日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

絵になるぜ

2013年08月21日 | 自然 季節
            

 猛暑、酷暑、炎暑、炎熱など、いただいた暑中見舞や残暑見舞いにその人の暑さの感じが込められ、日本国中しのぎ場所のない暑さだったことが分かる。そんな暑さにわざわいされたのか、それとも我が家よりいい場所を見つけたのか、今年は庭でセミの抜け殻が見つかられなかった。

 「土中に7年、生まれたら1週間の命、だからセミは捕るな」。そんな話も聞いたが「セミ捕り」は、遊びながら宿題の昆虫採集がこなせるという夏休みには切っても切れない行事に等しかった。そんなセミの採取で1度褒められた。「捕ったセミが何の木にとまっていたか」を表にした事だった。どんな意味があったのだろう、全く覚えていない。

 セミは遊びの延長線上での観察対象だった。それも小学校が終わるまで、それから後は特にセミを意識してとらえることは無かったと思う。ブログに載せるいい被写体のセミはいないか、そんな欲得尽で木々を見上げるのではセミは応えてくれない。

 頭上を横切ったセミが直径が1メートル近くありそうな木にとまった。その木には「スズカケ」の後に木のイラストを書いた表札が付いている。しばらく眺めていて、木肌の模様とセミのいる位置が1枚の絵のように見えた。スズカケの木をゆっくり眺めたことはない。それだけに芸術的なその模様に驚いた。意識してセミがそこを選んだとしたら、美意識の優れた1匹だ。そんな面白くもない冗談をいいつつ1枚撮らせてもらった。
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夏休み今昔

2013年08月20日 | 生活・ニュース
            

 夏休み、大方のところで残り10日あまり、TV映像でも「宿題済んだかな」という子どものへの問いかけが増えた。「まだでーす」「読書感想文だけ」「?」と答えはいろいろ、やる気があるだけいい、頑張ってと応援しよう。僕も、私も「終わりの3日間で片づけた」とか「親に手伝ってもらった」など、休みの期間中さぼっていたことを「誇らしげに」語る司会者が多い。本当にそうなら呆れてしまう。

 孫の実質夏休みは今週で終わり。来週からは2学期の文化・体育行事の練習と準備で登校、と話して中学校最後の夏休みを終え新幹線に乗った。宿題は帰省までに済ませたと指で丸を作って見せた。小学校低学年では宿題も帰省のお供だった。庭に広げた円形の簡易プールでの涼をとる水浴びも日課だったが、みんなアルバムの中だけになった。今年はタブレット端末の使い方を説明してくれた。急に隔世の感、そんな感じの帰省だったが成長を喜んだ。

 先日、立ち寄った道の駅のそばの川から子どらの歓声が聞こえる。見ると、駐車場から川へ降りる階段が何カ所か作られている。それを降りたところで子どもらが水遊びしている。水位は子どもの腰くらいのようだが、大人が見守っている。中には手を添えられて楽し子もいる。見ていて飽きない光景だった。別の所では魚を捕るかのように網を持った子どももいる。何十年か後戻りした夏休みを見た。

 新幹線、高速道、成田、羽田などなど各地の混雑などのあおりか、中断していたラジオ体操が再開された。真っ黒に日焼けした子らが大きな声で語り合いながら会場へ急ぐ。夏休みで「一皮も二皮も剥け」成長した姿を2学期の校門が待っているだろう。
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二本足の案山子

2013年08月19日 | 地域
            

 人が農作業しているときに鳥獣は近づかない。この性質を利用して、いつも農作業している人がいるように見せるため考えられたのが「かかし」。案山子といえば同名の唱歌を思い出す。今風には気になる言葉もあるが、子どものころには歌った。

 ♪山田の中の 一本足の案山子   ♪山田の中の 一本足の案山子
  天氣のよいのに 蓑笠着けて    弓矢で威して 力んで居れど
  朝から晩まで ただ立ちどほし    山では烏が かあかと笑ふ
  歩けないのか 山田の案山子    耳が無いのか 山田の案山子

 「やまだ」を引くと「山にある田。山間の田」とあり、広い平野の風景ではないことが分かる。そんな「かかし」が本来の役目を解かれ、新たに地域興しの役目を仰せつかっている。辞書通りの山田の広場で「かかしまつり」が催されていた。祝富士山遺産登録、祝三浦さんエベレスト登頂、八重の海女姿など数十の人形が、人気投票に勝たんがため、黙って日を受けながら頑張っている。

 がっちりした体格の野良衣姿にいいな、と思い立札を見ると「二本足のかかし」とある。なんとなく見て北が、振り返ってみると大方が2本足に作られ、唱歌のかかしとは違っていた。そしてよく見ると、鳥獣を威嚇するする厳つい顔のかかしさんはいない。「へのへのもへじ」風もない。今風な装いばかりで、子どものころの記憶にある古い野良着姿は歌詞の中だけだ。そう感じながら、今風と離れた「かかし」の歌詞は大切に残さねばと感じた。

 乾ききった広場に日を避ける樹木の1本もない。訪れる人はあるが足早に見て回り、早々に次の目的地へ向かう。せっかくの催し、地場野菜の販売テントでもあれば、そう思いながら広場を後にした。
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汗なくして

2013年08月18日 | 社会 政治
            

 ネコ額ほどの庭の草抜きでも大汗をかく。それなのに、肌を射抜くような日ざし、どう耐えるかどう遮るかなど思ってはいられない屋外の仕事。それでもやらねばならない仕事がある。その場所は人目の付くとこつかないとこ、写真に撮られる有無など関係ない。「水分を摂り冷房を効かして熱中症にならないように」こんな呼びかけなど通じない。

 記録的な暑さの今夏、汗に悩んだ人も多かろう。とかくいう私も汗をかき、昼間にこれほど着替えた夏はあまり記憶していない。動けば汗になる、そこに大きな収穫の道にでも通じるならその甲斐もあろうが、庭の草を抜いたくらいではどうにもならない。しかし、思いようで「きれいになった」と自賛すれば気は安まる。

 汗、これだけだと「忌み嫌う」人は多い。TV-CMはそこを突いて制汗剤や化粧品を売りつける。それを創った化粧品屋さんも宣伝屋さんもいい汗をかいた結果だと思うのだが、その汗を悪者か笑われ者扱いにしているから、ちょっと笑える。そんなあせの一考。汗は悪くない、汗がなければ世の進歩はない、と言い切れる。

 誰もがたたえる「汗の結晶」は苦労して得た成果、今、甲子園で観られる。一生懸命働くために「汗を流す」。苦労して努力することは「血と汗」。甲子園の一球一打を見て「手に汗を握る」。何だかんだ言われてもお父さんは「額に汗して」そう、時には「汗膏をにじませて」家族のため一生懸命働いている。汗は尊い。
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盆暮の迎え

2013年08月17日 | 回想
            

 我が家の盆暮れの様子もすっかり変わった。両親がいるころには父方の叔父叔母たちが子ども連れでやってくる。それは半端な人数ではなかった。そのまかないのため母は超多忙を極めた。今と違いまかない物はすべて手作り。冷蔵庫などない時代、特に夏場は気遣いは大変だったろう。

 父が亡くなり、私も結婚した。それでも叔父叔母の襲来は止まなかったが、やがてそれぞれが親元になり訪れは少なくなり、今は全くない。そのうち、弟に姉妹が子ども連れでやってくる。母はこれが楽しみだった。孫たちが並んで寝ると何文字かの川の字ができる。その寝姿を楽しんでいた。

 これのまかない、今度は家内。家内流にアレンジしながらのまかないも、やはり手作りだった。不足してはいけないと多めに作る伝統は残っていた。代は変わっても気づかいの中身は変わらない。長男の家に集まって盆暮れを過ごす、おかげで私ら夫婦にはその経験がない。いつもまかないだった。といいながら、私は大方が仕事で来客の相手をすることは少なかった。

 お盆のスーパーの折り込み広告、盛り付けられた料理の数々が載っている。そこには手作りの必要性はなく何でも揃っている。足らなくなればスーパーまで一走りで補充できる。弟らも親元になり、自分たちの子や孫がやって来始めると、盆前に仏壇へお参りに来るだけになり、昔のように大まかないをすることは無くなった。そんなことを思いながら広告を眺めると、時の移ろいを感じる。

 あのころに、こんなに便利な仕組みがあったら少しは楽な盆暮れが過ごせたかも、孫の帰省に合わせて準備する家内の姿を見てそう思う。長男で親元、そんなのは古くさいという声も聞くが、家族がつながるという良いことに古いも新しいもない、そう思ってみんなが来るのを待っている。
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上りのホーム

2013年08月16日 | 生活・ニュース
            

 新幹線が博多まで延伸される。その建設工事中、息子を連れて散歩がてら何度か新岩国駅の外観を見に行った。そして岡山・博多間が開通したのは1975(昭和50)年3月10日。その日、開通を祝う小さな展示が開かれているということで息子と二人で博多へ。息子はその年の4月に小学校入学、切符購入でその旨を伝えると「無料です」、駅員のまあるい顔が笑った。息子は新幹線初乗車だった。

 あれから何年、今は帰省でこの駅から往復している。暑い日も寒い日もあったが、なんど見送りに来ただろう。息子の最初の赴任地は東京だった。担当業務の関係で暦より早い盆暮れの休暇、乗車客も少ないホームでひとりだけ見送るのは何かわびしい感じだった。

 京都に転勤、その後結婚、孫の中3を思えば見送り回数はかなりだ。その上りホームから見る線路はまっすぐに延び、ホームはずれのトンネルへ続く。この景色は何も変わっていない。

 変わったのは車両。初めてのときは先頭が航空機に似た丸みを帯びた0系。青と白の簡素で清楚なスタイル、力強さを感じたことを今も記憶にある。惜しまれて引退したのは2008年11月とか。新幹線は出張でよく使った。先頭の形が変わるたびスピードアップされる技術の進歩に、その理由の分からぬまま乗り心地を楽しんだ。

 今回見送ったのは700系。スワン型の先頭は見た目500系よりも抵抗が多そうだが、そうではないのだろう。静かに定時に滑り込んで来る様子は昔も今も変わっていない。車内は涼しいと孫は窓越しに手で合図。ホームの中ほどまで差し込む日ざしと一緒にテールランプを見送る。
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焼き場の少年

2013年08月15日 | 社会 政治
           

 8月は6日、9日、14日そして15日のその時間に黙祷。14日は終戦前日、岩国駅周辺が爆撃を受け千人に達する死傷者が出た日。

 原爆の悲惨さを多くの人に知ってもらいたい、そんな願いを込めた「ミニ原爆展」が近所で開かれた。広島や長崎の被爆写真、ぼろぼろに焼けた服、熔けた瓶などが展示されている。そんな展示品のなかの1枚の写真に目がとまる。その前からしばし動けなかった。それには「焼き場の少年」として次の説明文が添えられていた。

  焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。少年の背中には2歳にもならない
  幼い男の子がくくりつけられていた。

  
  少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止る。わき上がる熱風にも動じない。
  係員は背中の幼児を下ろし、あしもとの燃え盛る火の上に乗せた。間もなく、
  脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす
  少年の顔を赤く染めた。

  
  私は彼から目をそらすことが出来なかった。少年は気お付けの姿勢でじっと前
  を見続けた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な
  直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。
   (元アメリカ海兵隊カメラマンの話「トランクの中の日本」 小学館から)

 撮影の日時や場所が不明のため、原爆に係るか否か不明だが、戦争にまつわる一場面であろう。

 「戦争は兵隊が死ぬだけでなくて、一般の人が死ぬ方が多いんです」。あの101歳の医師、日野原重明さんは子どもたちにこう話しかけれれること200回を超えたという。それは、東京大空襲で運び込まれる負傷者を医師として見続けた経験から「戦争の悲惨さを子どもたちに教えれば、大きくなって戦争に走ることはないと信じる」と言われる。

 終戦の日、再び戦争はしない、すまいという集いが報道される。日野原医師の行動が成就することを願っている。

(展示の写真では子ども二人の顔は明瞭に写されていたが私がモザイクをかけた)
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帰省 2

2013年08月14日 | 生活・ニュース
           

 私は昨年10月02日、毎日新聞「はがき随筆」で紹介されたインコの「ピーちゃん」です。今年で2回目の帰省になります。今回もマイハウスの籠は黒っぽい布で包まれ、大きな手提げ袋に入れられ、新幹線で3人と1羽の帰省をしました。

 手提げ袋から出され、包みの布を外されました。そこはエアコンの効いた仏壇のある部屋で、昨年と同じだと思い出しました。扉が開けられると、すぐに外にでました。先の随筆の中で、昨年のこの時の様子を「孫の手に乗る。腕や肩、頭へと動き回る。動きながら孫と忙しく会話する。新幹線での真っ暗なかごのストレスを発散しているようで、ほほえましい」とありました。2回目の今年も同じです。

 帰省先は私の飼い主の実家。飼い主夫婦と私が「お姉ちゃん」と呼ぶ中3の娘さんと一緒の帰省です。お姉ちゃんは実家の二人を「じいちゃん」「ばあちゃん」と呼びます。私も同じようにそう呼びます。じいちゃんもばあちゃんも私が大きくなっていることと鳴き声のきれいなことに驚いた、と嬉しそうです。

 私は籠の中より外が好きで、昼間はほとんど籠には入りません。餌も水も、好物の新鮮な青梗菜もすべて屋上でいただいています。遊び疲れての昼寝も屋上です。屋上にいないときは部屋続きの居間を飛び回り、冒険をしているちょっとおっちょこちょいの娘です。

 帰る日の朝、じいちゃんは敷物を新しく取り替えるなど籠の掃除をしてくれました。鳴いてお礼を言いましたが、通じたかな。「これからは1羽が加わる孫の帰省、楽しみが増えそうだ」、随筆の終わりに書いてあった通り、じいちゃんにもばあちゃんにもかわいがってもらいました。3回目帰省のときは何か一芸身に付けて帰らなければ、籠に黒っぽい布をかけられながらそう思いました。
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水ありて思う

2013年08月13日 | 生活・ニュース
            

 節水で公園の噴水も止まっているのは関東。「これまで経験したことのない大雨」をはじめとして各地で豪雨が頻繁に起きている。それなのに上水の水がめであるダム周辺では、水不足を解消するだけの降雨が見られない。雨雲はダム周辺を故意に避けているのかと思うくらい、不思議な現象が続いているようだ。

 子どものころから思い返して、節水の呼びかけはあったかもしれないが、水で困った記憶はない。ここ清流錦川は水量水質ともに誇れると教えられている。全国の山紫水明をうたい文句にした天然水が売られている。ここ錦川の水道水は「周防いわくに 大吟醸の水」として売られている。これは、水道水が安全で安心して飲め、そのうえでおいしい水ということになる。

 こうして恵まれてはいるが、その水源となる山間地域の過疎と山林や田畑の荒廃を見ると、いつまで豊かな水源が保たれるのか不安になる。かって、山林と田畑を守れば日本にダムは不要といった政党がある。過疎と比例して荒れる河川沿線の上流域をどう立て直すのか、水不足の報道を聞くたびに思う。

 連日、熱帯夜と猛暑日をセットにしたようなこのところの毎日の暑さ、茹だるような暑さ、と呼ぶ。茹だるは「ゆだる」が転じた言葉というから、詳しく聞かなくてもよくわかる。そこで誰もが求めるのは水。公園の大噴水からのしぶきが風に流されていて天然クーラー、多くの観光の人が、天然の涼ここにありと、ソフトクリームを手にした人もしばし足を止める。この暑さまだまだ続くという。
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朝の美女

2013年08月12日 | 生活・ニュース
            
 
 「朝の美女」と題し、夏の朝咲く朝顔を撮り続ける人がいる。「朝顔」に特別な意味があるのかと辞書を引く。「朝、起きたままの顔」がトップ、続けて夏の朝に咲く花と載っている。

 「朝、起きたままの顔」、これは人様のことで花の朝顔ではないだろう。花のそれはこれからは「アサガオ」と書き、人と花を間違えないようにしなければ、苦笑いしながらそう思う。

 朝、起きたままの顔、これは、男女を問わず「見られたくないし、見せたくもない」顔のことだ。特に女性はお化粧前の顔は隠したいだろう。しかし、写真家のいう朝の美女にならうなら、起きたときが一番美しい姿ということになる。

 アサガオは日の入りから日の出前までの時間を使って、念入りな準備ときれいに咲く工夫をする。深夜までTVを観るなど夜更かしをせず、昔からの言い伝え通り、早寝早起きを心がけたら、寝起きの美女になれるかもしれない。

 三姉妹のように並んで咲いた庭のアサガオを観ながらひとり思った。
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