重篤な方々を対象としているが、非カナータイプ(知的障害を伴わない自閉症タイプ)への対策が大きな課題になってきている事情がある。半数近い不登校・引きこもりの背景に、「障害」の影を見出す知見が紹介されて、活動の質自身を問う時代に入っているという、それぞれの事情が重なっている。
WHOの「生活機能分類」の発想への切り替えが行われているのも「障害」を「心身機能または身体構造上の問題(ICIDHの医学モデル)」ととらえる事に対し、「心身機能・身体構造」「活動」「参加」の3つの次元及び「環境因子」等という、健康状況と健康関連状況を記述するための,統一的で標準的な言語と概念的枠組みを提供するという「社会モデル」を統一的に扱うことを、「生活機能」つまり「行き難さ」から「障害」をとらえ返す時代的な要請にも連なっている。
「不登校・引きこもり」にも「生活機能分類的」な観点の網がかぶせられてきている。「不登校・ひきこもり」の方々の中に軽度の障害の方がいるからということではなくて、医学的に重度の障害の方から、健常者にいたるまで、「障害」を「生き難さ」の課題として統一的にみることが始まっているのだ。
この意味で、関水さんの講演を「不登校・ひきこもり」支援の関係者の中で行った意味は大きなものがある。
面白い象徴的なエピソードが語られた。
「保育園の場面で、自閉症スペクトラムの子が健常者の子を叩いた。保母さんが『ひとに叩かれる子の身に成って』考えよ、自分が叩かれたらいやだろう?だから叩くのをやめなさい」と説得するが、全く通用しないというエピソードだ。保母さんは如何に熱心に説得に努めても、その子に思いは伝わらない。なぜならその子は、客観的に自分を見ることが困難な障害を抱えているからだ。
保母さんは全身全霊を込めて説得するが、通じないものは通じない。彼にとって必要なのは、場のマッチングなのであって、この辺がベクトルの違うところなのだと。
私が「ケア・パートナー」という就労形態のひとつを考えたのも、実はこの違和感(コンフリクト)が肯定的な場の中では情熱へと転化することを意識していたからだった。
引きこもり青年も障害者も、無理に管理された企業に生きるのではなく、地域の新たな地縁づくりの中に生きる道をさぐるべきなのだ。彼らはその主人公になりうる。地域に的確なデザインを描くことが支援活動に必要な視点になりつつあるのだ。
余談だが、少々閉口したこともある。つい先日、県自閉症協会の厚木講演会で聴いた関水さんの講演は、ほとんど今回の内容と同じだったことだ。冗談から、スライドまで同じだとちょっと…。関水さん、くしゃみしているに違いない。厚木参加者がいたとは、ご存知あるめぇ。
--------
講演の最中、携帯電話が鳴った。入谷(座間)さん(仮名)のなんと当人からだった。私との接触を避けていた青年が私の携帯に連絡を入れてきたのだった。場をはずして話したが、心労から母親が入院したという知らせだった。
藤沢に私用があったので、講演終了後藤沢にまわり、そこから小田急を乗り継いで、面会時間ぎりぎりの病院に、心配そうに長いすに腰掛けている入谷さんのもとに合流した。彼女と自宅の外で、なおかつ直接話せたのは初めてのことだった。親御さんへの面会はナースセンターにお願いして、病室から出てきた父親の○○さんと話し込んだ。幸い症状は休めば回復するとのことで安心したが、娘さんのフォローの留意点を伝えてお暇した。
彼女の雪解けは一気にやってきた。だからこそ、大事につきあいたい。そう思うのだ。
---------
関水さんに、◇さんの就労相談に乗ってもらえないか頼んだ。関水さんは横浜の相談室の方だ。地域外の方は、それでなくとも仲町台センターはパンクしているのだから無理を頼んでいることは承知していたが、やはりダメだった。残念。
--------
夜間傾聴:相模大野2号くん(新規)
(あではでの関係者?)
旗の台君(怒り、猛烈)
--------
今日は13時30分から、茅ケ崎市との協働を進める意見交換会。6団体のうちのひとりとして提案するので、これで終わり。
(校正1回目済)
話の内容は「自閉症概念」の変遷から、障害の特性と支援のあり方、実践例の紹介に至る広範な内容だったが、朝の10時~16時という長時間の企画にもかかわらず、時間不足になるという状態だった。夜間傾聴で就寝時刻が7・8時という身にとっては、午前中企画は結局徹夜でしんどい、しんどい。カフェインの手助けかりつつ、聴きとおしたというところ。(舟漕いだら、関水さんに申し訳ない。)
不登校・ひきこもりの関わりの中に、自閉症スペクトラムの話題が登場するのは案外珍しい。これはストレスの結果発症した心身症として症状が押さえられてきたため、精神療法的な「癒しから回復へ」という線上に、フリースペースやカウンセリング活動が整理されてきた経過があるためで、「障害」ということが範疇になかったといっていい。
ところがいわゆる「障害児者支援活動」は、「障害」を当事者の一生涯の人格属性として、彼の特性を如何に社会にマッチングさせるかを問うという位相の違いがあった。軽度発達障害児者支援活動は、不登校・引きこもり支援活動と重なりつつも、常に別個の活動を育ててきたことは、三障害(身体・知的・精神)の知的障害と重なり、症状として精神障害にまたがる横断的特性がありつつ、公的な支援の狭間にあり、独自の世界を生み出していく任を負っていた。関水さんの担当する方たちは、自閉症の重篤な方々を対象としているが、非カナータイプ(知的障害を伴わない自閉症タイプ)への対策が大きな課題になってきている事情がある。半数近い不登校・引きこもりの背景に、「障害」の影を見出す知見が紹介されて、活動の質自身を問う時代に入っているという、それぞれの事情が重なっている。
WHOの「生活機能分類」の発想への切り替えが行われているのも「障害」を「心身機能または身体構造上の問題(ICIDHの医学モデル)」ととらえる事に対し、「心身機能・身体構造」「活動」「参加」の3つの次元及び「環境因子」等という、健康状況と健康関連状況を記述するための,統一的で標準的な言語と概念的枠組みを提供するという「社会モデル」を統一的に扱うことを、「生活機能」つまり「行き難さ」から「障害」をとらえ返す時代的な要請にも連なっている。
「不登校・引きこもり」にも「生活機能分類的」な観点の網がかぶせられてきている。「不登校・ひきこもり」の方々の中に軽度の障害の方がいるからということではなくて、医学的に重度の障害の方から、健常者にいたるまで、「障害」を「生き難さ」の課題として統一的にみることが始まっているのだ。
この意味で、関水さんの講演を「不登校・ひきこもり」支援の関係者の中で行った意味は大きなものがある。
面白い象徴的なエピソードが語られた。
「保育園の場面で、自閉症スペクトラムの子が健常者の子を叩いた。保母さんが『ひとに叩かれる子の身に成って』考えよ、自分が叩かれたらいやだろう?だから叩くのをやめなさい」と説得するが、全く通用しないというエピソードだ。保母さんは如何に熱心に説得に努めても、その子に思いは伝わらない。なぜならその子は、客観的に自分を見ることが困難な障害を抱えているからだ。
保母さんは全身全霊を込めて説得するが、通じないものは通じない。彼にとって必要なのは、場のマッチングなのであって、この辺がベクトルの違うところなのだと。
私が「ケア・パートナー」という就労形態のひとつを考えたのも、実はこの違和感(コンフリクト)が肯定的な場の中では情熱へと転化することを意識していたからだった。
引きこもり青年も障害者も、無理に管理された企業に生きるのではなく、地域の新たな地縁づくりの中に生きる道をさぐるべきなのだ。彼らはその主人公になりうる。地域に的確なデザインを描くことが支援活動に必要な視点になりつつあるのだ。
余談だが、少々閉口したこともある。つい先日、県自閉症協会の厚木講演会で聴いた関水さんの講演は、ほとんど今回の内容と同じだったことだ。冗談から、スライドまで同じだとちょっと…。関水さん、くしゃみしているに違いない。厚木参加者がいたとは、ご存知あるめぇ。
--------
講演の最中、携帯電話が鳴った。入谷(座間)さん(仮名)のなんと当人からだった。私との接触を避けていた青年が私の携帯に連絡を入れてきたのだった。場をはずして話したが、心労から母親が入院したという知らせだった。
藤沢に私用があったので、講演終了後藤沢にまわり、そこから小田急を乗り継いで、面会時間ぎりぎりの病院に、心配そうに長いすに腰掛けている入谷さんのもとに合流した。彼女と自宅の外で、なおかつ直接話せたのは初めてのことだった。親御さんへの面会はナースセンターにお願いして、病室から出てきた父親の○○さんと話し込んだ。幸い症状は休めば回復するとのことで安心したが、娘さんのフォローの留意点を伝えてお暇した。
彼女の雪解けは一気にやってきた。だからこそ、大事につきあいたい。そう思うのだ。
---------
関水さんに、◇さんの就労相談に乗ってもらえないか頼んだ。関水さんは横浜の相談室の方だ。地域外の方は、それでなくとも仲町台センターはパンクしているのだから無理を頼んでいることは承知していたが、やはりダメだった。残念。
--------
夜間傾聴:相模大野2号くん(新規)
(あではでの関係者?)
旗の台君(怒り、猛烈)
--------
今日は13時30分から、茅ケ崎市との協働を進める意見交換会。6団体のうちのひとりとして提案するので、これで終わり。
(校正1回目済)