
6年前の9月に始まった五木寛之の新聞連載小説「親鸞」は、通して1052回の長編として先日、完結した。第1部は幼少期から越後への流罪までを、第2部の激動編は、流罪生活の辛苦から関東移住という壮年の姿を、第3部の完結編は京に戻り念仏に対する様々な苦悩が描かれた。毎朝一番に読み、夜に切り抜きした。およそ100回をめどに1冊として我流で製本、合計11冊の貴重な読み物として残せた。
表紙は小説のタイトル「親鸞」をスキャンして印刷、本らしく工夫した。書店に並ぶ本にはない手製のぬくもりを一人感じている。最後まで読み続け、切り抜き、製本まで進めたのは二つの訳がある。小説の内容で、史実に織り込まれた虚構が、虚構と思えない真実味で受け取れたこと。作者の筆力がそうさせたのだが、そこには親鸞の存在を感じたからと思う。
もう一つは、登場する人名や地名、難解な仏教用語などにルビがつけられ、これは最終回まで続いた。手製本を繰りながら、ルビが読みやすさと小説への親しみを感じさせてくれた。このことが、貴重な「私の親鸞本」にさせたと喜んでいる。
連載小説はその終了後に加筆し出版される。今回も著者はそう話されている。連載では紙面上の制約があり、出版に当たって加筆は避けられないことなのだろう。ただ、加筆には書き直すという意味もあり、書き加えるだけではないということになる。著名作家の書き加え、訂正しそして2重線で削除された古い原稿が発見されると話題になる。「親鸞」出版本の元は我の手元にあり、この手製の親鸞本に価値ある日が来るかもしれない、大切のに保管しておこう。