日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

雑草のなかで

2014年07月06日 | 自然 季節


 山裾の手入れされていない道端は雑草が思うがままにはびこっている。それはそれで自然のなりゆき、外野席からとやかく口出しはできない。そんな愚にも付かぬことを思いながら歩いていると雑草の隙間に赤い点がみえた。もしや、と思い絡まった雑草を少し動かすと野イチゴの赤い実が輝いている。見るとその周り1畳ほどのそこかしこに群がってなっている。雑草の様子から人目には触れていないようだ。

 赤い実を見ていると、アルミの弁当箱をもって、近所の子どもどおしでこの赤い実をとって遊んだ畑の畔を思い出す。とったものを少しは食べただろうが、当時は珍しいものでも何でもない。遊びの一つだったのだろう、くらいの記憶が残っている。ヘビイチゴとの違いを学んだのもこんな遊びの中からだった。

 正式な名称は知らないが子どものころには「カヤ」と呼んでいた雑草が野イチゴを囲むように茂っている。野イチゴが場所を選んだのか、カヤが野イチゴを守るようにはえている。カヤは素手で触ったり握って引いたりするとかなりな痛さを伴った切り傷ができる。この痛さを経験するとカヤを避け上手く接するようになることも遊びから学んだが、今の子どもたちはどうだろうか。芝生で遊んでも雑草の中を走ることはないだろう。

 先日読んだエッセイ。廃校になった学校の運動場で集落の運動会が開かれた。競技の1番は玉入れ、並んで合図を待っていると「プログラム変更で、運動場の草ぬき競争」。時間内で多く抜いたチームが勝ちという。あっという間に本来の運動場になったとある。廃校になったが地域を守り続けよう、運動会世話役さんと参加した集落の皆さんの意気とつながりを、雑草の強さのようにも勝と感じた。顔も知らない投稿者のしてやったり、という笑顔が見えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする